人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

被曝した家畜をどうするか?・・・難しい問題ですが・・

2012-07-20 17:14:00 | 福島原発事故
  

■ 被曝した家畜をどうすれば良いのか? (ご質問) ■

被曝した家畜をどうするのか、質問を頂きました。

< 質問 >

希望の牧場ふくしま~岐路に立たされています。警戒区域なので数名でのお世話も限界でしょう。「日本獣医師会サイドから、日本獣医師会が中心となって新たなプロジェクトを立ち上げ、被ばく牛を圏外に出して、グループ分けし、飼養管理する案が出されました。」プロジェクトの概要
(1)被ばく家畜の“家畜”としての再生の模索 (2)耕作放棄地の保全管理などへの活用 (3)安楽殺、解体を含めた研究への活用  
圏外へ出して?規準緩和して食用にするのか、或いは活用するフリをして処分してしまうのか、、、人力さんはこの裏側を想像出来ないでしょうか。寄付金が今は足りていますが、人手も含めてこのままずっと牧場運営を続けられるとも思いません。でも何とか生かす、或いは元通りにならないものでしょうか。

<質問終わり>

■ 家畜はペットでは無い ■

非常にお答えし難いご質問ですが、
本日は、冷酷に書かせて頂きます。
「情」を交えると、論点が不明確になるからです。


家畜はあくまでも「経済動物」であり「愛玩動物」ではありません。

「被曝した」というだけで、家畜の商品価値は無くなります。
「経済動物」としての価値を失った家畜を育てる事は、
「ペットを飼う」とこと同義です。

被曝家畜は将来的にも価値を生み出しませんから、
これらの家畜を飼う為のコストは、純粋に持ち出しとなります。
これでは農家は破綻してしまいますから、
普通の農家であれば、家畜を安楽死させて、
その保障を政府か東電に求めます。

もし、被曝家畜が価値を持つとすれば、
それは研究対象としてですが、
被曝による影響は、10年後、20年後になりますから、
被曝量が少ない家畜をそのまま飼育しても、
何の影響も出ずに、無駄に餌代ばかりが掛かる事になります。

そもそも、被曝の影響は確率的に発生しますから、
多数の実験動物を揃えなければ、あまり実験の意味を持ちません。
マウスは安価で、世代交替が早いので、
被曝実験向きの動物ですが、
牛などは、研究に向かない動物の筆頭とも言えます。

■ 手塩にかけて育てた家畜は、当然食用になる ■

ここで問題になるのは、農家が家畜を手塩に掛けて育てるのは、
食用にする為だという事です。

乳牛も乳の出が悪くなれば、当然処分されます。

農家でも無い私が言っても全く説得力を持ちませんが、
農家が家畜を大事にする事と、
一般の人がペットを可愛がる行為は
全く別の行為である事には注意が必要です。

仏教国の日本では、人間の命も、ペットの命も、家畜の命も等価ですが、
これは、輪廻転生という仏教概念によるもので、
キリスト教の復活では、人間が牛になる事はありません。

この仏教的な、「ミミズだって命の重さは一緒」という思いが、
「福島の家畜は可哀想」という感情を、日本人に自然に生じさせます。

でも、本来は食べる為に飼育される動物なのです。

■ 象徴的意味しか持ち得ない ■

現在、福島の被曝家畜たちは、
家畜としての当然の経済価値を失い、
実験動物としての価値もそれ程高くありません。

しかし「可哀想な動物達」という、象徴的価値はそれなりに持っています。

この「象徴的価値」が、政治的に飼育費用を上回るのであれは、
これらの家畜達は、生き残る事が出来ますが、
時間と共に「象徴的価値」を失えば、
寄付金も底を突き、結局はこれらの家畜達は殺される運命にあります。

■ 「家畜達が可哀想」と書くメディアがあれば、私は信用しない ■

もしメディアがこの家畜達を取り上げて「可哀想」と伝えるならば、
私はそのメディアを信用しません。

極めて政治的か、あるいは大衆におもねった報道姿勢だからです。

むしろ、これらの家畜が始末されなければならない事を
ストレートに伝えた方が、放射線が経済に与える問題が明確に伝わります。

■ マンガですが「銀の匙」は家畜の命の問題を正面から扱っています ■

マンガの話で恐縮ですが、
少年サンデーに連載されている「銀の匙」という作品は、
農業高校で畜産を専攻する高校生の目を通して、
「家畜の命」の問題を正面から問いかけています。

