音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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「神秘的な表現」「昔取った杵柄」「泣きの表現」 ~ 11月28日(金)のつぶやき

2014年11月29日 | ◆一言◆

神秘的な表現について・・・書こうと思ったのに・・・書けない


今、神秘的なものを手掛ける際に、躊躇された現実的な手を・・・ やっぱり書けない、書きにくい


「だが、この予感されたる精神の世界も、表現されるためには此岸の現実を必要とするのであります」曰くE.フィッシャー


ベートーヴェン《op.111》を勉強中なのであります


・・・恐ろしいことを口走ってしまった!?


本当に恐ろしく、危ない発言だったので、削除・・・ 自戒せねば、でも、ちょっと何か学べた気がする


現実は、本っ当に分からないことだらけ! その中で、なにがしか分かること・現実に則したやるべきことが見えて、それを実践している時の心は落ち着いている、逆に言えば、心の落ち着きが欲しければ、そうするとよい?


昨日の練習は、とっっても・・・辛かった


なぜ昨日の練習が辛かった!?その理由は、昔取った杵柄に頼ろうとしたから!? 昔は昔、今は、今目の前にある現実を見据えて、今やるべきことに集中する、そうすれば、辛くない!?


今日は、なぜか・・・「現実」という言葉を使っている・・・これは「事実」という言葉よりも・・・よりも!?(どっち!?)


演者は「顔で泣いて背中で笑う」とは、こういうこと!? これ、違和感があったのは、泣きの表現で「無理に笑わねばならない」としたら、やはり変な諺だと思う。肝心な事は、ただ泣くのではなく、どう泣くかをコントロールする事実の裏付けの有無を説いている!?と解釈したら納得!?


私は、泣きの表現であれば、真に泣きたいような心でいたい(背中で笑えません(苦笑))、だけど、ただ泣くのではなく、どう泣くかを自分の場合はピアノの鍵盤を通していかに現実に成功させられるかに工夫を凝らして舞台に挑みたい、そうまとめ思いました

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師匠は、後期ベートーヴェンのソナタにおいて(他の作品も皆同じ?)、これを嫌っていたのでしょうか。演奏者の泣き(感動)の心ばかりが先行して、楽譜に書き込まれた精密な音楽する意思が損なわれていた場合、とても怒りました・・・(先生ごめんなさい)


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