吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私には、
グールドという人が、
私たち常人に比べて、
はるかに微視的な感受性をもっていて、
何気なくひきながされ、何気なくききすごされる部分でも、
音の一つ一つについて、より精密に、より強度に表象できる
異常に鋭感で迅速な感覚をもっているのではないか、
という気がしてならない。
だが、
ベートーヴェンはむずかしい。
彼は、そういう細部を積み重ねていって
全体になるというのでない音楽をかいた
天才なのである。
つまりベートーヴェンの音楽では、
各部分はある指向性をもっていて、
それらはどこからか来て、
どこかへ前進してゆく音楽なのである。
言いかえれば、
すべての部分は全体の中での
それ自身の特定な位置を与えられていて、
その位置づけが明確でないと、きいてもわからない。
少なくとも、私には、
グールドのベートーヴェンは、時々、
その位置づけを離れ、その個所々々での
即自的な美しさが際立ってしまう。
しかし、ダイナミックな躍動は失われいていても、
それぞれの個所はすごく美しい。
私はこの一曲だけでグールドのベートーヴェンを
考えるわけにはいかない。だが、
モーツァルトとなると違う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(つづく)
♪
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私には、
グールドという人が、
私たち常人に比べて、
はるかに微視的な感受性をもっていて、
何気なくひきながされ、何気なくききすごされる部分でも、
音の一つ一つについて、より精密に、より強度に表象できる
異常に鋭感で迅速な感覚をもっているのではないか、
という気がしてならない。
だが、
ベートーヴェンはむずかしい。
彼は、そういう細部を積み重ねていって
全体になるというのでない音楽をかいた
天才なのである。
つまりベートーヴェンの音楽では、
各部分はある指向性をもっていて、
それらはどこからか来て、
どこかへ前進してゆく音楽なのである。
言いかえれば、
すべての部分は全体の中での
それ自身の特定な位置を与えられていて、
その位置づけが明確でないと、きいてもわからない。
少なくとも、私には、
グールドのベートーヴェンは、時々、
その位置づけを離れ、その個所々々での
即自的な美しさが際立ってしまう。
しかし、ダイナミックな躍動は失われいていても、
それぞれの個所はすごく美しい。
私はこの一曲だけでグールドのベートーヴェンを
考えるわけにはいかない。だが、
モーツァルトとなると違う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(つづく)
♪