ショパン《練習曲op.10-8》は、右手で繰り返されるアルペジオが特徴の音楽。それをドビュッシーは《水の反映》に使っていることに今、気付きました。世代を経て「受け継がれる技術」と「発展する音楽」という、音楽史の一部に直に触れられたような感じがします
・・・悪いクセを取り除く作業(練習)は、まるで毒に犯されたそこから毒を取り去るような感じ!? これは・・・なかなか大変な作業です!果たして毒を全部抜き去ることが出来るのだろうか・・・?(若い頃無闇に弾きまくったショパン《練習曲》の練習にて)
ドビュッシーの音楽は、ペダルを沢山使って、響きを豊かにピアノを鳴り響かせることが理想ですが、しかし時にはやはり、ペダルを使わない暗い響きも必要かも・・・?と思いました。晩年の作品《英雄的子守歌》の冒頭など・・・不穏な音楽にはペダルを使わない暗い音色が必要?
「よい音程」の最も高いレヴェルを「音感がよい」と言うならば、それは「調性に則った個々の音の意味(主音や導音、長短3音等々)を網羅した音程感」ということ?