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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

定型化された中でどうやって差別化するか・・・『ココロコネクト』に見る定型の活用法

2012-07-22 09:51:00 | アニメ
 


ココロコネクト


TAR IRAI

■ 登校前の朝にシーンはアニメの導入部としては定番 ■

今シーズンの健全な高校生枠アニメと言えば
『ココロコネクト』と『TARI TARI』でしょう。

両方とも高校生男女の日常を描く作品です。

女子3人に男子2人という組み合わせも同じです。

この2作品は、今期どうしても比較されてしまいますが、
何と、冒頭の導入がほとんど同じ。

登場人物の登校前の家族との何気ないシーンで、
家庭事情や、家族とのやり取りから彼らの性格をさり気なく紹介します。

これは、現在のアニメが良く用いる人物紹介の方法です。
いえ、アニメに限らず、ドラマや映画でも良く用いられる導入方法です。

■ 同じようなシーンでも描き方に差が出る ■

『ココロコネクト』と『TARI TARI』という似たような設定のアニメだけに
冒頭のシーンの出来の良し悪しが明確に別れます。

『ココロコネクト』の女の子、永瀬 伊織の朝は、
ちょっと狭い木造アパートの朝食のシーンで始まります。

母親は仕事に出かける間際らしく、
少し朝寝坊した事から、娘にカップに入った飲み物だけを飲ませています。
娘は、「ありがとう」と素直に言い、
少し熱くて舌を火傷したようですが、気遣う母に「うんうん、平気」と答えます。

これだけのやり取りの中で、
この家庭が母子家庭である事。
娘が母親いにも、ちゃんと気を遣っている事が分かります。
この「親に気を遣う」というのは、高校生にとっては結構難しい事です。

これが我が家だったら、高一の娘とのやり取りはこうなります。

「お母さん、朝ごはんは?」
「エー、これだけ!!・・・もうイイ、時間ないし!!」
「アチ!!」
「お母さん、熱過ぎ!もう舌、火傷しちゃったじゃん」
「もうイイ、行くからお弁当ちょうだい。」

この後に私の

「お前、ナニサマ? おい、弁当持たせなくていいぞ!!」と続く訳ですが、
「お父さんウザイ」と返されるのがオチです。
だいたい、バタバタと出かけた後に、
定期を忘れたりして、一度戻って来るのも日課です。

これに比べたら『ココロコネクト』の伊織ちゃんは
月とスッポンな位い、人間が出来ている・・・。
いや、高校生にしては出来すぎています。

普通なら、見逃してしまいそうなシーンですが、
監督の「大沼心」は、しっかりとこのシーンに
それとない違和感をかもし出す事に成功しています。

それは、娘のアッケラカンとした声色とは違う、
ちょっとした表情の暗さによるものなのかも知れません。


一方『TARI TARI』では父子仮定の朝を
娘が父親の朝食を用意するシーンで表現します。

 父 「これ何?」
 娘 「昨日の残り丼」
 父 「オーイ!!」
 娘 「お父さんが晩御飯作りすぎるからでしょう?」
 父 「だったら卵でとじるとか、タレを掛けるとかさぁ」
 娘 「私もう出るから、食べたら洗っといてね」
 父 「エー」
 娘 「エーじゃ無い、だったら早く起きればいいでそう」
 父 「チッ」
 娘 「舌打ちしない」

オー、コレコレ、これが女子校生だよね。
我が家と一緒!!
と、思うと同時に、これだけの尺を使って、
結局は普通の女子校生の朝を見せるだけです。
この子が普通よりちょっとしっかり者で、
父親との関係も悪く無い事は分かりますが・・・。

この手際の悪さは、キャラクターの描き分けにも現れていて、
冒頭、主要女性キャラクターを延々紹介したのにも関わらず、
私などは、第一話目までは、誰が誰なのか混乱するシーンが沢山ありました。
要は、キャラ立ちが悪いのです。

