実は正直申しまして、
クラシックの音楽を日頃からする上で、
「感情をこめる」という言葉を使うのを避けていた時期がありました。
以前の記事(およそちょうど一年前)に、そんな内容を書いたこともあります。
http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/e/fb850c27ce1fb46469b26de5256fee15
しかし、
実は最近になって、実地のレッスンが増えてくるに従い、
(おかげさまで生徒さんが増えてきました!
いらして下さっている皆様に感謝申し上げます。)
様々な音楽に関する考察・ディスカッションを通じて、
より多くのアイディアが沸きだし、
そうした内に「感情をこめる」という言葉も、
決して悪いものではないかなと、再び思えるようになってきました。
肝心なのは、
「こめるべきところにこめる」ということのようです。
では、
「こめるべきところ」とは?
今の自分が思う限りにおいてですが、
これは、
「音楽的知識」「和声の知識」など、
魅力ある音楽的「パターン」を見極め、会得することによって
「感情をこめるべきところ」がおのずと
見えてくるようになるのではないか、と信じるのです。
これには、以前の自分自身の、
辛らく苦しい音楽的体験が思い出されもするのです。
(もちろん時に今でも・・・)
それは、自分が演奏をしながら、練習をしながら、
なんとも苦しい感覚を抱きながら、ピアノに・音楽に向かうことが
少なからずありました。(もちろん時に今でも・・・)
素晴らしく魅力的な音楽を前に、
これを「表現したい」「感情を込めたい」と
無意識の内にでも思ってしまっていたのでしょうか・・・
それは、若いピアノ弾き(まだまだ若輩者ですが・・・)に
「不自然な苦しさ」として、のしかかっていたのかもしれません。
そうした状況を打破するのが、もしかすると
「感情を込めるべきところに込める」という
アイディアにあるのかもしれません。
具体的には、
●和声の流れに裏付けされた音楽の抑揚
●旋律に現れる不協和音(掛留音、イ音)
が、
大きなポイントとなるようです。これは、
師匠クラウス・シルデ先生が、口を酸っぱくして
何度も何度も繰り返し教えられたものなのです。
ドイツを離れ、師を離れ一年半の月日が流れ、
師の言葉の数々は、いよいよ重みをもって
脳裏をよぎるのです。
「感情を込めるべきところに込める」
音楽における「知識」を、「感覚」に照らし合わせて、
この高度な音楽芸術「クラシック」の道を
極めてゆきたいものです。
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この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
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「感情をこめる」という言葉を使うのを避けていた時期がありました。
以前の記事(およそちょうど一年前)に、そんな内容を書いたこともあります。
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より多くのアイディアが沸きだし、
そうした内に「感情をこめる」という言葉も、
決して悪いものではないかなと、再び思えるようになってきました。
肝心なのは、
「こめるべきところにこめる」ということのようです。
では、
「こめるべきところ」とは?
今の自分が思う限りにおいてですが、
これは、
「音楽的知識」「和声の知識」など、
魅力ある音楽的「パターン」を見極め、会得することによって
「感情をこめるべきところ」がおのずと
見えてくるようになるのではないか、と信じるのです。
これには、以前の自分自身の、
辛らく苦しい音楽的体験が思い出されもするのです。
(もちろん時に今でも・・・)
それは、自分が演奏をしながら、練習をしながら、
なんとも苦しい感覚を抱きながら、ピアノに・音楽に向かうことが
少なからずありました。(もちろん時に今でも・・・)
素晴らしく魅力的な音楽を前に、
これを「表現したい」「感情を込めたい」と
無意識の内にでも思ってしまっていたのでしょうか・・・
それは、若いピアノ弾き(まだまだ若輩者ですが・・・)に
「不自然な苦しさ」として、のしかかっていたのかもしれません。
そうした状況を打破するのが、もしかすると
「感情を込めるべきところに込める」という
アイディアにあるのかもしれません。
具体的には、
●和声の流れに裏付けされた音楽の抑揚
●旋律に現れる不協和音(掛留音、イ音)
が、
大きなポイントとなるようです。これは、
師匠クラウス・シルデ先生が、口を酸っぱくして
何度も何度も繰り返し教えられたものなのです。
ドイツを離れ、師を離れ一年半の月日が流れ、
師の言葉の数々は、いよいよ重みをもって
脳裏をよぎるのです。
「感情を込めるべきところに込める」
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