吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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演奏家たちは、楽譜があるから、
それをよんで音に直すのではなくて、
音楽、
つまり音を出し、それによって
何か特定の芸術的伝達を行いたいから、
楽譜を手にとるのである。
楽譜は、
彼らの自由を束縛するように見えて、
実は、彼らのその音楽をするという欲求を解放し、
しかも、非常に高い知的精神的感覚的行為にまで高める媒体なのである。
~~中略~~
彼は、楽譜の指示に、もちろん、従う。
そうすることが、
彼が内部に感じている〈音楽〉を、
より良く発揮できるからである。
束縛が自由を生むのである。
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クラシック音楽における「楽譜」について、
見事にまとまり言い切っている文章のように感銘を受けましたので、
ご紹介させていただきました。
流石は吉田秀和先生!?
♪
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演奏家たちは、楽譜があるから、
それをよんで音に直すのではなくて、
音楽、
つまり音を出し、それによって
何か特定の芸術的伝達を行いたいから、
楽譜を手にとるのである。
楽譜は、
彼らの自由を束縛するように見えて、
実は、彼らのその音楽をするという欲求を解放し、
しかも、非常に高い知的精神的感覚的行為にまで高める媒体なのである。
~~中略~~
彼は、楽譜の指示に、もちろん、従う。
そうすることが、
彼が内部に感じている〈音楽〉を、
より良く発揮できるからである。
束縛が自由を生むのである。
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クラシック音楽における「楽譜」について、
見事にまとまり言い切っている文章のように感銘を受けましたので、
ご紹介させていただきました。
流石は吉田秀和先生!?
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