ベートーヴェン最後のピアノソナタ
《ピアノソナタ32番op.111》のII楽章について
前回書きましたが、そこでも少々触れました
テンポのことで、今回は引き続き書いてみたいと思います。
《ピアノソナタ32番op.111》II楽章、
冒頭の書かれているベートーヴェンの手による指示は、
「Adagio molto semplice e cantabile」
とあります。
問題となりますのは、このテンポが
●Adagio molto(とっても遅く)なのか、それとも
●Adagio(遅く)なのか・・・
問題となるのは「molto」がどこにかかってくるかということ。
「Adagio molto(とってもゆっくり)」なのか、
「molto semplice(とっても簡素に)」なのか・・・
そして、
「とってもゆっくり」だとすると、それに続く言葉は
「簡素に、そして歌って(semplice e cantabile)」
となります。また、
「ゆっくり」だとすると、それに続く言葉は
「とっても簡素に、そして歌って(molto semplice e cantabile)」
となります。
・・・これは、解釈家ごとに、先生ごとに
意見が分かれるようです。実際、
何人かの世界的なピアニストによるマスタークラスを
いくつか聞いてきたところ、人によってこの意見は分かれました・・・
ところで、
古い版の楽譜(Peters)を先日見たところ、この指示には
ひとつの「点( , )」が入っており、それは
「Adagio molto, semplice e cantabile」
となっていて、この文章になりますと疑いはなく、
問題は明白となるでしょう。
ところが、
今日のベートーヴェン・ピアノソナタの楽譜の主流のひとつ
となっておりますHenle版の楽譜では、この
「molto」と「semplice」の間の点がありません・・・
ただ続けて「Adagio molto semplice e cantabile」と・・・
今の自分の私見を述べるならば、
自分は「Adagio molto」、そして「semplice e cantabile」
だと思っています。
この「Adagio molto」というテンポ設定は、ベートーヴェンは以前、
●《ピアノソナタ5番 c-mollハ短調 op.10-1》の第II楽章、そして
●《ピアノソナタ21番 C-Durハ長調 op.53“ワルトシュタイン”》の第II楽章
で使用しているのです。
《op.111》の書かれた頃から、ずいぶんと昔の話と
なってはしまいますが、しかし、ベートーヴェン自身に
「Adagio molto」という概念・テンポ感覚があったということを
裏付ける材料としては効果があると思われ、
これを《op.111》においても当てはめることは
不可能ではないと思われるのです。
この最期となります《ピアノソナタop.111》の最後の楽章、
規則的な変奏曲形式から、いつしか音楽は形式という枠組みを離れ、
異世界へと旅立つかのようです。
そんな音楽は、一体どんなテンポ、どんな速さが望ましいのか・・・
主観的な問題でありそうながら、しかしテンポ感の追求が
普遍的な心地よいテンポと大勢の人間が納得・共感できるものに
到達することの望みだとしたら、そうした追及は
その道に励む人間にとっての正当な欲求と言っても許されましょうか。
残念ながら、手元には資料が少なく、
自筆譜とか初稿とか、あるいは他の版を見比べることができないので
現状でさらに詳しく調べることは不可能なのが残念ですが、
こうした問題をああか?こうか?と考え、
ベートーヴェンの残してくれた最高の作品の一つ
最後のピアノソナタ《op.111》について想いを馳せることは、
人生を想う上でも有意義なことかな、なぞと思われるのでした。
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《ピアノソナタ32番op.111》のII楽章について
前回書きましたが、そこでも少々触れました
テンポのことで、今回は引き続き書いてみたいと思います。
《ピアノソナタ32番op.111》II楽章、
冒頭の書かれているベートーヴェンの手による指示は、
「Adagio molto semplice e cantabile」
とあります。
問題となりますのは、このテンポが
●Adagio molto(とっても遅く)なのか、それとも
●Adagio(遅く)なのか・・・
問題となるのは「molto」がどこにかかってくるかということ。
「Adagio molto(とってもゆっくり)」なのか、
「molto semplice(とっても簡素に)」なのか・・・
そして、
「とってもゆっくり」だとすると、それに続く言葉は
「簡素に、そして歌って(semplice e cantabile)」
となります。また、
「ゆっくり」だとすると、それに続く言葉は
「とっても簡素に、そして歌って(molto semplice e cantabile)」
となります。
・・・これは、解釈家ごとに、先生ごとに
意見が分かれるようです。実際、
何人かの世界的なピアニストによるマスタークラスを
いくつか聞いてきたところ、人によってこの意見は分かれました・・・
ところで、
古い版の楽譜(Peters)を先日見たところ、この指示には
ひとつの「点( , )」が入っており、それは
「Adagio molto, semplice e cantabile」
となっていて、この文章になりますと疑いはなく、
問題は明白となるでしょう。
ところが、
今日のベートーヴェン・ピアノソナタの楽譜の主流のひとつ
となっておりますHenle版の楽譜では、この
「molto」と「semplice」の間の点がありません・・・
ただ続けて「Adagio molto semplice e cantabile」と・・・
今の自分の私見を述べるならば、
自分は「Adagio molto」、そして「semplice e cantabile」
だと思っています。
この「Adagio molto」というテンポ設定は、ベートーヴェンは以前、
●《ピアノソナタ5番 c-mollハ短調 op.10-1》の第II楽章、そして
●《ピアノソナタ21番 C-Durハ長調 op.53“ワルトシュタイン”》の第II楽章
で使用しているのです。
《op.111》の書かれた頃から、ずいぶんと昔の話と
なってはしまいますが、しかし、ベートーヴェン自身に
「Adagio molto」という概念・テンポ感覚があったということを
裏付ける材料としては効果があると思われ、
これを《op.111》においても当てはめることは
不可能ではないと思われるのです。
この最期となります《ピアノソナタop.111》の最後の楽章、
規則的な変奏曲形式から、いつしか音楽は形式という枠組みを離れ、
異世界へと旅立つかのようです。
そんな音楽は、一体どんなテンポ、どんな速さが望ましいのか・・・
主観的な問題でありそうながら、しかしテンポ感の追求が
普遍的な心地よいテンポと大勢の人間が納得・共感できるものに
到達することの望みだとしたら、そうした追及は
その道に励む人間にとっての正当な欲求と言っても許されましょうか。
残念ながら、手元には資料が少なく、
自筆譜とか初稿とか、あるいは他の版を見比べることができないので
現状でさらに詳しく調べることは不可能なのが残念ですが、
こうした問題をああか?こうか?と考え、
ベートーヴェンの残してくれた最高の作品の一つ
最後のピアノソナタ《op.111》について想いを馳せることは、
人生を想う上でも有意義なことかな、なぞと思われるのでした。
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