ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【食】第一関飯店 [中華@秦皇島]

2008年12月03日 22時10分09秒 | 外食記録2008
第一関飯店 [中華@秦皇島]
2008.10.19(日)11:45入店(初)
注文 中華料理いろいろ(約1500円)

 
・秦皇島の観光地『天下第一関』の大きな門と広場のすぐそばにある食堂。『山海関名物料理』が食べられる、この界隈では最もポピュラーな食事処という雰囲気です。
  
・店内は約100名が楽に入るほどの広さ。一行は順次円卓の席に着く。店内に照明は無く薄暗い。照明は省いて、観光客相手の昼のみ営業に特化しているのかもしれません。

(1) チャーシューっぽい肉。

(2) 豆腐状の甘い味付けの料理。
 
・昼からビールが飲めるなんて幸せ~♪ しかし、やはりこちらでもビールはぬるいです。中国のビールは総じて、日本のビールと比べると薄味、というか「ホントにアルコール4%入ってるの!?」という物足りない飲み口です。一本飲んだくらいでは全然酔いを感じません。

(3)(4) 中央はエビとキノコとチンゲンサイ、手前は白菜と???。

(5) 白い謎の物体(米が原料?)とマメとコーンの炒め物。
 
(6) モロキュー。太いキュウリに小皿の味噌をつけて食べる。今回の料理の中では一番日本に似た味でした。

(7) 外側から米、挽き肉、栗を団子状にした物にあんをかけた料理。

(8) スキヤキ風味ではあるけれど、どこか何かが違ってる、肉と豆腐と白菜の煮物。

(9) エビと野菜。今回の旅行を通した参加者の声は「エビは美味しい」とエビの評価が最も高かった。

(10) イカと山菜の炒め物。

(11) ベーコン。

・皿が空かないうちに次から次へと料理が出てきます。「もう皿を置く隙間が無いよ……」と思ったその時、店員さんは事もなげに皿の上に皿を重ねて立去る荒業を。「なるほど。場所が無いときは皿の上に皿を置けばいいんだ!」とこれまで無かった発想に関心してしまいました。これが中国式!?

(12) 何の動物かは不明ですが、皮っぽい肉片をカリッカリに揚げたものとモヤシの炒め物。

(13) カレイっぽい魚の蒸し焼き。中国では魚の腹を上にして出すのが習慣なのでしょうか。

(14) 肉饅頭。噛むと肉汁があふれ出してくるので、不用意に食べると手がベタベタになります。おしぼりなんて親切なものは無いのでウエットティッシュ必須。

(15) 雑穀の粥。
・以上に加えて撮りこぼした皿がいくつかあるかもしれません。食事が終わってみれば半分食べれたかどうか、という余りよう。今回の旅行では一番残した割合が多かったのではないかと思います。テーブルでは「この残飯は一体どうするんだろうね」と会話に登ったのですが、皆の脳裏には「まさか、次の客に使い回し……」なんて不吉な考えがよぎった様子。結局、「きっと家畜のエサにでもするのだろう」ということで落ち着きました。
・この日は、歩き回るとちょっと汗ばむ程度の陽気で過ごしやすい気候でしたが、これがもし真夏で30度を超えるような暑さだったとして、冷房設備も無いこちらの店で食事を摂る事を想像するとちょっと怖い気がします。
・今回はご当地の名物料理とのことでしたが、外国人の私たちから見ると、特に説明も無いのでどこいら辺が名物なのか区別がつかず、単なる『中華料理』としか目に映りません。通常の国内旅行者は日本円にして700円程度の料理を頼むそうですが、私たちはその倍額ほどのかなり高級なコースだったようです。確かに、隣に入ってきた中国人らしき団体はテーブルからして剥き出しで料理内容が明らかに違っていたのに対して、こちらのテーブルはキレイなテーブルクロスがかかっていました。
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⇒⇒⇒【旅】中国(秦皇島・北京)旅行 まとめ
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【本】読書を楽しもう

