音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆鎮魂歌 - 亡き人々はさいわいである ~ブラームス《ドイツ・レクイエム》第7楽章 解説

2008年04月16日 | ブラームス《ドイツ・レクイエム》

ブラームス《ドイツ・レクイエム》第7楽章


この終楽章において、この楽曲は
やはり「Requiem鎮魂歌」であったことを
思い出させられるのです。


  Selig sind die Toten,
  die in dem Herrn sterben,
  von nun an.
  さいわいなのは亡き人々である、
  主の身元で死ぬ、今から後


・・・日本語に訳すのが非常に難しいです・・・
ただ、明解なのは、
死にゆく人々、ブラームスが送り、そして彼個人に限らず、
我々皆にとって必ずや少なからず見送ってきた人々を想い、
先に旅立った人々は「seligさいわい」であると歌われていることです。




そう、あの人たちは、今、きっと、幸せなのでしょう。




テクストは続きます。


  Ja, der Geist spricht,
  dass sie ruhen von ihrer Arbeit;
  denn ihre Werke folgen ihnen nach.
  そう、精霊は語る、
  彼らは仕事から解き放たれる、
  なぜなら彼らの仕業は彼に連いてゆくから



ここに、第5楽章で「母」によって我々に伝えられた

  Ich habe eine kleine Zeit muehe und Arbeit gehabt
  und habe grossen Trost funden.
  私はほんの小さな時間を、労力と仕事に費やしました、
  そして今、大きな慰みを見つけたのです


という言葉との結びつきが垣間見られ、
そしてその約束が精霊の言葉によっても裏付けられるのです。



今を四苦八苦と生きる我々の仕事(=人生!?)はいつか解放される、
そしてその仕事は無意味なものでなく、
その労力が報われるからこそ、安息の地への旅立ちとなる




この終楽章は、
「seligさいわい」という言葉を軸にして、
この《ドイツ・レクイエム》冒頭1楽章に歌われた


  Selig sind, die da Leid tragen,
  denn sie sollen getroestet werden
  さいわいである、苦悩を背負う者は、
  なぜなら彼らは慰められるべきであるから


という言葉とも結びつくのです。


慰められるもの・さいわいなもの、
現世を生きる我々と、我々よりも先に旅立った
あの人達との接点が、ぼんやりと浮かびあがるようです



指揮者のシュナイト先生が、
4月5日、本番の直前練習(GPゲネラルプローベ)でおっしゃいました、


「今日のこの公演は、皆さん(オーケストラ・コーラス)の身近で
最近亡くなった方々のことをそれぞれに想い、その人達のために
演奏し、歌ってください」
と。



我々は皆、遅かれ早かれ死にゆく者、


あなたは死を受け入れる心の準備は出来ていますか?


「大往生」


このための大きな道しるべのひとつとなってくれるのが
このブラームス作曲《ドイツ・レクイエム》と
言えるのかもしれません。
この意味においても、このクラシック音楽の名作は
我々人類における貴重な財産のひとつと
いうことができるでしょう。

大きな心の充足感をもたらしてくれるこの音楽、
ただ、ひたすら、音楽そのものへの感謝の念が
静かに心に響き渡るような気がしています。



ブラームス作曲《Ein deutsches Requiemドイツ・レクイエム》







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