■ ホラー好きの女子など理解不能 ■
私は「血」を見ると気持ち悪くなるのでホラーは嫌いです。
実写のホラー映画を映画館で見る人達をある意味尊敬してしまいます。
なんという勇気なのだろう・・・と。
又一方で、ホラー好きの女子などという存在は、
BL好きの女子の、遙か一万光年超えて理解不能です。
何故、人が血まみれで死んで行く姿に喜びを覚えるのか、
ホラー好きが嗜虐趣味なのか、それとも諧謔趣味のなのか?
分からない・・・私には皆目分からない。
そんな訳で普段ホラー映画などは決して見ないのですが、
アニメだと血の生々しさが少ないので、
作品によっては、ついつい見てしまいます。
今期放送の「綾辻行人」原作によるアニメ「Another」を、
見たくないと思いながらも、ついつい見てしまっています。
■ とにかく演出は一品 ■
アニメ版「Another」の演出は素晴らしい。
・・人が死んで血さえ流れなければ・・。
下手な実写映画の監督のまぶたにセロハンテープを貼って、
24時間見せ続けたいと思える程に素晴らしい。
・・人が死んで、血さえ流れなければ・・。
という事で監督は誰かと思いきや、
なんと「イカ娘」の「水島勉」でした。
さすが、「クレヨンしんちゃん」で「原恵一」の下で学んだだけあって、
「水島勉」の日常描写は、最近のアニメ監督の中では群を抜いています。
それが「明るく」発揮された好例が「イカ娘」ならば、
その暗黒面が怒涛の様に噴出すのが「Another」です。
同じ監督でこうまで違う表現を見せられると驚きを通り越して、戸惑いすら覚えます。
■ 空気感を描くという事 ■
それぞれのシーンでの「空気感」が素晴らしい。
これは「背景」の完成度の高さに負う所が大きいのですが、
週一のアニメでここまで背景を描きこめるのかと関心しきりです。
ホラーはまさに「雰囲気」に支配されるジャンルですから、
図書室の本の間から、学校の廊下の壁から、病院の暗い廊下の先から
不穏な空気が、にじにじと湧き上がって来たら、怖さ100倍です。
「Another」はこの点において、水準を遙かに超えています。
■ 萌えの対象が殺される・・・ ■
一方、「ハルヒ」の「いとうのいじ」が担当したキャラクターは、
いかにもアニメ的で、殺伐とした物語からは少し浮いています。
とにかくキャラクターが男子も女子も可愛らしい。
世に言うオタク達が、
「俺はメガネ委員長が好みだ」とか、
「いや、気の強そうなツインテールが好い」とか
「やはり綾波レイゆずりの眼帯美少女萌えだ!」とか言い出した頃、
子供達も、その周辺の大人達も、次々に無残な死を遂げて行きます。
何故なのか・・・・ホラーだからだ・・・。
「金髪巨乳美女は一番最初の餌食」という約束事に違わず、
その死は、メガネっ娘で性格の良い学級委員長から訪れます・・・。
■ 萌えの対象の死を望む不思議 ■
ホラー映画を一般人の視点で見るならば、
主人公カップルが数々の危機を切り抜けて
逃げ延びた時の「安堵感」を求めるのでしょう。
ところが、「Another」の感想サイトなどを覗いてみると
お集まりの皆さんの様子は少し違う様です。
「あの死に方は完璧」とか、
「あれはちょってお中途半端」なんて書き込みで埋まっています。
当然と言えば当然なのかも知れません。
ホラーなのだから・・・。
一応、「俺のお気に入りは生き延びた」なんて感想もあるので、
一概に「萌え」の対象の惨殺を、楽しんでばかりいる訳では無いのでしょうが・・。
それでも、ストレス発散にはなっている様です。
■ キャラクターの人権? ■
ホラーなど登場人物が次々に死んでゆく作品を見る度に思う事があります。
「キャラクターには人権は無いにか」という疑問です。
キャラクターは作者の作り上げた架空の存在ですから、
そもそも人権など無くて当然なのかも知れません。
煮るなり焼くなり、ある程度は作者の自由なのでしょう。
一方で、受け手側にはしっかりと規制が掛かっています。
ちょっとショッキングなシーンはR15などと
精神が未熟な子供を、暴力的なシーンから遠避ける努力がなされています。
それでは、精神的に成長したとされる15歳以上や、18歳以上なら
暴力的なシーンを楽しむ権利があるのでしょうか?
