弾けない所を練習する際、「ゆっくり練習」したからといって上手くなるとは限らない・・・!? 弾けない所を「確認・点検」することで、弾けない理由が分かってきたり、弾けるようになるもの。そう練習する際、必然的に「ゆっくり」するもの。これが本当のいい練習!?
「ゆっくり練習」がよいのではなく、「ゆっくり確認練習」がよい!? 「確認しよう」という意識の有無で、練習の効果は雲泥の差を生み出すかもしれません・・・ 有意義に練習時間を使いたいものです!
上手な人というのは、ものごとを確認し、それをしっかり手中に収めている人なのかもしれない!? 彼等にとっては、それは当然のことだろうが、その当然のことを当然にやっていける人が「上手」!?
難所など「弾けない」と思って更に練習していても、一向に上手になってゆかない・・・という体験をしている方は少なからずいるのではないでしょうか?もしかすると「弾けない」という思いから生ずるストレスは、体をより一層硬くさせて、より一層弾けなくさせているのかも!?
「弾けない」のは「体が硬くなってしまっているから」だとすると、「弾けない!」と思い過ぎて練習に取り組むことは、余計に体が硬くなってしまうという悪循環に!? 闇雲に練習するのではなく、たとえば「弾けないのは何故なのかな?」と冷静に確認し理解し工夫することが「弾ける」ための急がば回れ!?
「弾けない箇所」を、冷静に・具体的に・知性を使って弾けるように身に付ける方法のひとつ【その箇所の音符達の「音程間隔」を数字(5度、4度、あるいは長短3度など)として敢えて取り上げてみて、その距離感を理解し感知できるようになること】というのを実験中です。
「上手くいかない時」ほど「がんばらねば!」と思うのではなく、「リラックスしよう。」と思うことで、上手くいくかも? また「なぜ上手くいかないのだろう?」と考え工夫することも大事でしょう。
いずれにしろ、なんというジレンマ!?なんという矛盾!? 上手くいかないからこそ「がんばろう」とする心が、上手くいかなくなる更なる元凶となりえるとは!? 上手くいかない時ほど「抜く」ことを知れたら、どんなによいだろう!?
余裕は、持とうとして、持てるものではなさそう・・・「持とう」という意気込みが、すでに余裕とは合いそぐわないものだから? 余裕は「持つ」のではなく「ある」ものとなれれば、それが本当の余裕!?