クラシック音楽の有名作曲家達の境遇について、
よく聞く話があります。
それは、
いったん有名になったはよいものの、
デビューした初期の楽曲ばかりがクローズアップされてしまうという。
ブレイク以後、作曲活動を進め、その創作レヴェルも上がってきているだろうに、
世間からは、新しく書いた作品よりも、過去の未熟な作品(←作者本人はそう感じることが多いそう、
なぜなら、自身は時間を経ることでどんどんレヴェルアップしているのだから)の方が
新しく書いたものよりも好まれ、過去の作品の方が求められ続ける・・・
そのジレンマに苦しむ・・・という話。
その例が、ふと、いくつも思い出され、
ちょっとまとめてみたくなりました。
●ベートーヴェンの場合
どこかのものの本に、ベートーヴェン自身が言っていたという
文章があるのを記憶しています。
「世間では、《cis-mollのソナタ》(←いわゆる、今日なおあの有名な《月光ソナタ》のこと)
ばかりが好まれているが、そんな曲よりも、最近書いた《Fis-Dur》の方がよっぽどよい出来なのに!」
といった内容。
《Fis-Dur》とは、《ピアノソナタ第24番 Fis-Dur嬰へ長調 作品78》で、
俗称を「テレーゼ」と呼ばれる曲です。これは、この作品の献呈者が
テレーゼ・フォン・ブルンスヴィク女史であることから、この名で呼ばれるようです。
彼女は、ベートーヴェンの「不滅の恋人」の候補者としても挙がったほど、
ベートーヴェンに近かった人物の一人・・・実際には、テレーゼの妹である
ヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィク女史が、不滅の恋人その人であろう、
という有力な説が、今日では言われています。(アントニア・ブレンターノ女史がそうと
いう説もありますが、私個人は、ヨゼフィーネであろうと考えています。
決定的な精神的・物理的証拠!?があるのです。機会があればご紹介したく思っております)
話が脱線してしまいましたが、
要するに、《ピアノソナタ第14番 作品27-2 cis-moll「月光」》よりも
《ピアノソナタ第24番 作品78 Fis-Dur》の方が、
それを書いたばかりの作者本人にとっては、
ずっと出来栄えのよいものであったという自負があり、
しかし、それがイマイチ世間に認められず、結局は《月光ソナタ》(と当時
呼ばれていたかどうかは分かりません・・・きっとまだ「月光」とは言われていなかったはず)
の方が、ずっと人気がある・・・
その状況を、苦々しく思っていたという、
ベートーヴェンの証言が、あるそうです。
●ラフマニノフの場合
フィギュアスケートの浅田真央さんが使用していた楽曲でもある
《前奏曲 cis-moll 作品3-2「鐘」》もまた
ラフマニノフにとっての因縁!?の曲だったようです・・・
映画『ラフマニノフ』を以前見たことがあるのですが(正式名称が思い出せず・・・
ごめんなさい、でも、確かにラフマニノフが主役で、その人生を描いた映画でした)
始めの方のシーンだったかしら、
鉄道に乗ってアメリカ中を移動し、どの場所へ行っても
《前奏曲「鐘」》を弾かずには、聴衆は帰ろうとしない・・・
画面には、この曲を弾く指の映像と、
ゴォーーーと轟く蒸気機関車の姿が交互に現れ、
まさに、気も違わんばかり!?という表現がなされていたのを覚えています・・・
アメリカに移住しているラフマニノフは、
初期の《鐘》を書いてから、ずいぶんと時間が経って、
作曲家として、どんどん円熟していっている最中・・・
色々な曲を沢山書いているのに、結局は《鐘》が一番人気となって
リサイタルの最後に、これを弾かずには帰れない・・・
それまでのプログラムがどうであれ、
結局は最後に、呪わしい!?自身の未熟な作品が