■ 定型化の中で個性と完成度を競う現代アニメ ■

『ココロコネクト』の、5人の男女の朝のシーンは、
それぞれのシーンの終わりのカットが、
見事に次の子供の最初のカットに繋がる芸の細かさを見せています。

それぞれのシーンは至って短いのですが、
過不足なく、それぞれの人物と家族関係を表現して行きます。

これは、多分の原作ランノベの人物紹介のリズムに見事に符号していたりします。
(追記: 原作を確認したら、この部分はアニメのオリジナルですね)


「例えばそれは、プレレスをこよなく愛し、
入部届けのプロレス研究会という存在しない部活を書いてしまう俺であったり」

「例えばそれは、カワイイものが大好きで
既に消滅しているファンシー部に入部を希望した、桐山 唯であたり」

「例えばそれは、遊びサークル部などありもしない部活が
あると信じ込み入ろうとした、青木 義文であたり」

「例えばそれは、これだけいいろんな部活があると選ぶのも面倒だし
逆に運を天に任せた方が新鮮な驚きがあるのでは無いかと
部活を担任に一任した、永瀬 伊織であったり」

「例えばそれは、パソコン部の入ろうとしたが
たちまち部長と衝突し別の道を模索しようた稲葉 姫子であったり」

「例えばそれは」というあまりにはベタな並列ですが、
結構端的にそれぞれの性格を描き分けています。

そんなラノベの文章に対して、アニメでは
朝の一瞬を、それぞれの行動の最後と終わりを統一する事で
シーンをシームレス繋に繋ぎ、
原作における冒頭に並列感を再現しようとしたと見るのは
深読みし過ぎでしょうか?

■ 短い冒頭シーンに事件の伏線までが張られている ■

さらに『ココロコネクト』の冒頭シーンの短いカットの中で、
桐山 唯の乱れた部屋と、青木 義文の携帯電話の文章で、
二人に昨晩、何か事件があった事まで暗示しています。

『ココロコネクト』は5人の高校生男女の
心と体がランダムに入れ替わるという、
かつての名作「転校生」の複雑進化系の物語です。

それぞれ、他人には知られていない問題を抱え、
それぞれ、誰かに好意を寄せる5人の集団で、
「入れ替わり」が繰り返される事で、
互いが互いを知り合い、
ある時は助け合い、ある時は反目しあって
それぞれが成長してゆく話であると・・だいたい予想される設定です。

この5人の抱える問題の幾つかを
非常に短い冒頭シーンで提示する
監督の演出手腕には脱帽です。

■ 定型化されたシーンやキャラクターで差異を競い始めたアニメ ■

昔のアニメは1クール50話以上で1年間放映していました。

それがいつしか1クール25話程度になり、
最近では13話が普通になりました。

1クール50話の時代には、人物紹介や、物語の世界観の紹介に
結構なボリュームを割くことが出来ました。

しかし、13話では、人物紹介を長々とやる時間はありません。

ですから先に書いた様に、定型的なシーンで人物紹介を済ませてしまいます。
さらには、キャラクターをも定型化する事で、
この子はツンデレとか、この子は妹系とか、この子はボクっ子と
キャラクターを作りこまなくても、
視聴者が過去に見てきた作品のイメージを重ねる事で、
面倒な人物造形すらも簡略化してしまう作品が多くなりました。

言わば、現代のアニメは俳句や短歌の様に、定型化された表現様式になっているのです。
ですから、その「定型」の中で、いかにオリジナリティーを発揮するかが
作品の良し悪しを決定します。


『ココロコネクト』は冒頭で水準以上に定型演出をしてみせる事から
本編でも、ストーリーの展開と細部の伏線が見事にかみ合っています。

これはむしろ原作者を褒めるべきかも知れません。(未読ですが)
ラノベはアニメの原作的ジャンルですから、
執筆時に、アニメ化を想定して書かれています。
アニメ表現を熟知していれば、
優れた脚本としてのラノベを書く事が出来ます。


