音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

♪クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています♪ 「YouTubeクラシック音楽道場」も更新中♪

◆大作曲家達が思い起こす自らの若かりし頃の「名作」

2010年02月06日 | ◆一言◆
クラシック音楽の作曲家として大成した人々、 彼等が熟成した後に、 自らの若年に創作した作品を思い返し、それが 良いものであったことを 自ら認めるということが あるようです。 今思い付くところでは、 ショパン作曲の《エチュード ホ長調 op.10-3 「別れの曲」》 20歳の頃に作曲したこの曲のことを、 ショパン自身は後年、 「自分が書いた中でも最も美しいメロディー」 と言ったのだそうです。 . . . 本文を読む
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◆一抹の不安を感じさせる和音 ~ 長調の曲における短調サブドミナント

2010年02月06日 | ◆一言◆
Dur、major、長調の音楽の内で moll、minor、短調の「サブドミナント(4度和音、下属和音)」が出てくるとき、 音楽は、えもいわれぬ「一抹の寂しさ」をかもしだすようです・・・ 例: ショパン作曲 《ノクターン第2番 変ホ長調 op.9-2》 終結部Codaにて 《エチュード第3番 ホ長調 op.10-3 「別れの曲」》終結部Codaにて 自分のドイツ留学時の尊敬する和声 . . . 本文を読む
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◆「人間」を「神格化」する時代は終わった!?

2010年02月04日 | ◆一言◆
かつて、人類の歴史の内には、 ある個人、一人の人間を「神格化」することがあったようです。 ローマ皇帝を神としたり、 あ・・・我々の身近、日本の天皇も つい最近、半世紀前まで 神として崇め奉られていたのは、 記憶に新しい方々も、今なお健在かと思われます。 そう考えてみると、 今回の内容は、非常にナイーヴな、気を付けなければならない事と反省を気付かされるのですが・・・ それはさておき、 勇 . . . 本文を読む
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◆神社等にお詣りするのは心の栄養補給のため

2010年02月04日 | ◆一言◆
日本古来からある神社 手水舎で手を・口を清めて、 心ばかりのお賽銭をして、 二度お辞儀をして、 二度手をたたいて、 もう一度お辞儀をする。 これら定まったひとつの作法、さらには お詣りするという行為そのすべては 「人の心の栄養補給」のための 古来から伝わる「有機的な習わし」なのかしら、と思いました。 それは義務でも強制でもない、 いうなれば、真心(まごころ)からの人としての生きる術・・・ . . . 本文を読む
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◆昨日は節分 ~ 「鬼」は・・・! ?

2010年02月04日 | ◆一言◆
昨日は節分でした。 実家の父に手渡されるまま、 庭の外に向かって声を出して豆を投げてみました。 「福は~~うち~~!!」「鬼は~~そと~~・・・」 ・・・そこで、なんだかちょっと違和感を感じてしまったのです・・・ 人生、良いことと悪いことは、同じ分量だけあるといいます。 お釈迦様の「中道」という説法が思い出されます。 すると、無下に「鬼」を外に追い出してしまってよいものかどうか . . . 本文を読む
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◆ショパン《ノクターン第17番 op.62-1》に見る若き頃の思い出

2010年02月04日 | ショパン Frederic Chopin
20歳の頃にショパンが姉ルドヴィカに宛てて書いた 《Con grand espressione(ノクターン第20番)》が 祖国を去る、この若者の覚悟・決意・予感をしたためたものであろうことを 前回の記事に記しました。 http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/e/63bb813893f0840ceefc858af5169f7f そして、 晩年のショパン35歳 . . . 本文を読む
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◆ショパン《Con grand espressione(ノクターン第20番)》

2010年02月03日 | ショパン Frederic Chopin
ショパン20歳の頃の作曲 《Con grand espressione(ノクターン第20番)》 人々の心揺るがす、若きショパンの名作のひとつです。 この曲には、 若きにして、故郷を生涯去ることとなったショパンの 祖国ポーランドへの想いが切々と現されているようです・・・ 聴く者の・弾く者の心を締め付けるような 切ない音楽・・・ 吹き荒ぶポーランドの冷たい風は 四回に渡って、この曲の終結部Co . . . 本文を読む
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◆真の芸術家になるためには

2010年02月01日 | ◆一言◆
単なる教養人であっても、真の芸術家にはなれない・・・ いくら教養・知識があっても、それでよいわけではなさそう もちろん、あるに越したことはないが。いや・・・ 邪魔になる知識もあるのかも・・・!? 真の芸術家として必要なのは、 蓄積され・されゆく知識や体験を 有機的に活用してゆける 能動的な「精神の働き」なのではないだろうか 過去の・今の芸術家といわれる人々を思い返すと、 そのような . . . 本文を読む
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