・・・節分を期に、立春となったのでしょうか、《早春譜》を歌うには絶好の機会なのかもしれませんが、次回のクラシック音楽道場では、みんなで歌うお楽しみコーナーをやれる気がしない・・・ベートーヴェンという人間の代表に迫るため、全ての時間と労力を費やさねば、失敗するような気がする・・・
芸術、人間、人生の問題が重くのしかかる、そんな日々を私は今すごしているのかもしれない、ベートーヴェンの音楽に取り組みながら
ベートーヴェン《op.106》、その作曲時期における作者の状況にのみ焦点を絞って、その苦悩を言い表して、果たして事足りるだろうか!?疑問に思った。もっと普遍的な次元でこれ「苦悩・諦念」を扱ってしまったほうが、よいのではないか!?、と、
・・・ロマン・ロランに言われてしまった「和声やリズムの戯れとか問題とかを、置いたり問いたりする知的な遊びや知識にかかずらっている職業的音楽家達は、決して、ベートーヴェンという人物の芸術の秘奥に参入することはない」と・・・私は音楽家&文芸学部卒業生としてこのジンテーゼを求めたい!!
ベートーヴェンの音楽の魂、その根元は、音に現されているのだと、音楽の勉強・研究を続けながら、本当に思っています。音の専門的な研究と、ロマン・ロランのいう人文学・哲学的な指摘が、結局は音そのものに集約される、音楽という芸術の原点、ジンテーゼを、私は理想として、求めてゆきたく思います
・・・理想を掲げたはよいが、音楽の専門(和声学!?)と、文学の専門(人文学?)、その狭間に立つ辛さを感じないでもない・・・ いやいや!その合致を目指したいのですが!!・・・そう簡単には・・・と不安を呟く・・・
昨夜遅くは、ベートーヴェンの苦悩・諦念に真正面から向き合いすぎたのか、言いようのない不安に駆られたものでした・・・しかし今朝、思い立って《ハンマークラヴィア》に至るピアノソナタ群op.90,op.101そしてop.106をまとめて弾いてみたら!・・・不思議と活力が湧いてきたようで
ベートーヴェン《ハンマークラヴィアop.106》は全4楽章から成る作品。その第3楽章のみを焦点にあてたがために、精神のバランスを崩すようなことがある!?とすれば・・・天才作曲家の複数楽章にまたがる全体を見越したバランス感覚に、改めて感服する気がしました。本当は全部やらなきゃ!?
ベートーヴェン《ハンマークラヴィア》第3楽章は、基本的には沈痛の思いに満ちたネガティブな音楽。(もちろんポジティブの表現もあるのですが!それはここでは相対として?)しかしソナタ全体とすると、I&終楽章を見れば、やはりこの人は力に満ちた表現が主目的!「苦悩を通し歓喜へ」ですから!!
要するに、ベートーヴェンの音楽をやるには、落ち込んでばかりでは出来ない!?ということでしょうか!?(笑) とことん落ち込んだ後は、その逆(リバウンド!?ポジティブな意味で!)がある!? それを忘れてはいけなかったのかもしれない・・・全体に触れることの重要性を学べたのかも
ちなみに、今朝ベートーヴェン、ソナタ全体を通して練習した後に偶然!?行った心理テストの結果が、画像のものだったのに笑(笑) ベートーヴェンの音楽が、自分に即活力として作用したのかもしれない、面白い結果が出ました pic.twitter.com/FfziV08S3o