Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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「シワのある霊長類の脳」を用いた脳梗塞治療研究

2012年03月10日 | 脳血管障害
脳梗塞の基礎研究の領域は,よほど大きな発見でもないかぎり,Nature誌のような注目度のきわめて高いジャーナルに取り上げられることは多くはない.しかし最近,カナダからのひとつの論文がアクセプトされた.タイトルは,“Treatment of stroke with a PSD-95 inhibitor in the gyrencephalic primate brain. ”である.“in the gyrencephalic primate brain”は直訳すると「脳にシワのある霊長類の脳において」であり,具体的に言うと「皺脳類」,さらに言うと「マカク属」の「カニクイザル」という小型のサルのことで,これを用いた脳梗塞の治療薬研究の論文である.(シワが強調されているのは,シワのないげっ歯類との対比のためである)

もう一つのキーワードのPSD-95 inhibitorは,正式にはTat-NR2B9cという化合物である.NMDA型グルタミン酸受容体のNR2BサブユニットのC末端の9アミノ酸に,HIV Tat蛋白の11アミノ酸を結合し細胞透過性を高めた20アミノ酸からなる化合物である.これはシナプス後肥厚部タンパク質95(PSD-95)とNMDA受容体の間の相互作用を阻害することにより,神経細胞に有害なシグナル伝達を軽減すると言われている.これまで,げっ歯類の脳梗塞モデルを用いた研究にて,脳虚血に対し神経細胞保護作用をもつことがすでに明らかにされている.つまり本研究は「げっ歯類で有効性が確認されている薬剤をサルのモデルでも確認したぞ」という論文である.

さて具体的な内容だが,モデルは2つの中大脳閉塞モデル(一過性局所脳虚血モデル;transient MCAO)を使用している.脳外科的手術により中大脳動脈を直接クリップし,一定時間後,再開通する.閉塞箇所により,MRIで確認したペナンブラ(ここではPWI/DWIミスマッチの意味)の消退のスピードが異なることを確認している.重症モデルでは虚血3時間後で,灌流低下部位の80%がDWI陽性となり,軽症モデルでは30%未満が陽性となる.この2つのモデルを使用し,PSD-95 inhibitorの有効性を調べている.

主要評価項目としてはT2強調画像で確認した虚血30日後の脳梗塞体積とし,副次評価項目としては,拡散強調画像で確認した虚血4時間ないし24時間後の脳梗塞体積や,30日後の運動機能,病理組織,網羅的なRNA発現変化とした.

結果としては,重症モデル(90分間の一過性脳虚血)にて,PSD-95 inhibitorを再開通の1時間後に投与すると, 24時間後ないし30日後の脳梗塞体積が有意に縮小され,30日後の組織学的評価でも梗塞サイズは縮小していた.また虚血後30日までのいずれの時点でも偽薬群より機能予後が良好であった.RNA発現についても,転写レベルが減少する遺伝子を有意に減らすことができた.

つぎに同じ重症モデルで一過性脳虚血時間を4.5hまで伸ばし,PSD-95 inhibitorを再開通の1時間後に投与しているが,7日目の時点で脳梗塞体積と12時間以降の運動機能が偽薬群と比べ有意に良好であった.

最後に治療可能時間(therapeutic time window)を検討する目的で,軽症モデルを用い,3.5hの一過性脳虚血後,3時間経過した後にPSD-95 inhibitorを投与しているが,14日目における脳梗塞体積が有意に小さく,運動機能も良好という結果であった.いずれにおいても有効性が認められた.

さて本研究がNature誌に取り上げられた意味は何であろうか?正直なところ,すでに有効性が指摘されている薬剤の研究で,驚くような内容のものではない.これはおそらく脳梗塞の神経細胞保護薬開発を目指した研究は今後,こうあるべきだというスタンダードを示そうとしたのではないだろうか.

これまで,げっ歯類を用いた動物モデルで脳梗塞治療薬(神経保護薬)候補が数限りなく報告されたが,ヒトにおける臨床試験で,tPAを除きことごとく失敗した.この結果,薬剤による神経細胞保護はヒトにおいては絶望的という悲観的な考えが支配的になった.しかし本研究は薬剤の有効性を評価するためには,ヒトにより近いサルモデルでその有効性を確認し,その上で臨床試験を目指すべきということを主張し,Nature誌もそれが正しい方向性だろうと認めたということであろう.おそらくこの考え方は他の疾患にも波及していく可能性がある.ただ現実問題としてサルを用いた研究は,さまざまな面でハードルが高く,さらにサルで有効であれば本当にヒトで有効であるのかという確証があるわけではない.しかしいずれにしても本研究は治療研究の方向性に大きなインパクトを与える可能性があり,注目すべき論文である.

Nature. 2012 Feb 29;483(7388):213-7. doi: 10.1038/nature10841. 

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