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加賀鳶…♪

2019-05-28 10:24:12 | Weblog
加賀鳶=かがとび、なんとなくその音が粋だなぁって思ったんです。
『大名火消し』を読んだからなんでしょうけど。
以前読んだ『慶応水滸伝』にも一か所だけ、加賀鳶が出てくるシーンがあってね。
を組の火消し中村金太郎(後の新門辰五郎)が火事を消し止め、その場で起きた揉め事をなんとか収めたとき、加賀鳶の頭が金太郎に言う。
お前なら、我ら加賀鳶も扱えよう
それを聞いた町の人たちが
すげぇ、加賀鳶に認めさせやがった
と大いに沸く。
火消しとして加賀鳶に認められるってことはスゴイことなんだなって、加賀鳶ってそれくらい抜きんでた集団だったんだなって思いました。
そのときも加賀鳶って…、と気になったんですよね。
今回ちょいと調べてみました。
もともとは加賀前田家の藩邸に出入りの鳶職人で組織した火消し集団。
採用基準は
身長六尺三寸以上、顔色たくましく、力量すぐれし者をえらびて鳶とす
だったんですって
前田家家臣の家の次男三男の中から体格が優れた美男を選んで鳶にしたって話もあるみたい。
六尺三寸ってほぼ190cm。
150cmが男性の平均身長だった江戸時代に190cmとは…。
そこはまぁ多少の色付けがされてるのかもしれないけどね。
雲に稲妻模様の華やかな長半纏を着て、髪は加賀鳶髷。
加賀鳶髷って、普通のちょんまげとは刷毛先の形が違うのね。
“まさかり”といって、武器の鉞(金太郎人形が担いでるアレ)に似せたカタチをしている。
粋な髪形と華やかな半纏、お顔も含めてハイレヴェルな男たち、となればそりゃぁもてるわよね
まぁ、前田家の威信を示すある種の広告塔でもあったんでしょうね。
江戸の三代もて男って与力・力士・火消しだったらしいけど、火消しって加賀鳶の事だったのかも
『盲長屋梅加賀鳶』って河竹黙阿弥作の歌舞伎にもなってます。
コメント
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