■ 定型を逆手に取って成功した「ハルヒ」や「化物語」 ■

さらに大ヒット作ともなると「定型」を逆手に取って成功を収めます。

「涼宮ハルヒの憂鬱」で谷川流は、
ツンデレ、ロリ系、不思議ちゃん系というキャラを登場させ、
さらにその裏に、「超個性的なSF設定」という意外性を付加します。

一方、「化物語」で西尾維新は、定型キャラクターを過剰演出する事で、
今まで無い、魅力的なキャラクターを生み出しています。

■ 結局、良い脚本は、良い演出を引き出す ■

5人の男女の入れ替わりは、
誰もが考えそうなシンプルなアイデアです。

それだけに、ちょっとした仕草で心の動きを表現出来る演出力が無ければ、
単なるドタバタ劇で終わってしまいます。

これをしっかりとした内容に仕上げているのは、
脚本の力が大きいとも言えます。

いえいえ、ともすると複雑になり易い
複数人数による入れ替わりを
これだけスームースに分かりやすく展開できるのは、
脚本がかなり優れているから出来る芸当です。

シリーズ構成と1話の脚本は「志茂文彦」。、
「火垂の墓」や「涼宮ハルヒの憂鬱」で「笹の葉ラプソディー」などを手がけた脚本家です。

ある程度定型化された現在のアニメにおいて、
しっかりとした作品を作る為に脚本が果たす役割を
この作品は端的に証明しています。

『ココロコネクト』は、脚本と演出がしっかりとかみ合った
教科書の様な良作アニメです。

ご家族で安心して楽しめるでしょう。

放射線で人が死ぬのは許せなくても、停電で人が死ぬのは許せる人々・・・・身近なリスクに鈍感な大衆

2012-07-22 04:04:00 | 福島原発事故
 



■ 大飯原発稼動で、火力発電6(8)基を停止した関西電力 ■

中日新聞の記事から全文引用します。

<引用開始>

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012071890094758.html

関電、大飯再稼働なくても電力供給に余力 

2012年7月18日 09時49分




政府の節電要請から16日までの2週間の関西電力管内の電力需給で、最大需要は2301万キロワットにとどまり、出力118万キロワットの大飯原発3号機(福井県おおい町)が再稼働しなくても、供給力を9%下回っていたことが分かった。猛暑となり17日の最大需要はこの夏一番の2540万キロワットに達したが、10%以上の供給余力があった。政府は夏場の電力不足を理由に強引に大飯原発の再稼働に踏み切ったが、節電効果など需要の見通しの甘さが浮き彫りになった。

 関電は5月にまとめた試算で、原発ゼロのままなら7月前半は8・2%の供給力不足が生じるとし、再稼働の必要性を強調した。政府は大飯の再稼働を決めた上で、関電管内に猛暑だった2010年夏比で15%の節電を求め、3号機のフル稼働後も節電目標を10%に設定している。

 政府は2日に節電要請を開始。関電の資料などによると、16日までの2週間の最大需要は10年同時期と比べて平均で12%低下。最大需要の2301万キロワットを記録した瞬間は供給力を344万キロワット下回り、大飯3号機の118万キロワットを差し引いても余裕があった。需給が最も逼迫(ひっぱく)した時間帯でもさらに209万キロワットの供給が可能だった。

 一方、関電に平均36万キロワットを融通している中部電力も2週間の最大需要は2139万キロワットで、供給力を9%下回った。中電管内の節電目標は当初は5%で、現在、4%に設定されているが、安定した供給体制を確保している。

 関電広報室の担当者は「雨や曇りの日が多く供給が安定したが、今後は気温が平年より高くなるとの予報がある。大飯原発4号機が稼働しても需給の見通しは厳しい」とコメント。中電広報部の担当者も「火力発電所のトラブルリスクなどがあり、電力供給は厳しい」と話した。

 千葉商科大の三橋規宏名誉教授(環境経済学)は「政府や電力会社が、原発を再稼働させるため、電力需要を恣意(しい)的に過大に見積もった結果だ。今後、猛暑になっても電力は足りると思うが、脱原発の機運を高めるため、引き続き企業と家庭で節電の努力が必要」と話した。