私のブログで申し訳ありませんが、参考になれば・・・

「夢ってなんだろう?・・・「銀の匙」荒川弘」
http://green.ap.teacup.com/pekepon/809.html

■ 放射線の真実が明らかになれば、この様な悲劇を防げるはず ■

今回の被曝家畜の問題は、
結局は「低線量率の被曝も危険」とするICRPの厳しすぎる防護基準が招いた悲劇です。

この問題を解決しない限り、この様な悲劇が何度でも発生します。

尤も、少しでも放射線が入っていない食品を求めているんもは、
私達自身なのですが・・・。

「可哀想」と言う方達が、これらの家畜の肉を食べられるかが問われているのだと思います。



本日は、冷たい書き方になってしまって申し訳ありません。
でも、中途半端な状態は、家畜にとっては不幸だと私は思います。



岩崎琢の「ヨルムンガンド」のサントラを聞くと、管野よう子の非凡さが浮き彫りになる

2012-07-20 09:42:00 | 音楽
 


「ヨルムンガンド」 サウンドトラック  岩崎琢

■ 岩崎琢という作曲家 ■


「天元突破グレンラガン」


「ソールイーター」


「刀語」


これらの楽曲をカッコイイと思いませんか?
これ、岩崎琢という作曲家の作品です。


■ 売り切れ御免!! 「ヨルムンガンド」のサントラ ■

私が岩崎琢に注目したのはソールイーターからですが、
この人の音楽はとにかくカッコイイ。

アニメのスコアーの作曲家としては
とかく管野よう子ばかりが注目されますが、
日本には、他にも優れた作曲家が存在します。

特に岩崎琢は、「カッコイイ」音楽を書かせたら超一流です。

そんな彼の最新作が「ヨルムンガンド」のサントラ。

ギリシャの女武器商人とその傭兵部隊の暗躍を描くアニメ作品ですが、
岩崎琢の音楽が映像をグイグイと引っ張っています。

これ程、スコアーが物語を支配している様な作品は、
「カウボーイビーバップ」くらいしか思い浮かびません。

ユーロテクノ、ラップ、ブルース、ジャズ・・・
様々な音楽が作り出すイメージが、
映像の絶妙なトーンを加えて行きます。

本放送当時からこのサントラを買おうと決めていましたが、
(応援したいアーティストの作品はちゃんと買おう!!)
近所の西友のCDショップにはなかなか陳列されません。

他を探しても・・・ありません。
じゃあ、ネットで購入しようとしましたが、何処も在庫切れ。
結局、「在庫切れ」と書かれて居ないネットショップでポチッとしてしまいましたが、
2日程して、在庫切れのお知らせがメールで届く始末・・・。

ネットで調べたら、秋葉原のショップでも何処も在庫切れらしい。

■ DVDのオマケと化した、アニメのサントラ ■

いくら岩崎琢が素晴らしい作曲家だからと言って、
軒並み売り切れというのは腑に落ちません。

ネットで調べてみたら、実はアニメのサントラ業界は今大変な事になっているらしい。

アニメに限らず、サントラが単品で売れる枚数は限られています。
そこでアニメ業界は、サントラをDVD(BD)の特典にしているらしいのです。

ところが今回、岩崎琢は「ヨルムンガンド」に余程思い入れがあったのか、
プロダクションに掛け合って、このサントラを単品作品として売り出させたそうです。

しかし、初回プレスの枚数が少なかったので、
あっという間に店頭から消えてしまった・・・。

これが事の真相です。

しかし、CDが売れなくなった時代に、
多くの優秀な作曲家が、CDの売り上げに期待出来なくなる事は
とても悲しい事です。

■ TSUTAYAで借りられてしまった・・・ ■

ところが7月14日にふらりと入ったTSUTAYAで
何と、アニメサントラの新譜コーナーに、
「ヨルムンガンド」が陳列されていました。

7月14日は貸し出し解禁日だったのです。
しかし、時刻は昼過ぎです。
私はTSUTAYAでは当分借りれないと思っていたので、
ここれは少々意外でもあります。

逆に言えば、所謂「よい子のオタク」達が熱中する様な、
「けいおん」や「マクロスF」などの作品以外は、
誰も、アニメのサントラなど注意も払わないという事なのでしょう。

■ ラップの録音に自腹でNYに渡った岩崎琢 ■

今回の「ヨルムンガンド」に岩崎琢が掛けた情熱はハンパありません。
ライナーツを読むと、彼はラップを録音する為に
自腹で単身NYに渡ったようです。

(管野よう子の「カウボーイ・ビーバップ」の話を思い起こさせます・・)



そうして出来上がった楽曲がこれ。
シビレマス。



このリズムとギターソロ、そしてストリングスアレンジを聞くと
アランパーソンズプロジェクトを思い出します。


The Alan Parsons Project - Where's the walrus?