聴衆から歓迎される、という現実を目の当たりにされ続ける・・・
それで、ノイローゼになってしまう、精神を病んでしまう、という描写でした。
そして、事実の話しと聞いております。
●ハチャトゥリアンの場合
これはもちろん(←と言葉にする時点で、作曲者に申し訳ないですが・・・でも避けられぬ事実)
《剣の舞》ですね・・・
恐縮ながら、一ピアノ弾きでしかない私は、
ハチャトゥリアンの曲を弾いたことはなく、
また、《剣の舞》以外の曲が、頭に浮かびません・・・
そんな私も一喝されるかの如く(自爆)
ハチャトゥリアンは
「私は、《剣の舞》だけの作曲家ではない!他にもいい曲を沢山書いている!!」
と言って、怒っていたそうです・・・
・・・ごめんなさい・・・
●デュティユーの場合
これは私自身がやってしまった体験・・・初公表となりましょうか・・・
(パソコンを打つ手に、変な汗が出てきた・・・穴があったら入りたいような気持?・・・自爆)
いつぞやのサイトウ記念オーケストラ松本公演にて、
作曲家アンリ・デュティユーご本人が来日し、
自身の曲(歌とオーケストラのためのもの、3曲セットの、伝統的なフランス音楽と
思ったことを覚えております)が演奏され、私はオーケストラ内につてがあり、
演奏会後の舞台裏へご挨拶へ行かせていただいたのですが、
その道すがら、その作曲者ご本人が、目の前を同じ方向へ歩いていたのです。
私はフルートの伴奏をすることが多く、
《フルートのためのソナティネ》はよく弾いていた作品でした。
そこで、
目の前にいらっしゃる作曲家に!!勇気を振り絞って声をかけさせていただいたのです!
「マエストロ、素晴らしかったです!私はピアノ弾きで、
よく《フルートのためのソナティネ》を演奏させていただいています」
と言ったのです。
・・・すると氏は不機嫌そうに
「あぁ・・・またあの曲か・・・」
とおっしゃったかどうか・・・定かではありませんが、
完全に、嫌がられてしまったニュアンスを、
・・・私は忘れることができません・・・
・・・ごめんなさい・・・
(さっきから、謝ってばかり(笑))
●ラヴェルの場合
最後に、今日はこれが言いたかったのです。
ラヴェルの場合。
ラヴェルは、晩年は不幸なことに、
タクシーの事故に巻き込まれて脳に重傷を負い、
記憶障害となってしまったと聞いております・・・
そのような悲しい境遇にあったラヴェル・・・
ある時、自身がかつて作曲した作品である《亡き王女のためのパヴァーヌ》が聞こえてきて、
言ったそうです。
「これは、なんと美しい音楽だ!!この作曲者は誰だ?」
のようなことを・・・
以上、
有名作曲家達の、自身の有名曲ゆえの苦悩を、いくつか挙げてみましたが、
最後のラヴェルにおいてのみ、
事故による記憶障害という悲しい状況ではありますが、
作曲者自身が、自分の曲に素直に喜べる、ということも
無くはないのかな、と、
思った次第でした・・・
そして最後の最後に、
自身の若かりし頃の作品を苦々しく思っておられる大作曲家の方々に一言!
先生方の作品は、本当に、どれも充実した素晴らしいもの「ばかり」です♪
これはお世辞おべんちゃらではない、大家の真実の業績。
その中でも、
一般的には、やはりキャッチーな有名曲が
どうしても最前線にきてしまうという事実・・・
これは多くの場合、作者が年齢とともに練磨してゆく作品が
一般的な感覚からは離れて難解なものとなってゆくという傾向が
きっと少なからずあるのではないかとも推察され、ゆえに、
若い頃の作品の方が、人々には聞き馴染みやすく、人気もある、
という現象と、解析できましょうか?
(そういえばショパンも、初期の作品群の方が人気ランキングに
集中していました。《英雄ポロネーズop.53》のみ例外?)
