■ 夜中の2時、3時に霞ヶ関の官庁街を見た事がありますが? ■
私が入社して間もない頃はバブル時代でした。
あこ頃は「ハナ木」などと言って、
木曜日にはもう終末の気分で、
新宿などの飲み屋街の夜は賑わっていました。
終電を逃して、タクシーを拾おうにも、
新宿の大ガード付近では拾えずに、
歌舞伎町に戻って始発まで飲みなおすなんて事も・・。
私は酒が入ると、どうも走りたくなる悪いクセがあり、
終電を逃すと、鞄を小脇に抱えて、
自宅まで良く走っていました。
家内には、靴が磨り減るからいい加減にしろと怒られましたが、
誰もいない都心を走り抜けるのは、快感でした。
でも、霞ヶ関の官庁街だけは、雰囲気が違います。
どのビルも真っ暗な中、官庁のビルだけは煌々と明かりが灯り、
車寄には、タクシーが列を成しています。
多分、予算編成時期なのか、国会の会期中なのでしょうが、
「我々が飲んだくれている時も、お役人は大変だな」なんて
酔った頭で思ったりしていました。
■ 「官僚=悪」という刷り込み ■
マスコミがマスゴミと呼ばれる様になって大分経ちますが、
マスコミの最近の論調を「表面」だけ見ていると、
彼らの標的は「官僚」に絞られた様です。
監督権を持つ官僚組織を正面から批判出来ませんから、
「都内の高級官舎が格安」などという庶民感覚溢れるネタで
揺さぶりを掛けたりしています。
(すみません、最近TVと無縁なのでちょっと古い話題ですね)
国家公務員の官舎が都心に存在するのには
きちんとした理由があります。
1) 非常事態が発生した場合、夜中であっても所属官庁に登庁できる。
全てはこの1点に集約されますが、他に理由を挙げることも出来ます。
2) 夜中の2時、3時まで働くのでタクシー代が嵩む郊外では不経済
私は公務員では無いので、実際の所はどうか分かりませんが、
官舎が都心にある必要性を無視して、
庶民感覚で不公平をことさら強調するマスコミには不信感を抱きます。
■ 中央官庁のキャリア職は恵まれている訳では無い ■
給与の官民格差を指摘する報道も多くなって来ました。
民間の平均給与が 412万円
公務員の平均給与が 809万円
先ずこの問題は二つに分けて考える必要があります。
一つは所謂キャリア職と呼ばれる官僚達と、一般公務員を分ける必要があります。
1) キャリア職は国の運営を預かっている
2) 厳しい受験戦争を勝ち残り、有名大学を優秀な成績で卒業している
3) 志を持って、民間の一流企業では無く、国家公務員を選択した
4) 同一の学歴であれば、一般企業よりも給与が低い
5) 同期が事務次官になれば、退官する(以前は)ので、定年が民間よりも早い
官僚達は概して優秀です。
彼らを、「受験勉強が生み出した無能な集団」と評価するマスコミは、
かなり「ヒガミ根性」丸出で、むしろその様な論調は恥ずかしく感じます。
ただ、彼らが会社を興す様なチャレンジャーで無い事も確かで、
そこら辺は、職業を選択する時点での個人の適正に由来しているのでしょう。
冒頭の夜中の霞ヶ関の話ではありませんが、
民間に就職して、ブイブイ言わせている大学の同級生を尻目に、
夜中まで、お役所用語で埋まった資料を作っている時の
彼らの気持ちはどんななのでしょう?
■ 地方公務員は恵まれている ■
一方、地方公務員に目を移した場合、制度上の歪みは目を覆おうばかりです。
この場合は、「同一労働・同一賃金」という原則が完全に無視されています。
かつて公務員は公僕と呼ばれ、「社会の下僕」でした。
賃金も民間に比べ低い為、「田舎に帰って公務員にでもなるさ」
なんて、否定的に「公務員」という言葉が使われていました。
ところが、現在は地方公務員は大学生の憧れに職業です。
生活が安定していて、リストラの心配は無く、
さらには、民間よりも給料が良い。
受験勉強に勝ち抜き、大学時代もしっかりと勉強し、
公務員試験の為に予備校に通い、
そして見事に勝ち取るのが、公務員という職種です。
ただ、優秀な人材が公務員になっても、
現状の地方行政ではその才能を生かす事が難しいでしょう。
東京などの大都市は別としても、
地方行政は前例主義が幅を利かせていますから、
大胆な改革の提案を若者がしたとしても、上司が認めません。
それが組織のDNAとして伝承されているので、
優秀な人材もやがては、「公務員」に適応して行きます。
雇用が安定してい事が災いして、古い慣例を壊す事が出来ないのです。
さらに以前問題になっていた様に、
保育職員やバス運転手の民間との給与格差が大きいなど、
公務員は今や、「とてもオイシイ職業」となっています。
■ 公務員給与は何故下がらないのか ■
公務員給与が何故下がらないかと言えば、
それは「人事院勧告」制度に問題があるからです。
公務員と民間の所得格差が近年拡大する最大の理由は、
