Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文

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新潟大学から岐阜大学への「ヒポクラテスの木」の植樹

2024年05月03日 | 医学と医療
1年前に岐阜大学に植樹し,みんなで大事に育てております「ヒポクラテスの木」について,新潟大学の同窓会誌「学士会々報No.121 」に寄稿させていただきました.新潟大学にある「ヒポクラテスの木」の歴史と整形外科医で医史学者としても名高い蒲原宏博士のこと,私の学生時代の武藤輝一医学部長との思い出,そして岐阜大学への植樹の経緯について書きました.よろしければご一読ください.



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新潟大学から岐阜大学への「ヒポクラテスの木」の植樹

岐阜大学大学院医学系研究科脳神経内科学分野教授
下畑 享良

「ヒポクラテスの木」は,医聖ヒポクラテスが弟子に,その木陰で医学を教えたという謂われがある,ギリシャのコス島にあるプラタナスの大樹のことを言います.街路樹など,普通に見られるプラタナスと異なり,コス島の「ヒポクラテスの木」に由来するDNAを持つものだけが「ヒポクラテスの木」と呼ばれます.

新潟大学には医歯学総合病院入退院口に「ヒポクラテスの木」があります.その理由は,整形外科医で,医史学者としても有名な蒲原宏先生(現日本歯科大学生命歯学部・医の博物館顧問.中田瑞穂先生,高野素十先生に師事した俳人としても有名)が,昭和44年9月,ヒポクラテスの生地,ギリシャのコス島に渡り,ヒポクラテス博物館の庭にある「ヒポクラテスの木」の実を採取して日本に持ち帰り,みずから播種育成され,立派な10本の苗木に育てあげてから,昭和47年6月,新潟大学医学部構内に植樹したためです.脳研究所初代所長の中田瑞穂先生による「ヒポクラテスの木」という文章には,新潟大学に植樹されたときのエピソードが書かれています.「1メートルに達したばかりの若木の天を摩するに至る成長を見ることはこの私には無理というものである.しかし私は,これを私達で育てますと,この移植に積極的であった学生有志のあったことは,この木の成長が約束されていると同様,医学部に最も重要な正しい医学の正統,ヒポクラテスから伝わった医の正道を伝えつづけようとする純粋なこころを目の当たりに示したものであって,木の成長を確認すよりもはるかに私に心強いものを感じさせる」と書かれていました.そして中田先生は「やがて大夏木になれと植ゑらるゝ」の一句を持って植樹を祝われたそうです.ところが植えられた翌日の朝に,何者かによってその木は持ち去られてしまいます.その後,蒲原先生のご自宅に植えられた苗木が再度,新潟大学に移植され,現在の「ヒポクラテスの木」になりました.9本の苗木の子孫はさまざまな大学や病院に株わけされました.新潟大学のものは,植樹後58年が経過し,高さ10メートルにも及ばんとする大樹になっています.

私は平成29年より岐阜大学に勤務しておりますが,医学部5年生に対する臨床実習(ポリクリ)のグループ講義で,毎回,医師の職業倫理の話をしています.その際,医の倫理に関する規定「ジュネーブ宣言」について解説しますが,その前にみんなで「ヒポクラテスの誓い」を読みます.なぜならその倫理的精神を現代化したものが「ジュネーブ宣言」であるからです.そしてその際に必ず「ヒポクラテスの木」の話もしています.これは自分が新潟大学の学生であった頃,当時,医学部長でいらした武藤輝一先生がしてくださったことです.武藤先生は講義の最後に「病院前のヒポクラテスの木を見に行くように」と仰ってくださいました.「ヒポクラテスの誓い」を学んだあと,クラスのみんなと見に行った記憶が強く印象に残っており,同じ経験を岐阜大学の学生にもさせてあげたいと考えました.しかし残念ながら岐阜大学には「ヒポクラテスの木」はなく,学生に見せてあげられないため,中田瑞穂先生の画「ヒポクラテス像(複製)」を考古堂より購入し,教室の廊下に掲げて,講義後,見てもらっていました.ただやはり「ヒポクラテスの木」を学生に見せてあげたいと思い,蒲原先生にご連絡をしたところ,ご快諾をいただき移植の準備が始まりました.学生のときに眺めたまさにその木から挿し木,分苗移植したものが順調に育ち,2年をかけて50センチほどになり,移植ができるまでになりました.その際に蒲原宏先生より「医聖の木ある大学を恵方とし」という一句を頂戴しました.そして2023年3月31日,医学生や教室の仲間,事務の皆様に手伝っていただいて植樹をしました(写真1).私も中田瑞穂先生の俳句「やがて大夏木になれと植ゑらるゝ」と同じ気持ちになって,無事に大きな木に育ってほしいと祈るような気持ちになりました.

植樹後,無事に生着するか気が気でありませんでしたが,幸い無事にどんどん成長し,現在では私の背丈を大きく超すまでになりました.教室のメンバーにとっても大切な木となり,見守ってくれています(写真2).令和5年9月7日,注文していた記念の石碑もでき上がり,設置いたしました.そして病棟実習に訪れた5年生と一緒に「ヒポクラテスの誓い」を読んでから,彼らと一緒に「ヒポクラテスの木」を見に行きました.2年半をかけてようやく,武藤先生がしてくださったことを岐阜大学の学生にしてあげたいという夢が実現しました(写真3,4).学生も「卒業して,いつか岐阜大学を訪れることがあったらこの木を見に来て,今日の講義のことを思い出したい」と講義後の感想に書いてくださいました.これで蒲原株の「ヒポクラテスの木」は31株になったそうです.



令和5年9月18日に紀寿(百寿)をお迎えになられた蒲原宏先生と,これまで樹木の管理育成をしてくださった新保只衛氏に心から感謝の意を表したいと思います.最後に蒲原宏先生が,新潟市医師会報(2023.4月号)に寄稿された文章のなかから,私の大好きな一句をご紹介したいと思います.

つんつんと若芽つんつん医聖の木

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寄稿文をお読みくださった蒲原宏博士から,お手紙と素晴らしい書を頂戴しました.とても感激いたしました.


昨日の朝,撮影した「ヒポクラテスの木」です.鈴のような花がたくさん咲いています.




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