2008年12月03日 08時01分42秒 | 読書記録2008
読書を楽しもう, 岩波書店編集部 編, 岩波ジュニア新書 364, 2001年
・若者へ向けて各界の識者が宛てた読書体験録。13編収録。若者向けということもあり読書礼賛の内容が続くと思いきや、「読みたくないなら無理して読まなくてもいい。読みたい人だけ読めばいい」というどっちつかずの主張も見られます。編集者の当初の目論見とは少々違った内容になってしまったのではないでしょうか。読む方としてはそれはそれで面白いのですが、面白い本・役立つ本などのブックガイドのつもりで読んでしまうと当てが外れてしまうでしょう。
・自分がこのテーマについて文章を書くとすると何を書くか思い浮べてみると、普段から読書について強く意識している「人間が一生に読む本の量は有限である」ということでしょうか。何気なく手に取ったその一冊を読むことで、花の花弁を一枚ずつちぎっていくように一つの可能性が失われていきます。若いうちは全く意識しませんでしたが、年を重ねるごとに「どの本を読むか」は切実な問題になってきます。
●1 『困った注文』村上陽一郎(大学教授、科学史・科学哲学専攻)
・「一般の書物に関しては、私は永年自分で読みたいと思う、あるいは思ったものだけを読んできました。(中略)私はベストセラーと呼ばれるものは決して買いませんし、読みもしません。」p.3
・「例えば、司馬遼太郎の作品を私は一つしか読んでいません。それも途中で投げ出しています。なぜ、今彼が神様扱いされて、誰もが読んだと言い、読むべきだと言うのか、私にはよく判りません。私は、司馬作品を読むくらいなら、断然藤沢周平や池波正太郎の方が読む価値があると思うのですが、それも『鬼平』などは一冊読めば充分でしょう。  筆が走りすぎました。要するに私は、読書というものは、極めて個人的なもの、個人の好みで行うべきもので、他人がとやかく言うものでも、言えるものでもないと堅く信じているのです。」p.4
・「私は本を読むという行為の本質は、孤独のなかにあると考えています。」p.7
・「勝手なことを書き並べました。きっと何の参考にもならなかったでしょう。こうした企画は、それでよいのだと思います。ただ、このような読書体験を持った人間がいたのだ、ということさえ伝われば、それ以上は期待しないでよいと私も思っています。」p.13
●2 『楽しみの年輪』北村薫(作家)
・「書くことばかりを《創作》だと考えてはいけません。本は書かれて、半分でき上がる。残りの半分は、あなたが読むことによって完成するのです。ページをめくるときのあなたは、創作者なのです。」p.17
・「これだけ人件費のかかることを、たった一人で自由にできるのです。読書というのは、実に贅沢な行為だと思いませんか。」p.18
●3 『ふつうの人が遭遇してしまった不運について』姫野カオルコ(作家)
・「読書する人というのは、理由あってしているのである。読まずにはいられない理由があるのである。  不幸だからだ。  幸福な人は読書などしない。する必要がない。」p.33
・「読書をしたからといって、不幸は抹消されない。だから私は読書をすすめない。そもそも読書する者は、すすめられずとも読書をし、読書しない者は、書を読まないわけであるから、すすめた本書も読まないではないか。徒労だ。」p.36
・「刺激を求めて読書にいたったのである。感想文を書くためではなく、段落分けするためでも感じの書き取りができるようになるためでもなく、楽しみのために本を開いた。  果たせるかな、脳の力は偉大であった。想像は、最高のSFXだ。それこそ痺れるような刺激を与えてくれる。」p.43
●4 『ストーリーとしてのヒストリー ―世界史のすすめ―』山内昌之(大学教授、歴史学専攻)
・「もともと、歴史を意味する「ヒストリー」(history)とは、物語を指す「ストーリー」(story)にほかなりませんでした。」p.50
・「ここで敢えて言いたいのは、<科学性>と<物語性>を結びつけた世界史を決して否定すべきではない、ということです。」p.54
●5 『若い諸君の "特権" としての読書』奥平康弘(憲法学者)
・「というわけでぼくの場合、読書が好きであり、かつこの趣味にこだわったがために、いまの職業へと流れていった、と言えるように思います(今は、いってみれば職業として読書していますが、だからといってそのことにより趣味としての読書を充足させているかというと、かならずしもそうでないのが悩みの種です)。」p.65
・「ぼくの提案で肝心なのは、長篇物ということです。一冊単位にまとまっているといった比較的に短い作品は、それが気になっているものであれば、存外、生涯のどこかで読む時間が配分されるものなのです。これに反し、三、四冊を超えて長いものということになると、大人について回る世のしがらみに取りつかれる度合いが強まるにつれ、期せずしてだんだん余裕を失いがちとなり、これに挑戦するのがむずかしくなります。」p.69