<引用終わり>


■ 関西電力意の夏場のピーク電力を無視した暴論 ■

上の報道を受けて、多くの脱原発派の方々は
原発を稼動しなくても関西電力管内は大丈夫と主張されています。





http://www.env.go.jp/air/report/h17-02/02-3.pdf より

上のグラフは平成18年(2006年)までの関西電力のピーク電力です。

年度によってピーク電力にバラツキがあるのは、
その年の最大気温が影響しています。

2006年までの関西電力管内での最大のピーク電力は
2002年の役3300万kwです。

近年、省エネ化が進んでいると言われていますが、
2010年、単年のデータがあったので載せておきます。


http://www.jgnn.net/ls/2012/05/post-4684.html より

① 2010年の関西電力管内のピーク電力は約3000万キロワットです。

② 10%節電したとして、関西電力のピーク電力予測は2700万kwです

③ 中日新聞の記事で17日のピーク電力は2540万kwです

④ グラフは16日までで、14,15,16日は三連休で消費電力が少ない

⑤ 17日よりさらに160万kwの上積が発生する可能性があります。

⑤ 300万kwの火力発電所を止めているので、140万kwの余裕がある

17日はウィークデイで、気温も33度程度まで上昇しましたが、
関西電力管内の方々の節電努力で2540万kwのピーク電力でした。
気温が仮に、35度を超えて行くような日があれば、
クーラーの使用確率が高くなるので、ピーク電力が一気に増大する可能性があります。

これを無視して、中日新聞は
原発を稼動しなくても電力は209万kwも余っていたと書いています。




はっきり言います。
バカです。



■ 関西電力は余剰発電量を500万kw程度に想定しているのでは? ■

一般的に電力需要が増大して、電力供給が不足してくると、
電流の周波数が低下してきます。
(発電機の付加が増大する為でしょうか)

発電所では交流電流の周波数を一定に保つように運転する事によって、
電力の需給が安定します。

電力需要の短時間の増大に対して、
火力発電所は出力調整が可能ですが、
原子力発電所は出力調整が簡単には出来ません。
これを実験して大事故を起こしたのがチェルノブイリです。

上の1日のピーク電力の変動を見ても分かる様に、
使用電力の総量は、時間と共に刻々と変化します。

① 関西電力では、約400~500万kwの発電力の余裕を見ている

② 使用電力量の20%程度の余裕を見込んでいると思われる

③ 10%省エネが実現した場合、ピーク電力を2700万kwと仮定する

④ 20%の余剰発電量を確保すると3240kwの供給力が必要

⑤ 大飯原発を稼動しなければ、余剰電力はほとんどゼロ。

⑥ 原発を稼動しなければ、突然の大規模停電を覚悟する必要がある

⑦ 大規模停電を防ぐ為には、計画停電を実施しなければならない


■ 行政も電力会社も大規模停電を絶対に許されない ■

関東では計画停電は経験済みです。

停電エリアでは以下の事態が発生しました。

① 信号が全て消える

② 電車が全て止まる

③ 病院には予め電源車を派遣する

⑤ 工場もオフィスも機能を停止

関東の場合は計画停電でしたから、
仮定でもオフィスでも工場でも大きな問題は発生しませんでした。


しかし、これが広域で、突然発生したらどでしょう。

① 信号が突然止まり、交通事故の危険が高まる

② クーラーの効かない暑い電車の中に閉じ込められる

③ 病院なども、バックアップ電源が無い施設では医療機器がストップする

④ 職場のコンピューターが突然落ちる

⑤ 工場のラインがいきなり止まる

⑥ エレベーター内の閉じ込めが各所で発生する

⑦ 気温が最高の時に高齢者家庭も含めエアコンが使用出来ない


関東の計画停電は、3月でした。
気温は寒いくらいの時期です。

さて、真夏の盛りの日中に突然大規模停電が発生したらどうでしょう?

① 高齢者の方には熱中死する方が出てくる。

② 半導体のウエハースや化学工場などでは、停電時に多くの損失が発生する

③ 医療機関で事故が発生する可能性がある

これらの責任は誰が負うのでしょうか?
電力会社でしょうか?
政府でしょうか?

