2008年の今年は、
クラシック音楽業界においては、
20世紀を代表する大指揮者の一人
ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕100年を記念する年
として、彼の名前がよく取りざたされています。
今日は、
そんなカラヤンに関連するコンサートへ行ってきました。
コンサートというよりも、
レクチャー・講義を主体としたものでした。
レクチャーを担当するウィーン・フィル楽団長のお話
(このレクチャー・コンサートは、カラヤン生誕100年とともに
ウィーン・フィルハーモニー協会創立100周年も合わさった主旨でした)
に続いて現れたのは、現代クラシック業界を代表する指揮者の一人、
リッカルド・ムーティ氏でした。
イタリア人の、低く艶のある「威厳」を十二分に感じさせるお声から
発せられる言葉は、人を魅きつけてしまう力を有しているかのようです。
マエストロはこんな話をしていました。
まだ御自分の若かりし頃、カラヤンに目をつけてもらい、
栄誉あるザルツブルク音楽祭の指揮者として大抜擢してもらったこと。
ある早朝、突然鳴り響く電話のベルに、
とても腹立たしく思って電話に出た若いムーティを電話口で迎えたのは
バスバリトンのような低くて艶のある(ムーティ氏も同じような声では?)
声で、
「カラヤンだ。」
と言われて、ビックリしたのだそうです。
話の用件は、
「再来年の夏、ザルツブルク音楽祭で
モーツァルトの《コシ・ファン・トゥッテ》を振らないか?」
という打診でした。
まだほとんど無名に近い若いイタリア人指揮者に、突如
ザルツブルク音楽祭での《コシ・ファン・トゥッテ》を任せようという、
カラヤンの思い描く「若手の発掘」という重大な仕事を
彼が遂行していたという話だったようです。
ついでに、
この時の電話の話は「決して他言しないように」と念を押され、
ザルツブルク音楽祭における「サプライズ」を
カラヤンが強く意識していたというのですが・・・
さらにもうひとつ、
今回のレクチャーでは、本邦初公開と言われる
ムーティ氏とカラヤンをつなぐエピソードが紹介されました。
それは、1989年の夏に急逝したカラヤンが、
自身がザルツブルク音楽祭で振る予定だったオペラ
《仮面舞踏会》(ヴェルディ作曲)を、
カラヤンが亡くなってしまった後、
一体誰が代役を務めるのか、という話でした。
カラヤンは、「代役なら、ムーティを」と言い残していたというのです。
そして再び、
ムーティに電話がかかってきたのだそうです。
「マエストロ・カラヤンが亡くなりました。つきましては、
カラヤンの振る予定だった《仮面舞踏会》を
あなたがやってくれますか?」という依頼だったそうです。
しかし、
今回のムーティは、それを断ったのだそうです。
カラヤンの立つべきだった指揮台に上がれるものはいない・・・
カラヤンは、カラヤンでしかない、
彼以外の、何者も務まるものではない・・・と。
実際には、
興行としてのザルツブルク音楽祭は、どうしても
これを公演する必要があり、他の指揮者が
この重責を担ったのだそうです・・・
―――――――――――――――――――――――――――
さて・・・
これらの二つのエピソードを聞いてみて、
果たして、これらはムーティ氏の自慢話なのでしょうか?
こうして今まで書きながらも、ふと、
なんともこのようなエピソードは、一人の人間の
自身の功績を披露しようという醜い心の現われなのだろうか
と懐疑的になってしまったりもしたのですが、
今一度、
彼の、ムーティの置かれている立場を思い返し、
これらの言葉の真意を覗いてみようとしますと・・・
世界中の一流と言われるオーケストラ(=怖い連中)を相手に、
一人、指揮台にのぼり、
彼らを統率しなければならないという役割を担った人間とは、
一体どれほどの重みを背負っているのでしょう。
並大抵のプレッシャーではないでしょう。
それを仕事とし、使命とし、生きがいともしている指揮者という職業。
そして、
カラヤンという、20世紀のクラシック業界の真ん中に生きた
一人の大指揮者から、次世代の指揮者が声をかけられ、
大きな仕事を任されるというのは、
一体どのような気持ちなのでしょう・・・
大きな勇気と自信、そして使命感を担って
猛者ども(←オーケストラのこと)の前に一人立つ指揮者としての
心構えは、このような「託される」というエピソードを通して
より大きな確固たるものとなって根付くのではないだろうか・・・
そのように考えるならば、
ムーティ氏の口から語られたカラヤンとのエピソードは、
決して単なる自慢話であったとは思えなくなるのです。
そのように考えるならば、
ムーティ氏の口から語られたカラヤンとのエピソードは、
決して単なる自慢話であったとは思えなくなるのです。
もちろん、ムーティだけが
カラヤンに発掘された若き才能であったわけではありません。
日本を代表する指揮者小澤征爾さんも、その一人です。
今回のレクチャーコンサートを通して、
ムーティ氏の口から発せられた言葉は、今日の
カラヤンの手のかかった指揮者達を代表しての、
「指揮者から指揮者へ」=「人から人へ」と受け継がれることの
かけがえの無い重要性が籠もっているように受け取られたのでした。
↑ブログランキングに↑応援よろしくお願いします
…………………………………………………………………
この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
…………………………………………………………………
クラシック音楽業界においては、
20世紀を代表する大指揮者の一人
ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕100年を記念する年
として、彼の名前がよく取りざたされています。
今日は、
そんなカラヤンに関連するコンサートへ行ってきました。
コンサートというよりも、
レクチャー・講義を主体としたものでした。
レクチャーを担当するウィーン・フィル楽団長のお話
(このレクチャー・コンサートは、カラヤン生誕100年とともに
ウィーン・フィルハーモニー協会創立100周年も合わさった主旨でした)
に続いて現れたのは、現代クラシック業界を代表する指揮者の一人、
リッカルド・ムーティ氏でした。
イタリア人の、低く艶のある「威厳」を十二分に感じさせるお声から
発せられる言葉は、人を魅きつけてしまう力を有しているかのようです。
マエストロはこんな話をしていました。
まだ御自分の若かりし頃、カラヤンに目をつけてもらい、
栄誉あるザルツブルク音楽祭の指揮者として大抜擢してもらったこと。
ある早朝、突然鳴り響く電話のベルに、
とても腹立たしく思って電話に出た若いムーティを電話口で迎えたのは
バスバリトンのような低くて艶のある(ムーティ氏も同じような声では?)