多分、法律的には何ら制約は受けないのでしょう。
むしろ昨今は、キャラクターの人権の方が尊重されている様で、
石原都知事は、幼いキャラクターを条例で悪魔の手から守っています。
色々と賛否両論あるでしょうが、良く考えると面白い現象です。
もともとは幼児性愛などの性犯罪防止の目的で作られた条例だと思います。
精神的に成熟していない大人=オタクが、子供に対する暴力シーンに影響を受けて、
現実社会で同じような行動を起こす事を防止するという目的があるのでしょう。
ところが、視聴者の年齢制限で無く、キャラクターに年齢制限を掛けたので
結果的に「キャラクタの人権」を守る様な条例になっています。
■ 子供を悪影響から遠ざけるアメリカ ■
子供を暴力描写から遠ざける試みは。アメリカなどでは顕著です。
子供向けアニメで「血」の出るシーンはNG。
お酒やタバコを嗜むシーンもNG。
ポロリどころか、大きく胸元の空いたコスチュームもNG。
銃を構える絵もNG。
ワンピースのアメリカ版アニメは、これらのシーンが結構修正されています。
そういう涙ぐましい努力にも関わらず、
アメリカ社会には暴力が溢れているのも不思議です。
腕は飛ぶは、首も飛ぶは、タバコは吸うわ、酒は飲むはという
日本アニメを子供のころから見慣れている日本人が
これ程までに平和的なのも海外から見れば不思議なのかも知れません。
■ 残酷の文化 ■
人間が普通に人を殺さなくなってからどのくらいが経つでしょうか?
60年前は、「外国人」と殺し合っていました。
500年前は、戦国大名同士が、その家来達とガチバトルを繰り広げていました。
10000年前は、隣の村とガチバトルが絶えなかったでしょう。
そう言われてみれば、人類が普通に人を殺さなくなってから、
まだ、たかだか100年くらいの歴史しかありません。
だから、動物としての人間の本能に中には、
どこかに、「殺したい」とか「血を見ると興奮する」という回路が残っているのでしょう。
そして、それを安直に従属させる方法が
「ホラーを見る、読む」という行為なかもしれません。
これはスポーツを観戦して熱狂するのと同じ行動原理かも知れません。
■ 暴力から隔離された人はどうなるのか? ■
「子供は天使」という戦後擦り込まれた概念を無視すれば、
「子供は残酷」ない生き物です。
カエルの足うひん剥いて、それを糸の先に縛ってザリガニ釣りをするのも平気ならば、
アリの行列を踏みつぶすのも大好きです。
「アリさんにも命があるのよ。」
「アリさんの命も、人の命も同じ命よ」と教えなければ、
子供はアリに対して大量殺戮を敢行する様にプログラムされているとも言えます。
そのプログラムを無視して、子供を暴力から遠ざけるとどうなるでしょう?
「暴力衝動」は存在するが、それが何であるか理解出来ない子供が育った場合、
成長した後に、暴力衝動が理解出来ないが故に
暴力衝動が抑制出来ない大人になったりしないのでしょうか?
世間では逆に、「暴力的環境で育つと、暴力的大人になる」というのが
主流を占める意見でしょう。
■ ホラーを見る方が、人として正しいのか? ■
私自身は「ホラー」は嫌いですが、
人が「暴力」や「破壊衝動」を内包する存在ならば、
それを安易に隠すのではなく、折り合いを付けた方が健全とも考えられます。
「血飛沫飛び散るホラー」を見る事も、悪い事では無いように思えて来ました・・・。
・・・ンンン、何だかそれは違うような・・・。
■ 「屍鬼」に見る、善悪の逆転 ■
最近のホラーアニメで印象に残るのは「屍鬼」です。
日本版吸血鬼としては、とても良く出来た作品です。
日本のとある田舎町で奇妙な死亡事例が続出します。
そして使者たちは「屍鬼」として蘇り、
かつての友人や親兄弟を「屍鬼」の仲間にしてゆきます。
いつしか村は「屍鬼」に支配され、
残された住民達は、「屍鬼」を狩るという暴力を行使します。
昼間は日光を避けて暗がりで仮死状態になっている「屍鬼」達は、
一転して不利な立場に追い込まれます。
「狩る者」と「狩られる者」が逆転するのです。
すると善悪の境界も同時に薄らいで来ます。
「生きるが故に醜い人間」と「死んでいるが故に美しい屍鬼」
これはデビルマンにも似た構造を持つ物語ですが、
アニメを見終わると、是非原作を読みたくなります。
何度も本屋で手に取るのですが、未だに買う機会を逸しています。
ところが、「Another」の原作のハードカバーは
何故か私の書棚に収まっていました・・・。(ゾーーー)
酔っぱらった時に、表紙買いして、忘れていたのです。
娘が先に読んで、「死者の正体」を明かしてしまったので、
一気に拍子抜けしてしまいましたが、
アニメは、「やり過ぎ」という言葉がぴったりの
惨殺劇が繰り広げられています。
ところで、「屍鬼」の原作者「小野不由美」は、
今回紹介した「Another」の原作者「綾辻行人」の奥さんです。
京都大学推理小説研究会で知り合った様ですね。
同時期の部員には、二人の他に法月綸太郎・我孫子武丸が居るようです。
恐るべし、京都大学推理小説研究会。