■ 超一流では無いからカッコイイ ■

岩崎琢もアランパーソンズの楽曲もカッコイイ。
しかし、それは超一流で無い事に起因するカッコ良さです。

フックのあるフレーズやアレンジをストックし、
巧みな構成で「再構築」する手法です。

その過程でエスニックとハードなテクノを融合させたり、
80年代、90年代の成熟したプログレッシブロックの手法が引用されたりします。

これは1968年生まれの岩崎琢自身が、
カッコイイと思って聞いてきた音楽の集合体とも言えます。
尤も、東京藝術大学の作曲科に在学中に
日本現代音楽協会新人賞を受賞を受賞していますから、
作曲家としての才能は恵まれています。

しかし、その才能は「構成」の才能であって
坂本龍一などの一部の作曲家が有する「オリジナリティー」とは別の才能です。

ここら辺が超一流と一流の境界線ですが、
それ故に、超一流に届かないアーティスト達は、
一種の明確な分かりやすさ、即ちカッコイイを追求します。

プログレッシブロックの有名アーティスト達も、
初期の前衛性を失った後には、
カッコ良さを追求してゆきます。

前述のアランパーソンズもそうですが、
後期のYESの「Owner of the lonry heart」などはその端的な例です。
(プロデュースのトレバー・ホーンの手腕とも言えますが・・)

一方、超一流のアーテイィストは、
明確なカッコよさから距離を取ります。

ビートルルズの後期の作品は、何だか良く分からないけどカッコイイ。
真のプログレッシブロックと言われるカンタベリー・ミュージックのアーティスト達は
今でも刺激的な活動を繰り広げています。

■ 管野よう子の持つ非凡さ ■

管野よう子も「再構成」の作曲家です。

しかし彼女の非凡さは、
「参照(コピー?)」された音楽よりも、彼女のスコアーの方が完成度が高い事。

ああ、この曲のネタ元はアレだなって分かるのですが、
どう聞いても、オリジナルよりも完成度が高い。

ショパン風のピアノ曲を書かせれば、
ショパンよりもキャッチーなメロディーが流れ出し、
プログレ風の曲を書かせれば、
90年代に進化を止めてしまったこのジャンルの進化形を聞く事が出来る。

さらには、『坂道のアポロン』で聞かせたような、
ドラマの後ろでひっそりと鳴りながら、
極めて独創的な現代音楽風の小品もこなしてしまいます。

これはこれで「コピーの超一流」と言うしかありません。
その非凡さは、オリジナルに拘る古いタイプの作曲家を
はるか眼下に見下ろすタカミ到達しています。

岩崎琢も優れた作曲家ですし、
梶浦由記、大島ミチルなど女性陣も存在感を発揮しますが、
それ故に、比較すると管野よう子の音楽の非凡性を明確にしてしまう事は、
現代の映像音楽に携わっている有能な作曲家達の共通した悲劇なのでしょう。

梶浦ファンには悪いですが両者を比較したニコ動を発見。
アニソン対決だけに、二人の違いが明確です。
特に、リズムの処理の差には驚愕するばかり。

菅野楽曲は再分化されたリズムの上でベースが縦横に動き回ります。
シートベルツだからこそ出来る芸当ですが、
ただのアニソンと、全く違う次元に到達しています。
(単にドラムンベースってだけか?)

私は『Faito/Zero』って、OPで萎えちゃうんですよね。
何で、この素晴らしい内容に、この歌なのって・・?
(梶浦ファンの方御免なさいネ!!)

でもね、コアなアニメファンのハートには、
梶原由紀の歌詞が直球ど真ん中って事は理解できます。
なんせ、高校時代の石川智晶とバンド組んでいただけで、オジサン的にもOK!!
(でも、「アンインストール」や「不完全燃焼」で智晶ちゃんに負けてる気も・・・)



そこへゆくと岩崎琢は、かなり「いい線」までいっていますが、
シンセサイザーの音が薄いのが気になる所。
和音のセンスの違いなのかな・・・。

菅野サウンドの何とも言えない瑞々しさは、
シンセの音の多彩さにあるのかも知れません。
あるいは「柔らかさ」や「軽やかさ」とも言える肌合い・・。

それでも、自腹でNY録音敢行する岩崎琢を、私は応援したい。
当然、TSUTAYAでCDを借りてしまっても、
ネットで注文したCDをキャンセルなんてしません!!

家内には「バカ?」と思われていますが・・・・。


PS

おっと、大谷幸を忘れてはいけませんね。
何でもこなす器用さを持ちながらも、
明らかな大谷幸節ってありますよね。
それが上の「構成派」の人達と一線を画する所。

シャナ = 平成ガメラ・・・みたいな・・・。

菅野よう子のマクロスFの第一話のバジュラ襲来シーンなんて、
あれはっきり言って、ガメラのパクリですから。
(バットマンかも知れませんが・・・)
でもって、バジュラは平成ガメラシリーズの第二作に出てくる
レギオンという怪獣にそっくりだぁーーー!!

これって狙ってやってますかね?

PS

こんなものを拾ってしまいました。
『魔法少女まどか☆マギカ』の勝手に劇場版予告。
なんとハリウッド映画のサントラと合体してます。
(梶原さん、ゴメンナサイ)