ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【食】ファームレストラン リヴィスタ [洋食@砂川]

2008年10月09日 22時03分01秒 | 外食記録2008
ファームレストラン リヴィスタ [洋食@砂川][HomePage][食べログ]
2008.9.7(日)13:10入店(初)
注文 ソーセージのチーズクリームパスタ 980円

・美唄弦楽アンサンブルの砂川での演奏の打ち上げにて。

・砂川を走る国道38号線から砂川パーキングエリア(子どもの国)の脇を通り、歌志内へ抜ける途中の田舎道にあるお店。『岩瀬牧場』という牧場が経営しているレストランです。道路を挟んで向かい側には前出のジェラードショップがあります。

・携帯の電波が無くなりそうな山の中であるにもかかわらず、店の前の駐車場には車がたくさん。お客さんはいっぱいいましたが、予約してあったのですんなり席につけました。
 
・小高い場所に建つログハウス風の建物。
 
・案内されたのは二階のテーブル。なかなか素敵な雰囲気です。お客さんは若い人が多く目につきました。一・二階合わせて10卓以上は軽くありそうで、結構な広さがあります。
  
・参加は九名。各自食べたいパスタを頼み、それにプラスしてピザを二つ注文することに。

・山ぶどうソーダ(200円):「これ、どんなのだろう!?」とメニューを見て、数名が注文した品。色がとってもきれいです。私は頼まなかったのですがちょっと味見させてもらいました。酸っぱい味を想像していましたが、缶ジュース並みの甘さです。

・マルゲリータ(800円):生地が薄くてすぐ焼けるせいなのか、パスタよりも先に出てきました。油断していたら、写真を撮る前にすでに半分に。

・サラミとピクルスのピリ辛メキシカン(950円):既に記憶が曖昧なのでメニュー名が間違っているかもしれません。
  
・ソーセージのチーズクリーム(980円):同じテーブルの三名が頼んだ三種のパスタを、各自取り皿にとって食べることに。こちらは私が注文したパスタ。牧場経営だけにミルクの風味がたっぷり。

・フレッシュトマトとモッツァレラ(760円)

・特製ミートソース(750円):写真では納豆が乗っているようにも見えますが、ミートソースです。
 
・お隣のテーブル。右の写真は和風きのこ(740円)
・パスタについては、どれも初めの一口はとっても美味しいのですが、三口目ぐらいで飽きが来てしまう、ちょっと単調な味という印象です。「これ量が結構多いね」と一人一品を食べていた隣のテーブルの女性陣は軒並みパスタを残していましたが、量だけの問題ではないような気がします。こちらでは何名かで行っていろいろ取り混ぜて注文して皆で分けあって食べた方がよさそうです。

  
 