「非正規雇用」の拡大を人事院勧告が織り込めない事にあります。
「人事院」は公務員と民間の職種や職能を結構細かく分類して、
公務員の給与算定の基準と作っています。
但し、民間の労働、特に単純労働の多くは非正規雇用に置き換わっています。
ですから「正社員」の給与比較では大きな差が生じなくても、
そのグループに属する「労働者」全体との比較では、大きな差が生じます。
さらに、人事院が参照する「民間企業の規模」の問題も指摘されています。
中小企業の比率あ結果的に低くなので、算定数字が上昇してしまうというのです。
(ここら辺は、算出方法が私には良く理解できませn)
さらに公務員には「手当て」が沢山あります。
その結果、給与の格差が広がる傾向があります。
■ キャリア職と、一般の公務員を区別すべき ■
キャリア職の給与は民間企業と比較して決して高くはありません。
一方で、地方公務員の給与は民間に比べて容認出来ない程高止まりしています。
問題の本質はここにあるのであって、
「キャリア官僚が日本を食物のしている」的な論調を展開するマスコミは本末転倒です。
人事院が公務員給与を引き下げられない理由が、
「キャリア職の給与も同時に下がってしまう」という事ならば、
一回、国家公務員と地方公務員の算定基準を分けるという方法も必要かと思われます。
■ 「官僚潰し」が目的では無いのか? ■
アメリアにしてもその他の国にしても、
日本の「官僚組織」は厄介な存在です。
首相を締め上げて、改革の約束を取り付けても、
法制化の段階で、全て骨抜きにされてしまいます。
そして、日本の首相はコロコロ変わるのに、
官僚組織は盤石で、誰かをパージしても組織としてそれを補ってしまいます。
要は、目的を持った小魚の群れは「厄介」なのです。
だから日本人の世論を持って「官僚を悪人に仕立て」、
「政治主導」という聞こえの良い言葉で「官僚」を無効化しようとしています。
■ 「官僚」が守ってきたのは「貧乏人」 ■
「官僚」が守ってきたものは何か・・・・。
それは「日本の停滞」を見れば明らかになります。
「保守的」な官僚機構は変化を嫌います。
ですから、「官僚機構」は戦後日本の成長モデルを頑なに守ろうとします。
「護送船団」と呼ばれたり、「ジャパン株式会社」と呼ばれたり、
「世界で最も成功した社会主義」と呼ばれたこのシステムは、
圧倒的な勝者も生み出しませんでしたが、
絶望的な敗者も生み出しませんでした。
ところが、世界が「グローバリゼーション」という名の下に複雑に絡み合う時代では、
国境という概念がどんどん薄れてゆきます。
日本国内の為には良い事なのだけど、
世界の中の日本を考えると、上手く機能しない事が多くなるのです。
例えば、「雇用を守る事」=「輸出産業の高コスト化」となります。
日本の低迷は、「官僚組織」が「弱い国民を守る」為に生み出されたもので、
もし、「自由競争」が日本に普及していれば、
日本の経済は現状よりも好転していたでしょう。
但し、その過程において今よりも多くの「敗者」を生み出していた事も事実です。
■ 「誰も不幸にしない為」に変われない日本 ■
結局、税制問題にしても、福祉や医療改革にしても、
雇用や規制緩和の問題にしても、
「官僚機構」が盤石な間は、ドメスティックな変化は望めません。
これは「官僚」たち自身が一番認識している所でしょう。
「彼も不幸にならない」為に官僚達が頑張れば頑張る程、
「皆が等しく不幸になってゆく」社会が生まれているのです。
「誰も不幸にならない」為に大きな変化は否定されます。
日本は官僚機構に守られていると同時に、
世界の環境変化から取り残されてているのです。
この状態は長くは続きません。
しわ寄せは全て「国債の発行」で吸収していますが
それも限界に近づいています。
■ 知らぬ間に特権階級となっていた公務員 ■
日本が長期の低迷と縮小の時代を歩んでいるうちに、
変化が最も少なかった公務員が特権階級になっていました。
特にに落ち込みの激しい地方において、
公務員と民間の所得格差は信じられない程広がってしまいました。
■ 国民が変化を望むか? ■
ここから先は国民の問題です。
「大阪維新の会」や「みんなの党」は「脱官僚」を政策としています。
彼らの政策は「自由競争」の原理の強化です。
私はそれも悪くないと思っています。
日本はこのままでは世界から大きく遅れてゆきます。
新たな成長の芽を生み出して、それが育たなければ、
経済は発展せず、雇用は失われてゆきます。
しかし、これは一つのバクチです。
「企業」という言葉は「バクチ」と同義です。
生き残るのは、たいてい10社に1社です。
こんな勝率の悪い賭けを国民は支持しないでしょう。
結局、問題の本質は「国民の決意」であるのでしょう。
そして「国民の決意」が求められる状況は、
やがて訪れる事は確かな様です。