和歌山県立医大伊東秀文教授にお招きをいただき,「進行性核上性麻痺の臨床―新しい鑑別診断,IgLON5抗体関連疾患も含めて―」という講演をしました.じつは和歌山を訪れるのは初めてでした.このため夏休みを頂いて,以前から訪問したかった華岡青洲の自宅・診療所・医学塾であった春林軒を訪問しました.左の写真が春林軒の主屋で,右は華岡青洲先生と一緒に記念撮影しました.
華岡流医術を学んだ医者は,青洲の生存中と没後をあわせて2千人を超えていたそうで,江戸時代最大の医塾でした.華岡青洲は苦心の末,全身麻酔薬「通仙散」の開発に成功し,1804年,世界初の全身麻酔による乳がん摘出手術に成功しました.
多くの人は有吉佐和子の「華岡青洲の妻」の印象が強いと思いますが,私は青洲の「医惟在活物窮理(いこれありかつぶつきゅうり)(下図左)」という言葉が大好きで,「活物窮理,活物窮理,・・・」とつぶやきながら研究をしたりしていました(笑).言葉の意味は,青洲の目標とする「医」は「活物窮理」の四文字に尽きる,すなわち「生きた人を治療するのであれば,深く観察して患者やその病の本質(理)を究めなければならない」ということです.
春林軒は,和歌山駅からローカル線で40分,無人の名手駅から歩いて20分ほどのところにありました.当時も和歌山城下から紀の川を七里半ほど遡った在郷にありました.鄙びた郷でも,志があれば世界最先端の研究を行った日本人がいたのだと勇気をもらった気がしました.
華岡流医術を学んだ医者は,青洲の生存中と没後をあわせて2千人を超えていたそうで,江戸時代最大の医塾でした.華岡青洲は苦心の末,全身麻酔薬「通仙散」の開発に成功し,1804年,世界初の全身麻酔による乳がん摘出手術に成功しました.
多くの人は有吉佐和子の「華岡青洲の妻」の印象が強いと思いますが,私は青洲の「医惟在活物窮理(いこれありかつぶつきゅうり)(下図左)」という言葉が大好きで,「活物窮理,活物窮理,・・・」とつぶやきながら研究をしたりしていました(笑).言葉の意味は,青洲の目標とする「医」は「活物窮理」の四文字に尽きる,すなわち「生きた人を治療するのであれば,深く観察して患者やその病の本質(理)を究めなければならない」ということです.
春林軒は,和歌山駅からローカル線で40分,無人の名手駅から歩いて20分ほどのところにありました.当時も和歌山城下から紀の川を七里半ほど遡った在郷にありました.鄙びた郷でも,志があれば世界最先端の研究を行った日本人がいたのだと勇気をもらった気がしました.