なので、
どうぞ、お気を悪くなさらず、ご堪忍くださいませ!(笑)
みんな亡くなっている人達ばかり・・・どうぞあの世で安らかに(笑)
素晴らしいクラシック音楽の作品達を、
我々は今日なお、愉しませていただいております♪
♪
よく聞く話があります。
それは、
いったん有名になったはよいものの、
デビューした初期の楽曲ばかりがクローズアップされてしまうという。
ブレイク以後、作曲活動を進め、その創作レヴェルも上がってきているだろうに、
世間からは、新しく書いた作品よりも、過去の未熟な作品(←作者本人はそう感じることが多いそう、
なぜなら、自身は時間を経ることでどんどんレヴェルアップしているのだから)の方が
新しく書いたものよりも好まれ、過去の作品の方が求められ続ける・・・
そのジレンマに苦しむ・・・という話。
その例が、ふと、いくつも思い出され、
ちょっとまとめてみたくなりました。
●ベートーヴェンの場合
どこかのものの本に、ベートーヴェン自身が言っていたという
文章があるのを記憶しています。
「世間では、《cis-mollのソナタ》(←いわゆる、今日なおあの有名な《月光ソナタ》のこと)
ばかりが好まれているが、そんな曲よりも、最近書いた《Fis-Dur》の方がよっぽどよい出来なのに!」
といった内容。
《Fis-Dur》とは、《ピアノソナタ第24番 Fis-Dur嬰へ長調 作品78》で、
俗称を「テレーゼ」と呼ばれる曲です。これは、この作品の献呈者が
テレーゼ・フォン・ブルンスヴィク女史であることから、この名で呼ばれるようです。
彼女は、ベートーヴェンの「不滅の恋人」の候補者としても挙がったほど、
ベートーヴェンに近かった人物の一人・・・実際には、テレーゼの妹である
ヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィク女史が、不滅の恋人その人であろう、
という有力な説が、今日では言われています。(アントニア・ブレンターノ女史がそうと
いう説もありますが、私個人は、ヨゼフィーネであろうと考えています。
決定的な精神的・物理的証拠!?があるのです。機会があればご紹介したく思っております)
話が脱線してしまいましたが、
要するに、《ピアノソナタ第14番 作品27-2 cis-moll「月光」》よりも
《ピアノソナタ第24番 作品78 Fis-Dur》の方が、
それを書いたばかりの作者本人にとっては、
ずっと出来栄えのよいものであったという自負があり、
しかし、それがイマイチ世間に認められず、結局は《月光ソナタ》(と当時
呼ばれていたかどうかは分かりません・・・きっとまだ「月光」とは言われていなかったはず)
の方が、ずっと人気がある・・・
その状況を、苦々しく思っていたという、
ベートーヴェンの証言が、あるそうです。
●ラフマニノフの場合
フィギュアスケートの浅田真央さんが使用していた楽曲でもある
《前奏曲 cis-moll 作品3-2「鐘」》もまた
ラフマニノフにとっての因縁!?の曲だったようです・・・
映画『ラフマニノフ』を以前見たことがあるのですが(正式名称が思い出せず・・・
ごめんなさい、でも、確かにラフマニノフが主役で、その人生を描いた映画でした)
始めの方のシーンだったかしら、
鉄道に乗ってアメリカ中を移動し、どの場所へ行っても
《前奏曲「鐘」》を弾かずには、聴衆は帰ろうとしない・・・
画面には、この曲を弾く指の映像と、
ゴォーーーと轟く蒸気機関車の姿が交互に現れ、
まさに、気も違わんばかり!?という表現がなされていたのを覚えています・・・
アメリカに移住しているラフマニノフは、
初期の《鐘》を書いてから、ずいぶんと時間が経って、
作曲家として、どんどん円熟していっている最中・・・
色々な曲を沢山書いているのに、結局は《鐘》が一番人気となって
リサイタルの最後に、これを弾かずには帰れない・・・
それまでのプログラムがどうであれ、
結局は最後に、呪わしい!?自身の未熟な作品が
