「世間」とは何か, 安部謹也, 講談社現代新書 1262, 1995年
・書題の問いに対する筆者の考察。テキストとして、日本の文学作品を取り上げる。万葉集の時代から吉田兼好、親鸞、井原西鶴、夏目漱石などなど。
・出だしは『「甘え」の構造』(土居健郎)のような雰囲気が漂うが、話題はすぐに独自の道を歩みだす。古典作品が多数引用されるが、普段読みつけない文章なので、一応目を通しても書いてある内容は右から左に抜けてしまう。読みこなすにはある程度の教養が必要。当初のテーマ『「世間」とは何か』がボケてしまって、単なる古典文学の解説書のように思えてしまう部分あり。結局、「世間」とは何だったのか、スッキリしないまま読了。しかし、これまで意識しない空気のような存在だった "世間" がにわかに実体化したような気になる。
・「そしてまた日本の中年男性が一般的にいって魅力的でないのは何故か。(中略)わが国の男性たちはわが国独特の人間関係の中にあって必ずしも個性的に生きることができないのである。むしろ個性的に生きることに大きな妨げがあり、その枠をなしているのがわが国の世間なのである。ところがこの「世間」という概念についてはこれまでほとんど研究がなかった。本書は以上に述べたような具体的な問題点から出発して、わが国の社会の構造を世間の歴史的分析という従来なかった新しい観点から見直そうとする試みである。」p.12
・「世間を社会と同じものだと考えている人もいるらしい。しかし世間は社会とは違う。明治以降世間という言葉は文章の中からは徐々に消えていったが、会話の中では今でもしばしば使われ、諺の形ではきわめて使用頻度が高い。他方で社会という言葉は明治以降徐々に文章の中で使われはじめ、学者やジャーナリスト、教師などはこの言葉を使うが、その意味は西欧の歴史的背景の中で生み出されたかなり抽象的なものであり、世間がもっているような具体性を欠いている。」p.13
・「世間は人によってさまざまな形を取り、普遍的な形で説明することが困難なのである。それと同時に世間というものが理屈を越えたものだということも、説明に困る点なのである。あとで詳しくみるように、世間という言葉は長い年月をかけてつくられてきたものなので、必ずしも欧米流の概念では説明ができない。しかも情理や感性とも深い関わりがあるので、合理的に説明することも難しい。」p.16
・「本書の中で世間については歴史的に説明することになるが、作業仮設としてあらかじめ次のように世間を定義しておこう。世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。 世間には、形をもつものと形をもたないものがある。(中略)本書においては、主として形をもたない世間について考えてみたい。」p.17
・「私達の人間関係には、呪術的信仰が慣習化された形で奥深く入りこんでおり、その関係を直視しなければ日本人の人間関係は理解できない。(中略)第二次世界大戦の戦死者に対する慰霊の問題が靖国問題として表面に出ているが、五来重氏が述べているように、死者の慰霊がわが国では民間レベルで十分に行われていないところに問題が残されている。」p.20
・「私達自身は気がついていないかもしれないが、皆世間に恐れを抱きながら生きているのである。」p.21
・「アメリカには、日本のこのような世間はないのである。」p.25
・「いわば世間は、学者の言葉を使えば「非言語系の知」の集積であって、これまで世間について論じた人がいないのは、「非言語系の知」を顕在化する必要がなかったからである。しかし今私達は、この「非言語系の知」を顕在化し、対象化しなければならない段階にきている。そこから世間のもつ負の側面と、正の側面の両方が見えてくるはずである。世間という「非言語系の知」を顕在化することによって新しい社会関係を生み出す可能性もある。」p.27
・「「世間」という語は本来サンスクリット語の「ローカ loka」の訳語であり、壊され、否定されていくものの意で、「路迦」とも書く。」p.50