昨年、九州だったと思うのですが、停電が発生し、
半導体のウエハーを製造する工場が多額の損失を被りました。
この企業は当然、電力会社に損害請求をしています。

こんな請求が、大量に電力会社に押し寄せたら、
電力会社が破綻するかもしれません。

では、政府がこれを肩代わりするのでしょうか?
それは私達のい税金である事を忘れてはいけません。


■ 身近な原因の命の損失は無視できるのに、放射線による命の損失は無視出来ない ■


この様に、脱原発、反原発を訴えるということは、
それが原因で人が死んでも構わないという事に等しい。

しかし、人々は、予想できるリスクによる死に寛容です。

老人が熱中症で亡くなっても
「あの日は暑かったからね、かわいそうだったね」で済ませてしまいます。

交通事故で誰かが亡くなっても
「車は本当に恐いよね。あんたも気をつけなさいよ」で済ませてしまいます。

ところが、福島原発事故の放射線では、
未だに誰も死んでいませんし、
将来においてもその影響はICRPの予測などよりは軽微です。
(多分、将来的にも一人も死なないのでは?)

それなのに、脱原発の為には、夏場の停電もやむを得ないと人々は言います。


それでは彼らは街頭に出て、

「停電で熱中症で老人が真でも、原発を止めるぞー」
「停電で病院で人が死んでも、原発絶対止めるぞー」
「停電で交通事故が起きても。原発なんていらなーい」

そう叫べるでしょうか?

私には反原発、脱原発のプラカードを持つ人に群れが
こう叫んでいる様にしか見えません。

■ いざ停電で人が死ねば、電力会社と政府に責任転嫁する人々 ■

ところが、仮に停電で死者が出た場合、
人々は、これまた電力会社と政府を批判します

「原発ばかり作って、火力発電の整備を怠った電力会社を潰せー」
「原発停止を黙認し、危機管理を怠った政府を潰せー」
「原子力も要らないし、停電もイラナイーーー」
「電力料金の値上げなんて、絶対に認めないーーーー」

まあ、多少誇張はありますが、
原発事故以来の大衆の行動を見ていると、
多分、これに近い事が起きるでしょう。

■ 脱原発・反原発のデモに行く前に、エアコンを捨ててて、TVを捨てよう ■

私は個人の意見としては脱店発も反原発も大いに結構と思っています。

私自身、ICRPの防護基準が緩和されなければ、
原発は再稼動すべきでは無いと考えています。

しかし、そういった事を口にするならば、
先ず、自分が率先してクーラーを捨てるべきです。
電力を大量諸費する大型TVを捨て、14インチくらいの液晶TVにすべきです。

個人の権利を手放さずに、公共の福祉は実現しないのです。

自然エネルギーがあるじゃないかと言う人は、
現在の2倍以上の電力料金を負担してから言ってください。
孫さんが、大喜びする顔が目に浮んで来ます。

■ 想像力を失った大衆 ■

電力会社の社員の方は、日々電力の安定供給の為に努力されています。
台風などで停電になれば、暴風雨の中、復旧作業に勤めます。
そうした、目に見えない、彼らの日夜の頑張りで、
私達の生活が支えられていることに、ほとんどの人は気付かないのです。

(反原発の方は、「それは下受けの社員だ」と言うのでしょうが・・・。)

こうした当たり前の現実を、想像する力を失った人達は、
何故か、存在しない放射線の恐怖を想像しまくります。

TVや新聞なんてウソだらけだと言う一方で、
TVや新聞の情報を、都合良く解釈しています。

今回の中日新聞の記事も、
しっかりグラフを見て、
しっかり記事の内容を検討すれば、
17日はたまたま大丈夫だった程度の記事です。

多くのブロガーがこの記事を、
鬼の首を取った様に紹介しています。


あまりに頭に血が昇ったので、
本日は少々過激な記事になってしまいました。



ちなみに、我が家はエアコンもTVもありませんから、
こうしてブログで好き勝手を書く事に問題は無いと思います。

今年も暑い夏がやってきます・・・。