聴衆から歓迎される、という現実を目の当たりにされ続ける・・・
それで、ノイローゼになってしまう、精神を病んでしまう、という描写でした。
そして、事実の話しと聞いております。
●ハチャトゥリアンの場合
これはもちろん(←と言葉にする時点で、作曲者に申し訳ないですが・・・でも避けられぬ事実)
《剣の舞》ですね・・・
恐縮ながら、一ピアノ弾きでしかない私は、
ハチャトゥリアンの曲を弾いたことはなく、
また、《剣の舞》以外の曲が、頭に浮かびません・・・
そんな私も一喝されるかの如く(自爆)
ハチャトゥリアンは
「私は、《剣の舞》だけの作曲家ではない!他にもいい曲を沢山書いている!!」
と言って、怒っていたそうです・・・
・・・ごめんなさい・・・
●デュティユーの場合
これは私自身がやってしまった体験・・・初公表となりましょうか・・・
(パソコンを打つ手に、変な汗が出てきた・・・穴があったら入りたいような気持?・・・自爆)
いつぞやのサイトウ記念オーケストラ松本公演にて、
作曲家アンリ・デュティユーご本人が来日し、
自身の曲(歌とオーケストラのためのもの、3曲セットの、伝統的なフランス音楽と
思ったことを覚えております)が演奏され、私はオーケストラ内につてがあり、
演奏会後の舞台裏へご挨拶へ行かせていただいたのですが、
その道すがら、その作曲者ご本人が、目の前を同じ方向へ歩いていたのです。
私はフルートの伴奏をすることが多く、
《フルートのためのソナティネ》はよく弾いていた作品でした。
そこで、
目の前にいらっしゃる作曲家に!!勇気を振り絞って声をかけさせていただいたのです!
「マエストロ、素晴らしかったです!私はピアノ弾きで、
よく《フルートのためのソナティネ》を演奏させていただいています」
と言ったのです。
・・・すると氏は不機嫌そうに
「あぁ・・・またあの曲か・・・」
とおっしゃったかどうか・・・定かではありませんが、
完全に、嫌がられてしまったニュアンスを、
・・・私は忘れることができません・・・
・・・ごめんなさい・・・
(さっきから、謝ってばかり(笑))
●ラヴェルの場合
最後に、今日はこれが言いたかったのです。
ラヴェルの場合。
ラヴェルは、晩年は不幸なことに、
タクシーの事故に巻き込まれて脳に重傷を負い、
記憶障害となってしまったと聞いております・・・
そのような悲しい境遇にあったラヴェル・・・
ある時、自身がかつて作曲した作品である《亡き王女のためのパヴァーヌ》が聞こえてきて、
言ったそうです。
「これは、なんと美しい音楽だ!!この作曲者は誰だ?」
のようなことを・・・
以上、
有名作曲家達の、自身の有名曲ゆえの苦悩を、いくつか挙げてみましたが、
最後のラヴェルにおいてのみ、
事故による記憶障害という悲しい状況ではありますが、
作曲者自身が、自分の曲に素直に喜べる、ということも
無くはないのかな、と、
思った次第でした・・・
そして最後の最後に、
自身の若かりし頃の作品を苦々しく思っておられる大作曲家の方々に一言!
先生方の作品は、本当に、どれも充実した素晴らしいもの「ばかり」です♪
これはお世辞おべんちゃらではない、大家の真実の業績。
その中でも、
一般的には、やはりキャッチーな有名曲が
どうしても最前線にきてしまうという事実・・・
これは多くの場合、作者が年齢とともに練磨してゆく作品が
一般的な感覚からは離れて難解なものとなってゆくという傾向が
きっと少なからずあるのではないかとも推察され、ゆえに、
若い頃の作品の方が、人々には聞き馴染みやすく、人気もある、
という現象と、解析できましょうか?
(そういえばショパンも、初期の作品群の方が人気ランキングに
集中していました。《英雄ポロネーズop.53》のみ例外?)
なので、
どうぞ、お気を悪くなさらず、ご堪忍くださいませ!(笑)
みんな亡くなっている人達ばかり・・・どうぞあの世で安らかに(笑)
素晴らしいクラシック音楽の作品達を、
我々は今日なお、愉しませていただいております♪
♪