吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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このくらい複雑なさまざまの要素から生まれる課題を
一つの調和ある総合の次元で解決するのは、
すでに高度な精神的営みである。
ヴァレリーのいうごとく、
芸術家には、自分から課題を生み出す能力がなければならない。
他人が見ないところに、
問題と条件を見出すこと。
それは、芸術家の創造の基本的働きの外ならない。
そうして優れた再現芸術家の場合、
彼らに与えられた楽譜は、
解いても解いても、次々と生まれる謎に満ちている。
その謎の発見と解決の隠れん坊の中に、
彼らの精神の高貴さが至現される。
シゲティのような芸術家の場合は、まさにそうである。
その結果、彼の演奏は、
高い知性と作曲家に対する明確な責任の意識、
それから非妥協的で頑強な意志と、
技術的肉体的な困難との衝突の場所になり、
そこから厳粛な、非常に緊張度の高い、鋭い演奏が生まれる。
それは極度に〈美的〉で倫理的な行為である。
私は、そのすべてを、
彼をはじめてきいた時から理解したとはいえない。
むしろ、私は何かそこで凄まじいことが行われているのを感じ、
きき進むにつれてそれに魅せられていったのだ。
ついにそれが、忘れがたいものとなるまで。
だが誤解してほしくない。私は、自分に――
また、彼の数多くの演奏に接した、数多くの聴衆に――
この体験を与えてくれたから、彼の演奏を〈意味深い演奏〉と呼ぶのではない。
彼の出す音が、能うる限り考えぬき、
頑強にその実現を追究する人間が音楽から掴みだした、
正確に音楽的な意味で充実しているから、
そう呼ぶのである。
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