ずっと以前から、
ベートーヴェンの最後のピアノソナタ
《ソナタ第32番 c-mollハ短調 op.111》に関して、
さまざまな想像・ファンタジーを巡らせていました。
それは、
「神の出現」であったり、
「天空への昇天」であったり・・・
こうした想像は、
全て、《ソナタop.111》を音楽として検証し、
その音たちを追うことで立ち現れた世界であったのですが、
http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/c/091d9e5a5146cd90c20c5e3aba04a1bd
「神」や「天国」といった世界について言及すること、すなわち
現世を生きる我々にとって、未知の世界であり続けるという
これらの事柄を公に言葉にしようという試みは、なんとも言えない
難しさともどかしさを感じることを禁じえないのでした・・・
しかし先ほど、
ベートーヴェンの歌曲の楽譜を紐解き勉強してみたところ、
あるひとつの曲の歌詞が、
これらの自分にとっての想像の世界であった事象を、
作曲家自身によって!?裏付けられるようなものに
出会うことができたのです!!
その曲は、歌曲
《An die Hoffnung(希望に寄せて)op.94》
この曲に用いられている歌詞をいくつか見てみますと、
●“Ob ein Gott sei?”
神はいるのだろうか?
●“Ob vor irgend einem Weltgericht,
Sich dies raetselhafte Sein enthuelle?”
最後の審判の前において、
その存在の謎は解き明かされるのだろうか?
●“lass den Dulder ahnen, dass dort oben
Ein Engel seine Traenen zaehlt!”
耐え忍ぶ人に予感させよ!み空に
天使が涙の数をかぞえていることを
●“Und blicht er auf, das Schicksal anzuklagen,
Wenn scheidend ueber seinen Tagen
Die letzten Strahlen untergehn :
Dann lass ihn um den Rand des Erdentraumes
Von einer nahen Sonne sehn!”
その生涯の日々のなかに去りゆく
最後の光が沈んでゆくとき、
その運命を歎き訴えようと天を仰げば、
この世の夢の果てに、雲をふちどる
ほど近い陽の光のかがやきを、
希望を失ったものに眺めさせよ!
・・・これらの歌詞を使って楽曲としたのは、
(詩はC.B.ティートゲによるもの)
当たり前のことではありますが、
ベートーヴェン本人であります。
よって、
このような詩の内容は、作曲者の心の内に
深くあるものと考えてよいでしょう。
興味深いことに、
この歌曲《Hoffnung(希望)》には、
二つの稿があるようなのです。
ひとつは、
1805年、ベートーヴェン32歳の時に書かれた
《Hoffnung op.32》として・・・
そして、その約8年後、
作曲年1813年~15年の間に、再び同じ詩を使って
《Hoffnung op.94》が書かれたみたいなのです。
この詳細については、
さらに深く検証してみなければなりませんが、
まず分かることは、ベートーヴェンが
二度にも渡って(おそらくはリベンジというつもりで?)
この詩を使って歌曲を書いたという事実が、
彼がこの詩を深く心に留めていた・大事に思っていた
大きな証拠となるのではないでしょうか?
