音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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■モーツァルトの天才 ~ 吉田秀和著『現代の演奏』より

2011年10月30日 | モーツァルト W.A.Mozart
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋


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私のきいたのは、ほかでもない、
(リリー)クラウスがひいたのと同じ
ハ短調の協奏曲である。
http://www.youtube.com/watch?v=qoJAG5pmceg

これをきいていると、まず、
モーツァルトという天才が、
まるで昆虫のような本能でもって、
一分の隙もなく、
音楽の糸を紡ぎ出し、
音の建築をきずきあげたのだということを
痛感しないでいられない。

この完璧さは知的なものではない。
もっと本当的な全体的な働きから生まれたものである。



モーツァルトは、音楽を始める、
その導入の仕方は大変な天才であるが、
この曲ではそれがまたことのほか見事にできている。

主題は発展から生まれるが、
その発展は、例の7度の飛躍で何回も戯れながら、
おのずからな動きが作るのであって、
計算ではない。

こういう自発的で軽快で、
――しかも、特筆すべきことには、
この曲では、それが熱情の流露のうらづけになる――
そういった生成の結果が、いつの間にか、主題になる。


~~中略~~


それはもう、
バッハたちの合奏協奏曲、つまり
トゥッティとソロとの対比で、
ダイナミックと音色の対照的交代を作りながら、
音楽を作ってゆくという発想から、
遠く発展してしまった。

より近代的なダイナミックと和声に裏づけられた
音楽的思考の帰結なのである。

いや、帰結といってはまちがいだろう。
歴史は、決して、
私たちが、後世になってから整理したような筋をおって
生成発展するわけではない。

その帰結とみえるものをなしとげるのには、
モーツァルトの天才が必要だったのだ。

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