馴染みのお店(関西風うどん)で栄養補給完了。店長さんに「明日は、これで(うどん?)ベートーヴェンをやってきます」と勝手に意気込み・・・「明日はベートーヴェンなんです」、ベートーヴェンをやる、考えてみたら不思議な言い回し
「1」という数字が3つ並ぶ、ベートーヴェン最後のピアノソナタ《作品111》。この数字を見るだけでも、ベートーヴェンの意気込みが現れているよう、今は感じます。
《告別ソナタ》も勉強し直し中! この曲にも、沢山の「3」が散りばめられている様が、今は見える気がしています。以前は・・・いや、過去を振り返るのは今はやめよう、明日の集中のために
フルートの巨匠オーレル・ニコレ氏のマスターコースを見学していた際、こうおっしゃっていた。「今、ここ、が大事だ。」ラテン語で言っていたので今は正確には思い出せませんが、意味は確かにこれ。「今、ここ」だそう。そう。
小柄でしゃがれ声、なんとも言えぬ威圧感を部屋中に放ちながら、私はニコレ氏の真後ろに居て背中を見ながら、言っていた言葉・その様子は我が脳裏に鮮明に焼き付いているようです。人間の体験・記憶とはこのようなものでしょうか。
「今、ここ」、表現者としての大事な心構えを教わったのです
ハ長調C-Durの特徴を見事に表した言葉を見付けた気がします(灯台もと暗し!?)。それは「Arietta. Adagio molto semplice e cantabile」これはベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》の終楽章に添えられた標示。
この文はちょっと困ったことがあり、人(先生)によって解釈が違ったのです。シルデ先生は「Adagio molto(とても安らかに)」と・・・バドゥラ・スコダ先生は「molto semplice(とてもシンプルに)」と・・・さて、どうしたものか