そして、
上記に列したいくつかの言葉の数々は、
以前から自分の持っていたベートーヴェン最後のピアノソナタ
《op.111》に関する湧き上がってきた想像の世界を、
この歌曲《An die Hoffnung》によって裏付けするという
大きな手応えを得たような気がするのです。
上記に取り上げました歌詞達は、
それぞれ、《ピアノソナタop.111》の
特に第II楽章の様々な部分に当てはまると
私には思われるのですが、
それを今回再びここで書き連ねることはいたしませんが・・・
この歌曲《Hoffnung》が証拠となって、
最後のピアノソナタ《op.111》に関する自分のイメージは、
私の勝手な想像を無理やり当てはめようとしているのではなく、
ベートーヴェン自身にも、このような世界観があったであろうことを
我々に知らせてくれるように思えるのです。
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この記事に関するコメントやご連絡等ございましたら、
以下のアドレスまでメッセージをお送り下さい。
PianistSegawaGen@aol.com
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ベートーヴェンの最後のピアノソナタ
《ソナタ第32番 c-mollハ短調 op.111》に関して、
さまざまな想像・ファンタジーを巡らせていました。
それは、
「神の出現」であったり、
「天空への昇天」であったり・・・
こうした想像は、
全て、《ソナタop.111》を音楽として検証し、
その音たちを追うことで立ち現れた世界であったのですが、
http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/c/091d9e5a5146cd90c20c5e3aba04a1bd
「神」や「天国」といった世界について言及すること、すなわち
現世を生きる我々にとって、未知の世界であり続けるという
これらの事柄を公に言葉にしようという試みは、なんとも言えない
難しさともどかしさを感じることを禁じえないのでした・・・
しかし先ほど、
ベートーヴェンの歌曲の楽譜を紐解き勉強してみたところ、
あるひとつの曲の歌詞が、
これらの自分にとっての想像の世界であった事象を、
作曲家自身によって!?裏付けられるようなものに
出会うことができたのです!!
その曲は、歌曲
《An die Hoffnung(希望に寄せて)op.94》
この曲に用いられている歌詞をいくつか見てみますと、
●“Ob ein Gott sei?”
神はいるのだろうか?
●“Ob vor irgend einem Weltgericht,
Sich dies raetselhafte Sein enthuelle?”
最後の審判の前において、
その存在の謎は解き明かされるのだろうか?
●“lass den Dulder ahnen, dass dort oben
Ein Engel seine Traenen zaehlt!”
耐え忍ぶ人に予感させよ!み空に
天使が涙の数をかぞえていることを
●“Und blicht er auf, das Schicksal anzuklagen,
Wenn scheidend ueber seinen Tagen
Die letzten Strahlen untergehn :
Dann lass ihn um den Rand des Erdentraumes
Von einer nahen Sonne sehn!”
その生涯の日々のなかに去りゆく
最後の光が沈んでゆくとき、
その運命を歎き訴えようと天を仰げば、
この世の夢の果てに、雲をふちどる
ほど近い陽の光のかがやきを、
希望を失ったものに眺めさせよ!
・・・これらの歌詞を使って楽曲としたのは、
(詩はC.B.ティートゲによるもの)
当たり前のことではありますが、
ベートーヴェン本人であります。
よって、
このような詩の内容は、作曲者の心の内に
深くあるものと考えてよいでしょう。
興味深いことに、
この歌曲《Hoffnung(希望)》には、
二つの稿があるようなのです。
ひとつは、
1805年、ベートーヴェン32歳の時に書かれた
《Hoffnung op.32》として・・・
そして、その約8年後、
作曲年1813年~15年の間に、再び同じ詩を使って
《Hoffnung op.94》が書かれたみたいなのです。
この詳細については、
さらに深く検証してみなければなりませんが、
まず分かることは、ベートーヴェンが
二度にも渡って(おそらくはリベンジというつもりで?)
この詩を使って歌曲を書いたという事実が、
彼がこの詩を深く心に留めていた・大事に思っていた
大きな証拠となるのではないでしょうか?
そして、
上記に列したいくつかの言葉の数々は、
以前から自分の持っていたベートーヴェン最後のピアノソナタ
《op.111》に関する湧き上がってきた想像の世界を、
この歌曲《An die Hoffnung》によって裏付けするという
大きな手応えを得たような気がするのです。
上記に取り上げました歌詞達は、
それぞれ、《ピアノソナタop.111》の
特に第II楽章の様々な部分に当てはまると
私には思われるのですが、
それを今回再びここで書き連ねることはいたしませんが・・・
この歌曲《Hoffnung》が証拠となって、
最後のピアノソナタ《op.111》に関する自分のイメージは、
私の勝手な想像を無理やり当てはめようとしているのではなく、
ベートーヴェン自身にも、このような世界観があったであろうことを
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