たとえ到達することが困難だとしても、真理を探究する過程には、そこに到達するまでは、いかなる終止点もありえない。追求の対象は最高の善美なのであるのだから、追求に倦んで懈怠することは醜悪なのだ。(『善と悪の究極について』第1巻3)
!?メンデルスゾーン《無言歌》についての解説をネット上で見付けて、反論したくなってしまいました。
メンデルスゾーンの音楽は表題音楽ではなく「絶対音楽」です。作者は無言歌に題名をほとんど付けていません。また、単純に旋律線を浮き立たせて pic.twitter.com/zRHCtzD5XS
メンデルスゾーンの《無言歌》を、単に「旋律線を浮き立たせて、叙情的に演奏することが重要」と言ってしまうのも危うく感じられます・・・
《無言歌》に自分で取り組み初めて半年が過ぎ、それぞれの曲、曲集にこもる作者の心情・人生観は、まさに「無言=言葉では現しがたい」ものです。反論しつつ
意見を目にして、それを批判してしまいましたが・・・こうしたことはあらためて勉強になり、批判精神をもって、ものごとのよりよきを進んでゆくことの機会に、感謝いたします!(・・・偽善的でしょうか・・・いや!本当にありがたいことと思いたいです!相手をあまり傷つけてはいけませんが・・・)
メンデルスゾーンが才能を発揮しているのは「音の操り方・取り扱い方」にあると思います。
古典的(←バッハ以来?)な音の技法を駆使しつつ、それがロマンティックな情感を存分に発揮するまでに発展し、尚かつ「全く無駄のない」と言ってもよい程に洗練された作曲!に、脱帽の
あ・・・ツイートの途中で送信されてしまった・・・
メンデルスゾーンに「脱帽の思いがいたします」←この日本語が変じゃないかどうか調べていたら、間違って途中送信・・・
時々変な日本語を使っている自分に不安になります・・・
・・・ふと考えたのですが「感じ悪く見える人」というのは、その大半は悪人では無く、逆に「恐がっている人」が、そう見えるのではないだろうかと・・・最近自分が「感じ悪い」と人に思われていないだろうか、不安になることがあり、それこそは
自分が何かを不安に思っている・恐がっている、そんな時に、その人の雰囲気は「感じ悪い」「馴染みにくい、取っつきにくい」「近寄りがたい」となっているのかもしれない!?と・・・前々から考えてはいたのですが、ふと書き記しておきたく思いました。「感じ悪い人」、その真相をわかることが出来たら
・・・色々と人間、不安があるものです。そう簡単に払拭できるものではない!それに、完全に払拭されることは、きっとない・・・不安を抱えつつ、しかししっかり生きてゆけたらと思います。
不安が払拭できないなら、「恐がらない」ことが上手なやり方!?
・・・これ全部自分の反省の呟きです・・・
・・・クラシック音楽の演奏者の目指すところ!?(←素人哲学) twitter.com/C_G_Jung_jp/st…
ショパン《エチュードop.10-1》、ここ数年(あるいは十数年、数十年!?)に渡って少しずつ研究してきた、その結実となるかもしれない所!?に近付けたかも、と期待します・・・(淡い期待!?苦笑)ポジションと連結、なのです pic.twitter.com/fuNIkejDtP
ショパン《エチュードop.10-1》、この曲を完全に上手に弾きたい、そんな欲求も出てきてしまったかも(完全を目指すは鬱の危険!?苦笑)
ショパン《op.10-1》・・・既に何の問題もなく上手に弾けるピアニスト達も大勢・・・ピアニストやっている自分としては恥ずかしくもある!?先のツイート・・・でも実際、私は技巧派でミス無く弾ける上手なタイプのピアノ弾きではなくコンプレックスを持っています。もっと上手になりたい!!!
ポジションと連結、ピアノ演奏における二つの動作があるなら、それぞれに使う筋肉は別物である、という考えにいたるようになってきました。
適材適所、まさに!?
合理的テクニック、然り!?
自分のピアノ演奏上における身体的不具合は、本来その動作に合っていない不適切な筋肉を動かして演奏しようとしていたがために、無理が重なると「動きにくい」という違和感を感じるようになってきたのかも。同じあやまち練習を重ねたら悪化する一方(恐)
合理性に視点を向けることが大事なのかも!?
@torukaku「不安を楽しむ」また一段階達観されたご意見、なるほど、ありがとうございます!!
ドンジョヴァンニ、素晴らしかったです♪
ショパン《エチュードop.10-1》における「ポジションと連結」の関係について勉強した後、正規の指使いで弾くのが苦手な音階全調に挑戦・・・音階の場合は、連結は2度ばかりで割と簡単なので、ポジション(3つか4つ)の形を意識し、必要な筋肉をあてがったところ・・・弾けそう・・・?(感激
ピアノ演奏における身体的不具合からの脱却、油断は大々大敵の予感・・・
とても強い意識で、正確無比な音程をポジションに会得しないと、元の木阿弥に戻る危険を感じる・・・
まだまだ時間がかかりそう・・・いや、時間を、かけたい!!です。焦らず。
「正確無比、絶対の音楽」なるものは・・・「ある」と言いたく思います。しかしそれは音楽全部に渡るものではない!ここ誤解なきよう注意しなければならないところ。
細部においては、疑う余地のない「絶対的な事象」は、少なからずあると、勉強・研究を続けながら確信しております。細部を積み重ねて
正しい細部を積み重ねて、よりよい音楽芸術となりますよう、精進するのみです
でも細部にばかり目がいっていてもダメみたいで、全体も把握していないと!!
ミクロコスモス・マクロコスモス、両方に真実
いやはや・・・宇宙的規模の問題です!!!(笑)
・・・ものごと・・・上達の秘訣は、やはり「真実・事実」にあり!?
「音楽的musikalisch」と言われるもの、ここにも真実の探求により、絶対的・普遍的、感動をもたらす奥義があるよう、私は信じ、追求しています。
そしてこれは一個人の範疇に留まらない、全人類的なもの、みんな出来ること!?と思っており、ゆえにその価値は莫大となります!!音楽万歳
音楽性を醸し出す絶対的真実、要するに、和声学のことを念頭に置いているのです。
勉強している人なら誰しも会得できるであろう、皆に平等な機会が与えられている至高の音楽性・・・
無味乾燥な分析ではダメですが、有機的な解析に手応え・感動を覚えるとき、誰もが真の音楽家になれる!?と思います