音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆ソロの曲も楽譜を見て弾く宣言!?

2009年07月18日 | 音楽(一般)
ピアノを弾く多くの人々にとって、
「暗譜で弾くのか」
「楽譜を見て弾くのか」
は底知れぬ大きな問題といえるのではないでしょうか。

もちろん、
ほとんどの試験やコンクールでは「暗譜」が義務付けられ、
勉強する過程の者にとって「暗譜」は必須というのが
今日のピアノ界の常識といって過言ではないでしょう。

しかし、
この常識に疑問・意義を唱える人々も
少なからず今日には現われているようです。


大作曲家の作品=楽譜には、
暗譜しきれないほどの多くの情報が
記載されております。


もちろん、我々ピアノ弾きは
その全てを把握して暗譜することを目標ともします。

それにしても、楽譜に記載された
「全て」を網羅するということは
並大抵のことではありません。

さらに深くそのことを考えるならば、
あまりに「楽譜に記載されたことを全て演奏する」ことを
目標としてしまうのは、音楽そのものから離れた
本末転倒の結果に結びついてしまう危険すら
あるのかもしれません・・・

暗譜して演奏されたものは、
その奏者本人の血肉となって
表現されたものと言ってよいでしょう、
それが楽譜の指示であっても、あるいはその人の
その時・その場の感性であっても。

これは決して悪く批判されるだけのことではありません。
生き生きとした有機的な演奏は、
音楽のよろこびそのものと不可分と思われますから。


それでは、
ピアノ弾きは、自分の演奏を全て暗譜で弾く義務があるのかどうか!?
を考えますと・・・その「義務」とは、決して磐石とはいえない土台の上に
あるような気もするのです。


演奏が・音楽がよければどちらでもよい!?


よければよい、
いいものはいい、
その原点に立ち返って考えてみますと、
「楽譜を見ながら演奏する」ことの価値も
少なからずあるように思えるのです。


繰り返しますが、クラシック音楽の大家達の楽譜には、
実に事細かに、さまざまな指示が書き込まれています。
そのほとんどは、
彼らの脳裏にある純粋で至高の音楽を現世にもたらさんと
苦渋の労力が払われた彼らの天才の片鱗
ということができるのかもしれません。

そしてそれらの指示は、
その楽譜を目の前にする人々にとっての、
その作曲家の知る「音楽の世界の高み」へと誘われる「道標(みちしるべ)」
と考えることができるのではないでしょうか!?

ここにおいて、作曲家本人以外の意見を極力排して
純粋に作曲家本人によって認められた意思を
出版される楽譜に反映させようとする「原典版」の価値は
多大なものがあると言うことができましょう。

ピアノ独奏といえども、
作曲者本人によって指示される楽譜を目の前にしたときに、
数百年の時を超えて、彼ら偉大な作曲家達が、自らその音楽の秘奥を
楽譜を通して我々に直接示してくれているように
思い・感じられるとしたら・・・


ここに、本番においても楽譜を見て演奏するという行為の
意義と真髄・その価値があるように思えるのです。

ステージの上に奏者は一人・・・だけれども、
楽譜が目の前にあるということで、
そこには楽譜を介在して、その曲の作曲者本人が
その奏者に指示を(指揮を!?)与えてくれているとしたら、
これをステージ上での奏者と作曲家の
「二人三脚」と考えることができるのではないでしょうか!?

コンサートにおいて演奏される音楽の目標が、
その奏者の世界観にあるのか、作曲者の意図するものに追随するのか、
あるいは、「音楽そのもの」なのか・・・


このように色々と考えを巡らせました結果、
2009年7月18日に控えた横浜市青葉区フィリアホールでの演奏会では、
フルートとのアンサンブルの曲だけでなく、
ピアノ独奏の曲においても、楽譜を見ながら演奏してみようと
決心いたしました。

ソロ曲を楽譜を見て弾くことは、
冒頭に書きましたピアノ業界の常識とは相反するところで、
その考え方から生ずる批判がおこるのは当然のことで、
自分自身も迷い、苦しく、実行には勇気のいる行為となります・・・

さらには、
まだアラサー(around thirty)の年代にして
暗譜でない演奏をすることにも、疑問の余地が残ります・・・
だって、まだまだ努力しなければならない年齢なのだから・・・
しかし、上記にまとめましたある音楽的信念にのっとり、
今回の演奏会は、ひとつの実験として、
清水の舞台から飛び降りるつもりで!?
楽譜を手にステージにあがってみようと思うのです。

そのためにも、楽譜を見ながらの練習(譜めくり人は無し、
自分でピアノを弾きながらページをめくるのも
演奏の仕事のひとつ!?=これはドイツにて、
室内楽の先生から伝授されたことです)
も進めてきました。


・・・とはいえ、どうなることやら・・・


P.S.
こんなことも考えられました。
21世紀の今日において(この記事を目にされる方々を含め!?)
我々は大量情報社会の真っ只中にいることが実感されましょう。
それは「氾濫」という言葉すら似合うほどの・・・!?

そのような世の中の情報量は、もしかすると
我々人間の脳だけでは処理しきれないほどの
ものなのかもしれません。

楽譜に正確に記載された過去の大作曲家達の価値ある記載を
覚えこむ労力の一部を、よりよい音楽演奏に向けようとする手段として、
21世紀型の演奏芸術において、
「楽譜を見ながら演奏する」というスタイルが定着したら、
これは面白く有意義なクラシック・ピアノ業界の流れとなるのではないかな

・・・なぞと・・・
淡い期待を抱いたりもするのですが・・・


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