from Keitai Web 「最高度のドレミの音感」を修得しているものが、最高の音楽家なのかもしれない!?、なぞと最近考えています。それは「和声を瞬時にとらえ、自分の担当する音が何であるかを、的確に感じ・分かっている能力」とでも言ってみましょうか?すなわちそれが「音程がいい」ということにもなると?
from Keitai Web 「音程」の良し悪しは、決して!!チューナーを使って、それぞれの音がメーターの真ん中に来たからといって良い音程というわけではない!はずです。平均律に分割された単音としてその限りではよいとしても、それは和音の内では、必ずしも良い音程ではない場合があります・・・「良い音程」を勘違いしないこと!?
from Keitai Web 顕著な例で、平均律が「良い音程」に対処できないもののひとつが「導音」だと思われます。「主音に解決したい力を持つ導音」は、平均律で作られた「長七度」より一寸高め(主音に近め)、これが真の導音の音程でしょう。これを感得している人こそ「良い音程の持ち主」と言えましょうか!?
from Keitai Web 「良い音程」を、演奏の現場にて成功させるには、流れゆく音楽その都度考えていたのでは、とても間に合わないでしょう・・・!ゆえに「高度に洗練された感覚」でもって、音程を処理してゆくことが必要なのではないでしょうか。 「感覚」を洗練させる上で「考える」修行も重要だと思います。でも現場では、やはり「感じていること」が大事かも?
by pianistGS on Twitter
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from Keitai Web 顕著な例で、平均律が「良い音程」に対処できないもののひとつが「導音」だと思われます。「主音に解決したい力を持つ導音」は、平均律で作られた「長七度」より一寸高め(主音に近め)、これが真の導音の音程でしょう。これを感得している人こそ「良い音程の持ち主」と言えましょうか!?
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