ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】地図 初期作品集

2010年06月04日 18時03分23秒 | 読書記録
地図 初期作品集, 太宰治, 新潮文庫 た-2-18, 2009年
・「数十年ぶりに太宰治の新潮文庫の新刊が出る」そんな話を聞きつけ、新潮文庫の太宰作品は全巻(ブックオフで)買い揃えている自分としては買わないわけにはいきません。それからしばらく時間をおいてから最寄の書店へ行ってみると、書店の棚の一番目立つ場所に平積みにされて飛ぶように売れている図を想像していたところ、そのような気配は全く無く、それどころか一冊も見つからず。後日、書店より「一冊だけ入荷していたのが本棚から見つかりました!」との連絡があってようやく手に入れました。小説を新刊で買うなど一体いつ以来のことやら。それにしても『太宰の新刊』だというのに何とも不本意な扱い。世間の認知度はもっと高いと思っていたのですが、今の人はあまり興味が無いようです。
・太宰治の主にデビュー前の短編を28編収録。詳しくは下記の『解説』書き抜きを参照。
・久しぶりに味わう太宰の文章。「初期作品」とはいっても、"らしさ" は既に十分に感じられます。中でも印象に残ったのは『断崖の錯覚』。
●『虚勢』
・「盲(めくら)でも眠って居る時だけは盲も目あきもちがっては居ない。  せめて眠って居る時だけでも安楽に眠らせたいもの。」p.18
・「盲(めくら)でも夢を見るものかナア。まっくらな夢だろう、ハハハハハ。」p.21
・「そして僕が眼が見えるようになるとキットその美しい神々しいたくさんの物を見ることが出来るだろうと一寸愉快に思いました。併し僕はあの僕の母だと云って居るあの女だけはいつまでも見たくなかった。なぜならば、僕はあの女だけは美しい神々しいものだとは信じ切れなかったのです。そして眼が見えてあの女というものを見た時にもしも醜い穢いものであったならば。ああ、僕は決して眼をあいてはならない、そしてあの女を美しい尊いものであると考えるように努めねばならないと思ったのです。」p.28
●『地図』
・「地図にさえ出てない小さな島を五年もかかって、やっと占領した自分の力のふがいなさにはもう呆れ返って居た。謝源は人が自分の力に全く愛想をつかした時程淋しいことはあるものでないと考えた。」p.58
●『負けぎらいト敗北ト』
・「喧嘩をするのは同等の人間だ」と誰だか言って居た。」p.71
●『股をくぐる』
・「疥癬(ひぜん)にむくんだ彼の手の甲から、ぷすぷすわいて出る、膿みのように黄いろく濁った汗を、彼は手の輪郭がぼうっと成る迄じいと見詰めて居た。腐った肉の底に澱んで居るなまぬるい膿が、幽かに白く透き通って見える小さな貝殻のような物は、彼の指の股から手頸にかけて、無数にべたべた食っ附いて居た。若し彼の手の厚い皮をげろりと剥いだならば、きっと扁虱(だに)に似た、血太ってごろごろして居る虫が、ぎっしりうようよ詰まって居るのが見えるに違い無いと、彼は何時も考えて居た。彼は左手の甲の殊に大きく張れ上って居る紫色の貝殻を、右手の人差指で思い切り強くふっと押しつけた。血の交じった膿がどろりと出て汗と一緒になり、もぞりもぞり手の甲を這い流れ始めた。太い尻のギリギラ光って居る糞蝿が、二三匹どこから共無く飛んで来て、ブーンと唸っては彼の手の甲を廻り出した。彼は、其の膿からゆらゆら昇るじっとりした湯気にむしむしした支那大陸の酷暑を感じた。そして彼は、彼のあの快い眠りを暴慢にも妨げて置きながら、尚その上、此の狂おしい暑さの中に彼を今投り込んで了った無礼者に対して、泣き度く成る程の憎悪を覚えてきた。  「気を附けろい! 俺あ眠ってるんだぜ」」p.175
●『断崖の錯覚』
・「大作家になるには、筆の修行よりも、人間としての修行をまずして置かなくてはかなうまい、と私は考えた。恋愛はもとより、ひとの細君を盗むことや、一夜で百円もの遊びをすることや、牢屋へはいることや、それから株を買って千円もうけたり、一万円損したりすることや、人を殺すことや、すべてどんな経験でもひととおりはして置かねばいい作家になれぬものと信じていた。けれども生れつき臆病ではにかみやの私は、そのような経験をなにひとつ持たなかった。」p.284
・「「どうなすったの? 私、判るわ。いやになったのねえ。あなたの花物語という小説に、こんな言葉があったのねえ。一目見て死ぬほど惚れて、二度目には顔を見るさえいやになる、そんな情熱こそはほんとうに高雅な情熱だって書かれていたわねえ。判ったわよ。」」p.308
●『洋之助の気焔』
・「いそがしいというのは嘘でなかった。私は何もしていなかったけれど、心はいつでもいそがしかった。無駄な時間というものを知らなかった。諦念や無為の世界のあることを私はしらなかったのである。」p.352
・「杉林のなかに霧が立ちこめ、木立の隙間をもれる鈍い月光が刷毛描きの縞模様となって霧に宿り、拡がりのある杉林いっぱいにその縞の交錯が充ちていた。」p.362
・「いまにして私は思うのであるが、私の生涯を通じて、私のえらさを認めることの辛うじてできた女は、シンの他にはいないようである。外国の文学史を見ても、およそ天才は、世に容れられなかった。けれども誰かひとり、その天才をひそかにあがめているあでやかな女性があるものである。私は、その森のなかの一夜の経験によって、天才としての重要な一つの条件を獲得した。」p.364
●解説 曾根博義
・「太宰治(本名・津島修治)は天成の小説家のように見えて、決してそうではない。小説家太宰治が誕生するためには長い習作期間が必要だった。」p.369
・「本書に収めた作品は、これまで「習作」とか「初期作品」とか呼ばれてきた太宰治誕生以前の作品のうち、未完の長篇「無間奈落」「地主一代」「学生群」を除いたすべての短篇と戯曲二十二篇(大正十四年~昭和四年)のほか、昭和九年に太宰治以外の筆名で発表されていた「断崖の錯覚」「洋之助の気焔」の二篇、それ以後に太宰治名で発表されながらこれまで本文庫には収められていなかった四篇の計二十八篇である。」p.370
・「小説というものは、ふつう、自分を他人の立場から眺めることと、他人を他人の立場に立って考えるという、二つの要件の上に成り立っている。太宰治は、主として前者、つまり自分を他人の立場から見るために小説を書きはじめたように思われる。」p.374
・「このように、これらの初期作品において、菊池、芥川流のテーマの面白さから、目の前の相手に話しかけるようなな流暢な文体や形式そのものの力に心をひかれて行った津島修治が、やがて自分自身をその語り手に重ね合わせるようにして作中に登場させ、自分の旧作や有名無名の他人の作品を引用し、つなぎ合わせながら、いま書きつつあるその作品の作者を演じることによって「太宰治」になって行くプロセスが見えてくるだろう。それは、自分を他人の立場から眺めることへの関心を、他人が自分を眺め、自分の話に身を乗り出してくることへの関心へと切り換えてゆく、独自の新しい小説形式の模索と発見の過程でもあった。」p.378

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