・「個人が自分の意見をはっきりと述べずに、世間の人々の言葉として話題に乗せ、その中に自分の意見を滑り込ませる形がこの頃にすでにできあがっていたのである。私たちが使っているこうした用法の淵源が「大鏡」にあるということも、記憶しておいてよいことではないだろうか。」p.56
・「兼好はわが国の歴史の中で個人の行動に焦点をあてて「世」を観察した最初の人であったと私は思う。」p.89
・「兼好に次いで世の中や世間を対象化し得た人物が西鶴であったと私は考えているのだが、西鶴において、初めて世間は、人と人の関係の絆からやや客観的に対象化されて色と金、特に金の論理が貫かれる関係世界として描かれはじめた。」p.166
・「そもそもこの作品(吾輩は猫である)は猫の目を通して人間社会を描くというふれこみになっているが、じつはただの人間社会ではなく、長い歴史の中で日本人の生き方に特定の枠をはめてきた「世間」を描こうとしたものなのである。そのような意味では西鶴に連なるものであり、文章もその流れを継いでいる。そして「坊っちやん」と同様にこの作品が長い間わが国で読み継がれてきた最大の理由はまさに「世間」を対象化しようとしたその姿勢にあり、他の作家が今に至るまで誰一人としてなし得なかったことをこの時代にすでに行っていたからなのである。」p.189
・「日本で「個」のあり方を模索し自覚した人はいつまでも、結果として隠者的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。」p.203
・「日本の作家の中で荷風ほど「世間」を拒否し、生涯を通じてその姿勢を崩さなかった人は他にいない。それにもかかわらず、荷風ほど世間に対して無関心のように見える姿勢の底で「世間」を深く観察し、批判し続けた人もまたいないのである。荷風の個人主義はフランスの思想を背景に持つものであったが、その現実の姿は決してヨーロッパのものではなく、荷風の個性に裏付けられた個人主義であった。」p.221
・書題の問いに対する筆者の考察。テキストとして、日本の文学作品を取り上げる。万葉集の時代から吉田兼好、親鸞、井原西鶴、夏目漱石などなど。
・出だしは『「甘え」の構造』(土居健郎)のような雰囲気が漂うが、話題はすぐに独自の道を歩みだす。古典作品が多数引用されるが、普段読みつけない文章なので、一応目を通しても書いてある内容は右から左に抜けてしまう。読みこなすにはある程度の教養が必要。当初のテーマ『「世間」とは何か』がボケてしまって、単なる古典文学の解説書のように思えてしまう部分あり。結局、「世間」とは何だったのか、スッキリしないまま読了。しかし、これまで意識しない空気のような存在だった "世間" がにわかに実体化したような気になる。
・「そしてまた日本の中年男性が一般的にいって魅力的でないのは何故か。(中略)わが国の男性たちはわが国独特の人間関係の中にあって必ずしも個性的に生きることができないのである。むしろ個性的に生きることに大きな妨げがあり、その枠をなしているのがわが国の世間なのである。ところがこの「世間」という概念についてはこれまでほとんど研究がなかった。本書は以上に述べたような具体的な問題点から出発して、わが国の社会の構造を世間の歴史的分析という従来なかった新しい観点から見直そうとする試みである。」p.12
・「世間を社会と同じものだと考えている人もいるらしい。しかし世間は社会とは違う。明治以降世間という言葉は文章の中からは徐々に消えていったが、会話の中では今でもしばしば使われ、諺の形ではきわめて使用頻度が高い。他方で社会という言葉は明治以降徐々に文章の中で使われはじめ、学者やジャーナリスト、教師などはこの言葉を使うが、その意味は西欧の歴史的背景の中で生み出されたかなり抽象的なものであり、世間がもっているような具体性を欠いている。」p.13
・「世間は人によってさまざまな形を取り、普遍的な形で説明することが困難なのである。それと同時に世間というものが理屈を越えたものだということも、説明に困る点なのである。あとで詳しくみるように、世間という言葉は長い年月をかけてつくられてきたものなので、必ずしも欧米流の概念では説明ができない。しかも情理や感性とも深い関わりがあるので、合理的に説明することも難しい。」p.16