声で、
「カラヤンだ。」
と言われて、ビックリしたのだそうです。
話の用件は、
「再来年の夏、ザルツブルク音楽祭で
モーツァルトの《コシ・ファン・トゥッテ》を振らないか?」
という打診でした。
まだほとんど無名に近い若いイタリア人指揮者に、突如
ザルツブルク音楽祭での《コシ・ファン・トゥッテ》を任せようという、
カラヤンの思い描く「若手の発掘」という重大な仕事を
彼が遂行していたという話だったようです。
ついでに、
この時の電話の話は「決して他言しないように」と念を押され、
ザルツブルク音楽祭における「サプライズ」を
カラヤンが強く意識していたというのですが・・・
さらにもうひとつ、
今回のレクチャーでは、本邦初公開と言われる
ムーティ氏とカラヤンをつなぐエピソードが紹介されました。
それは、1989年の夏に急逝したカラヤンが、
自身がザルツブルク音楽祭で振る予定だったオペラ
《仮面舞踏会》(ヴェルディ作曲)を、
カラヤンが亡くなってしまった後、
一体誰が代役を務めるのか、という話でした。
カラヤンは、「代役なら、ムーティを」と言い残していたというのです。
そして再び、
ムーティに電話がかかってきたのだそうです。
「マエストロ・カラヤンが亡くなりました。つきましては、
カラヤンの振る予定だった《仮面舞踏会》を
あなたがやってくれますか?」という依頼だったそうです。
しかし、
今回のムーティは、それを断ったのだそうです。
カラヤンの立つべきだった指揮台に上がれるものはいない・・・
カラヤンは、カラヤンでしかない、
彼以外の、何者も務まるものではない・・・と。
実際には、
興行としてのザルツブルク音楽祭は、どうしても
これを公演する必要があり、他の指揮者が
この重責を担ったのだそうです・・・
―――――――――――――――――――――――――――
さて・・・
これらの二つのエピソードを聞いてみて、
果たして、これらはムーティ氏の自慢話なのでしょうか?
こうして今まで書きながらも、ふと、
なんともこのようなエピソードは、一人の人間の
自身の功績を披露しようという醜い心の現われなのだろうか
と懐疑的になってしまったりもしたのですが、
今一度、
彼の、ムーティの置かれている立場を思い返し、
これらの言葉の真意を覗いてみようとしますと・・・
世界中の一流と言われるオーケストラ(=怖い連中)を相手に、
一人、指揮台にのぼり、
彼らを統率しなければならないという役割を担った人間とは、
一体どれほどの重みを背負っているのでしょう。
並大抵のプレッシャーではないでしょう。
それを仕事とし、使命とし、生きがいともしている指揮者という職業。
そして、
カラヤンという、20世紀のクラシック業界の真ん中に生きた
一人の大指揮者から、次世代の指揮者が声をかけられ、
大きな仕事を任されるというのは、
一体どのような気持ちなのでしょう・・・
大きな勇気と自信、そして使命感を担って
猛者ども(←オーケストラのこと)の前に一人立つ指揮者としての
心構えは、このような「託される」というエピソードを通して
より大きな確固たるものとなって根付くのではないだろうか・・・
そのように考えるならば、
ムーティ氏の口から語られたカラヤンとのエピソードは、
決して単なる自慢話であったとは思えなくなるのです。
そのように考えるならば、
ムーティ氏の口から語られたカラヤンとのエピソードは、
決して単なる自慢話であったとは思えなくなるのです。
もちろん、ムーティだけが
カラヤンに発掘された若き才能であったわけではありません。
日本を代表する指揮者小澤征爾さんも、その一人です。
今回のレクチャーコンサートを通して、
ムーティ氏の口から発せられた言葉は、今日の
カラヤンの手のかかった指揮者達を代表しての、
「指揮者から指揮者へ」=「人から人へ」と受け継がれることの
かけがえの無い重要性が籠もっているように受け取られたのでした。
↑ブログランキングに↑応援よろしくお願いします
…………………………………………………………………
この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
…………………………………………………………………