音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

「苦悩の表現」!?ベートーヴェン《ハンマークラヴィア》を取上げるのは気が重く・・・

2016年02月07日 | 《29番op.106》ハンマークラ

今度の音楽道場、ベートーヴェン《op.106》の諦念を言い表さねばならないことを思うと、毎度ながら本当に気が重くなっています・・・ベートーヴェンの苦悩が分かったような気がした!?としても、それをどうやって公言できるものなのか・・・本当は全然分かっていのでは!?不安が絶えません・・


不安が絶えない、この心境も、ベートーヴェンの音楽がもたらす力なのかも!? ロマン・ロランの『ベートーヴェン研究』(吉田秀和訳)に頼って、沢山沢山の刺激を受けながらも!!・・・それを公然と表現できるかどうかは・・・まだまだ自信がない・・・あと数日、なんとかします


「人間の苦悩を表現すること」も芸術の仕事なのだとすると、今度のクラシック音楽道場は、そういう類いとなるのかもしれない・・・あまり楽しい仕事ではないけれど!?、がんばりたくは思っています


作曲家ベートーヴェンが音に込めた意味、これを解説できれば、よいだろうか!? しかしその意味に至るには、苦悩・諦念のなんたるかを示せるようでないといけない・・・ロマン・ロランの力に、ここで頼りたいわけです (翻訳者、吉田秀和先生の姿もちらつくのです!!)古人の助けを請う!


・・・ベートーヴェンの音楽を分かるために、ロマン・ロランの力を借りたい、だからといって、言葉の大家ロマン・ロランの書くその言葉達に刺激は受けども、それを要約する難しさに直面・・・


ベートーヴェン最晩年に取り交わされた会話(筆談!?故に残っている貴重!?)、「Muss es sein?そうあらねばならないのか?」「Es muss seinそうあらねばならないのだ」、これは正に音楽的であると思います。半終止と全終止の哲学がクラシック音楽には反映されているはず


芸術とはなんのための仕事か!?というと、これは、幸か不幸か、霊長類の長となったといわれる「人」のため、といえるような気がした


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