・「本書の中で世間については歴史的に説明することになるが、作業仮設としてあらかじめ次のように世間を定義しておこう。世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。 世間には、形をもつものと形をもたないものがある。(中略)本書においては、主として形をもたない世間について考えてみたい。」p.17
・「私達の人間関係には、呪術的信仰が慣習化された形で奥深く入りこんでおり、その関係を直視しなければ日本人の人間関係は理解できない。(中略)第二次世界大戦の戦死者に対する慰霊の問題が靖国問題として表面に出ているが、五来重氏が述べているように、死者の慰霊がわが国では民間レベルで十分に行われていないところに問題が残されている。」p.20
・「私達自身は気がついていないかもしれないが、皆世間に恐れを抱きながら生きているのである。」p.21
・「アメリカには、日本のこのような世間はないのである。」p.25
・「いわば世間は、学者の言葉を使えば「非言語系の知」の集積であって、これまで世間について論じた人がいないのは、「非言語系の知」を顕在化する必要がなかったからである。しかし今私達は、この「非言語系の知」を顕在化し、対象化しなければならない段階にきている。そこから世間のもつ負の側面と、正の側面の両方が見えてくるはずである。世間という「非言語系の知」を顕在化することによって新しい社会関係を生み出す可能性もある。」p.27
・「「世間」という語は本来サンスクリット語の「ローカ loka」の訳語であり、壊され、否定されていくものの意で、「路迦」とも書く。」p.50
・「個人が自分の意見をはっきりと述べずに、世間の人々の言葉として話題に乗せ、その中に自分の意見を滑り込ませる形がこの頃にすでにできあがっていたのである。私たちが使っているこうした用法の淵源が「大鏡」にあるということも、記憶しておいてよいことではないだろうか。」p.56
・「兼好はわが国の歴史の中で個人の行動に焦点をあてて「世」を観察した最初の人であったと私は思う。」p.89
・「兼好に次いで世の中や世間を対象化し得た人物が西鶴であったと私は考えているのだが、西鶴において、初めて世間は、人と人の関係の絆からやや客観的に対象化されて色と金、特に金の論理が貫かれる関係世界として描かれはじめた。」p.166
・「そもそもこの作品(吾輩は猫である)は猫の目を通して人間社会を描くというふれこみになっているが、じつはただの人間社会ではなく、長い歴史の中で日本人の生き方に特定の枠をはめてきた「世間」を描こうとしたものなのである。そのような意味では西鶴に連なるものであり、文章もその流れを継いでいる。そして「坊っちやん」と同様にこの作品が長い間わが国で読み継がれてきた最大の理由はまさに「世間」を対象化しようとしたその姿勢にあり、他の作家が今に至るまで誰一人としてなし得なかったことをこの時代にすでに行っていたからなのである。」p.189
・「日本で「個」のあり方を模索し自覚した人はいつまでも、結果として隠者的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。」p.203
・「日本の作家の中で荷風ほど「世間」を拒否し、生涯を通じてその姿勢を崩さなかった人は他にいない。それにもかかわらず、荷風ほど世間に対して無関心のように見える姿勢の底で「世間」を深く観察し、批判し続けた人もまたいないのである。荷風の個人主義はフランスの思想を背景に持つものであったが、その現実の姿は決してヨーロッパのものではなく、荷風の個性に裏付けられた個人主義であった。」p.221
日本の古典にも通じてそうな罪子さんなら本書の価値がよりわかるのではないでしょうか。
私の場合、古典の引用部分は流し読みですから。。。
独特な個人主義を貫いて部屋の中で行き倒れた最期は考えさせられるものがありました。
アメリカには「世間」がない、というのも興味深い。
この本みつけたら是非読んでみたいです。