●6 『社会を見る目』奥村宏(経済評論家)
●7 『あなたの好きな歴史上の人物は誰ですか?』田中秀征(元衆議院議員、大学教授)
・「「政治家は何よりもまず歴史を知らねばならない」というチャーチルの言葉は衝撃的でした。  過去を知れば知るほど未来がよく見えるようになる。  その通りだと思います。」p.97
・「高校時代の国語の先生に、「人生と格闘していない人には小説が書けないし、本当の読書もできない」と言われたことがあります。(中略)結局、挫折や失敗を繰り返すたびに、人は "自分の眼" を鍛えられるのだと思います。」p.107
●8 『耐えて、耐えぬいて、歓び満つる日を…… ―ベートーヴェンと沖縄―』外間守善(大学教授)
・「生きるということのさまざまな苦悩に耐えて、耐えぬいて、歓び満つる歓喜の日を願望し続けた楽聖ベートーヴェンの生きざまは、歴史の熱風にさらされながら、撓(しな)って、和(なご)やけて、世を平和に凪(とど)やけようとし続けてきた沖縄の人々の生きざまに、あまりにも似ているように思われてならない。」p.111
・「沖縄は、「沖縄」といったり「琉球」と呼ばれたりしてきたために、どちらが古いか、正しいか、といわれがちであるが、古くは「おきなは」であった。15世紀に「琉球王国」という小国家を成立させて450年間、自立的に栄えていたために「琉球」という呼び方が広まったものである。」p.117
●9 『読書は世界をひろげる』長谷川博(大学教授)
●10 『一人で対する未知の世界』長谷川眞理子(大学教授、行動生態学)
・「ときどき、何もかも放り出して読書に没頭する時間がなければ、私は生きていけないでしょう。」p.146
・「しかし、ここで一つ注意しておきましょう。読書をするには、ただ受け身であってはいけないということです。本を読むことは、自分が一人で本の世界と向き合うことです。」p.155
●11 『私の読書体験』田中貴子(大学助教授、日本中世文学)
・「私の第一のお気に入りは、学習院中等部に在籍する平岡公威くんの美少年ぶりです。彼が「三島由紀夫」となってからの写真は、なんだか間延びした顔で興味を惹きませんでしたが、平岡くんはあくまで優しくりりしい少年でした。」p.159
●12 『「美意識」という課題のために』安野光雅(洋画家、絵本作家、エッセイスト)
・「わたしたちは、「もっといい絵が描けるようになるにはどうすればいいだろうか」といつも思っています。そして絵を学ぶ人からもよく、そういう質問をされます。  わたしは、そんなとき、本を読むことが一番いい、しかもそれしか考えられないな、と思うのです。」p.173
・「絵は、一見技術のようでも、技術ではありません。だから自分で「心」の中、つまり、美しいものに感動する心を育てることからはじめなければならないのです。  手短に言うほかありませんが、いわゆる自分の「美意識」をたしかなものに育てることです。」p.174
・「そもそも学問の成果はこのように、誰にもわかる文学として、いいかえれば心に響くように提示してもらいたい。どんな思想も先見も、優れた文章にならないと、無いのも同じだと思います(これは不遜な言い方ですが理想としては当たっていると思います)。その点で、寅彦の文章は科学的思索を文学の形で残したものだと言えます。」p.179
●13 『本からはみ出す本』山田太一(脚本家、作家)
・「なんにしても映画監督は、天候から人間、猫にいたる他者他者他者の中にいます。その中で作家としての自分を維持するのは簡単ではありません。多くは調停者になったり技術者になったり商売人になったりしてきりぬけて行くのです。初期にすばらしい作品をつくった人も、他者の容赦の無い賞賛の中で急速に退廃します。」p.191
・「そんな中で、人生には本を必要としない人もいるのだ、ということを教えられた思いがあります。本など読んでいなくてもすばらしい人はいくらでもいる、と。(中略)で、是非ともみなさん本を読みなさい、といいにくいところがあります。本には読めば読むほど鈍感になって行くところがあるように思います。一口にいえば言語化できないものについての感覚が鈍くなって行く。」p.195

《チェック本》
三島由紀夫『愛の渇き』新潮文庫
橋本治『ナインティーズ』河出文庫
斎藤美奈子『あほらし屋の鐘が鳴る』文春文庫
大江健三郎『宙返り』講談社文庫
本多勝一『カナダ・エスキモー』『ニューギニア高地人』『アラビア遊牧民』朝日文庫
A.L. サッチャー『燃え続けた20世紀 殺戮の世界史』祥伝社黄金文庫
岡義武『近代日本の政治家』岩波現代文庫
アイリック・ニュート『世界のたね―真理を追いもとめる科学の物語』日本放送出版協会
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