今度の音楽道場、ベートーヴェン《op.106》の諦念を言い表さねばならないことを思うと、毎度ながら本当に気が重くなっています・・・ベートーヴェンの苦悩が分かったような気がした!?としても、それをどうやって公言できるものなのか・・・本当は全然分かっていのでは!?不安が絶えません・・
不安が絶えない、この心境も、ベートーヴェンの音楽がもたらす力なのかも!? ロマン・ロランの『ベートーヴェン研究』(吉田秀和訳)に頼って、沢山沢山の刺激を受けながらも!!・・・それを公然と表現できるかどうかは・・・まだまだ自信がない・・・あと数日、なんとかします
「人間の苦悩を表現すること」も芸術の仕事なのだとすると、今度のクラシック音楽道場は、そういう類いとなるのかもしれない・・・あまり楽しい仕事ではないけれど!?、がんばりたくは思っています
作曲家ベートーヴェンが音に込めた意味、これを解説できれば、よいだろうか!? しかしその意味に至るには、苦悩・諦念のなんたるかを示せるようでないといけない・・・ロマン・ロランの力に、ここで頼りたいわけです (翻訳者、吉田秀和先生の姿もちらつくのです!!)古人の助けを請う!
・・・ベートーヴェンの音楽を分かるために、ロマン・ロランの力を借りたい、だからといって、言葉の大家ロマン・ロランの書くその言葉達に刺激は受けども、それを要約する難しさに直面・・・
ベートーヴェン最晩年に取り交わされた会話(筆談!?故に残っている貴重!?)、「Muss es sein?そうあらねばならないのか?」「Es muss seinそうあらねばならないのだ」、これは正に音楽的であると思います。半終止と全終止の哲学がクラシック音楽には反映されているはず
芸術とはなんのための仕事か!?というと、これは、幸か不幸か、霊長類の長となったといわれる「人」のため、といえるような気がした