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【本】外国語上達法

2008年10月09日 08時01分28秒 | 読書記録2008
外国語上達法, 千野栄一, 岩波新書(黄版)329, 1986年
・「外国語」と聞くと、どうも反射的に「英語」が思い浮かびますが、本書では英語に限らずとにかく日本語以外の言語ならなんでも、という大きなテーマを扱っています。語学習得の入門書としては息が長く、そこそこ有名な本だと思います。
・論理の組立がシンプルで分かりやすい。それだけ著者の頭の中で本の内容が明快に整理されているということ。
・この手の本にはどうしても、「コレを読むだけで英語が出来るようになる!」なんてことを期待してしまいますが、結局は「地道な不断の努力」、これ無しには何事も習得不可能であることを思い知らされるのみです。
・「私は語学が苦手である。論より証拠、中学では英語でずっこけたし、旧制高校では<ドイツ語でえらい苦労をした。そして、やっと入った大学は一年延長したにもかかわらず、専攻のロシア語でロシア文学を楽しむなどという醍醐味はついぞ味わったことがなかった。」p.2
・「そんなわけで「ポリグロット」(多言語使用者)の伝記は数多くの言語を習得しうるヒントを含んでいたのに、自分ではそれに気がつかなかった。」p.4
・「くり返していうが、才能の差はある。しかしある言語を習得できるかどうかは、その習得の方法に、より多くのことが依存している。」p.6
・「ある人が「語学の習得というのは、まるでザルで水をしゃくっているようなものです。絶えずしゃくっていないと、水がなくなってしまいます。水がどんどんもれるからといって、しゃくうのを止めるとザルははぜてしまうのです」といっているが、これは真実であろう。語学の習得で決して忘れてはいけない一つの忠告は「忘れることを恐れるな」ということである。」p.9
・「忘れるし、よく覚えないからといって外国語の学習を始める前からあきらめる人には、70歳を過ぎた今日でも毎年一つは新しい外国語をものにしておられる私の恩師の話を伝えることにする。「いや、もうだめですね。覚えるそばから忘れていきますよ。見事に、きれいさっぱりです。私たちが若い人たちに対抗していく唯一の手段は、何度も何度もくり返すしかありませんね」といいながら、先生は一年たつとその言語を習得しているのである。」p.9
・「なぜ英語を勉強しなければならないのかが分かっていない人に英語を勉強させるのは、困難な業としかいいようがない。」p.19
・「人間の能力には限界があって寿命も限られているのであるから、必要なだけの英語ができればよく、それで十分なのである。」p.26
・「もし本当に上手に外国語を読み書き話せるようになろうとしたら、正直にいって三年から五年はかかる。」p.28
・「「先生、語学が上達するのに必要なものはなんでしょうか」  「それは二つ、お金と時間」p.38
・「お金と時間が必要なことが分かったが、それではそのお金と時間で何を学ぶべきなのかというのが、私の次の質問であった。それに対して、S先生は次のように答えられた。  「覚えなければいけないのは、たったの二つ。語彙と文法」p.41
・「「外国語を学ぶためには、次の三つのものが揃っていることが望ましい。その第一はいい教科書であり、第二はいい教師で、第三はいい辞書である」」p.42
・「いつの頃からか日本での外国語教育は文法偏重になり、言語にとってこれほど大切な語彙についての学習はなおざりにされている。」p.48
・「単語の学習には、この精神力が必要なのである。このことについては、次のラテン語の格言がすべてを物語っている。Repetitio est mater studiorum. (繰り返しは学習の母である)」p.51
・「もし千語をモノにできれば、その言語の単語の構成がなんとなく分かるようになり、千五百にするには最初の千語の半分よりはるかに少ないエネルギーで足りるようになる。そして千五百語覚えさえすれば、もう失速することはない。」p.53
・「われわれは学習にあたっては、よくでてくる単語――言語学的にいえば、類度数の高いもの――から覚えるべきである。」p.55
・「すなわち、頻度数の高い語は原則として短いのである。」p.63
・「「文法というものは面白い」というと、九分九厘の人までけげんな顔をし、多くの人が積極的にこの説に反対する。しかし、「文法は大切である」ということにはあえて異議を唱えない。大切なことは認めるが、人気が無いのである。」p.66
・「さて、これまで「文法」という語をはっきりした定義をせずに使ってきたが、ごく大雑把にいって、語をより上の単位へと組み上げていくルールの集合という意味と、それを研究する学問という二つの意味がある。」p.70
・「文を作る規則の集合としての文法とは何かということを考え直してみると、文法には単語を組み立てていくルールと、その組立を表示するための形を扱う部分の二つがある。前者を言語学では「統語論(あるいは統辞論)」、後者を「形態論」と呼ぶ。」p.72
・「もう一度いうが、語学書は薄くなければならない。とりわけ、初歩の学習書はそうでなければならない。」p.97
・「よい語学教師にとって絶対に必要なことは、学生に「この教師はできないんじゃないか」とか「間違ったことを教えているんじゃないか」と疑われないことである。」p.109
・「よい授業の目安は受講者の数が多く、出席がよく、学習者の数が減らないことである。」p.114
・「外国語上達法には、ことばについての理論である言語学と、学習の中で重要な意味を持つ記憶を扱う心理学と、教授法を論ずる教育学の三つの基礎が必要である。」p.114
・「すなわち、語学教師が教壇に立つということは、語学という技術を教えているだけではなく、同時に受講者から全人格の審査を受けているということなのである。」p.122
・「外国語を上手に習得するのにとても大きな意味を持ち、しかもそのことを本人自身が知りながら、それでもなおあまり重要視しないという学習上の謎が「発音」である。」p.144
・「まったく[r]と[l]の区別は面倒で、少なくとも日本人にとっては持病のようなものである。」p.150
・「外国語を学ぶ場合、その外国語の知識がアクティブであるか、パッスィブであるかの区別は大切である。前者ではその外国語で書いたり、話したりする能力のあることを示し、後者では話されたことがどうにか理解でき、書かれたことが理解できることを意味する。」p.162
・「ゲーテのファウストの中にも 'Es irrt der Mensch, solang er strebt.' (人は努力する限りあやまつものである)という言葉があるように、何もしなければ誤りを犯すことはないが、黙っていては会話は上達しない。会話では「あやまちは人の常」の精神が大切なのである。」p.168
・「チェコ語に「レアーリエ」(realie)という語があり「ある時期の生活や文芸作品などに特徴的な細かい事実や具体的なデータ」という説明がついている。」p.178
・「従って自分の見たことのないシュメールやエジプトの時代から今日まで、極寒のエスキモーから砂漠のベドゥインの生活と、とりあげる対象によって次々と異なったレアリアの知識が要求される翻訳家という職業はとても大変な職業で、ちょっとでも油断をすれば誤訳をしかねない危険の中にいるのである。」p.191
・「外国語学習法を書いた数多くの人々のいくつもある忠告の中で、規則正しく繰り返すこと、できれば毎日学習するというのは、すべての著者が例外なしに勧めている方法である。」p.200
・「私の願いというのは、「この本を読んで上達法の知識が増え、上達法が分かるようになった」というのではなく、「この本に書かれていたことを実際に利用して、外国語ができるようになった」という風になって欲しいということである。」p.203
・「ヨーロッパ大陸で英語が通ずるのはお金持の観光客を相手にする一流のホテルや案内所だけで、それ以外では依然としてドイツ語かフランス語しか通じないことは、案外日本では知られていない事実である。」p.209
・「二つの言語より三つの言語、三つの言語より四つの言語と進むにつれて、その人の視野は複眼的になり、物事の違った面が見えてくる。そして、他の人の持たない情報も得られることになる。ただ、その言語が使いものになることがその条件なのである。  チェコ語にはそれを表わすうまい表現がある。Cim vice kdo zna jazyku, tim vicekrat je clovekem,――いくつもの言語を知れば知るだけ、その分だけ人間は大きくなる。」p.212

?laconic 1〈言葉などが〉短いが含みのある,簡潔な  2〈人が〉口数の少ない,ぶっきらぼうの.  3 あまりしゃべりたくない.
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