ココロコネクト
TAR IRAI
■ 登校前の朝にシーンはアニメの導入部としては定番 ■
今シーズンの健全な高校生枠アニメと言えば
『ココロコネクト』と『TARI TARI』でしょう。
両方とも高校生男女の日常を描く作品です。
女子3人に男子2人という組み合わせも同じです。
この2作品は、今期どうしても比較されてしまいますが、
何と、冒頭の導入がほとんど同じ。
登場人物の登校前の家族との何気ないシーンで、
家庭事情や、家族とのやり取りから彼らの性格をさり気なく紹介します。
これは、現在のアニメが良く用いる人物紹介の方法です。
いえ、アニメに限らず、ドラマや映画でも良く用いられる導入方法です。
■ 同じようなシーンでも描き方に差が出る ■
『ココロコネクト』と『TARI TARI』という似たような設定のアニメだけに
冒頭のシーンの出来の良し悪しが明確に別れます。
『ココロコネクト』の女の子、永瀬 伊織の朝は、
ちょっと狭い木造アパートの朝食のシーンで始まります。
母親は仕事に出かける間際らしく、
少し朝寝坊した事から、娘にカップに入った飲み物だけを飲ませています。
娘は、「ありがとう」と素直に言い、
少し熱くて舌を火傷したようですが、気遣う母に「うんうん、平気」と答えます。
これだけのやり取りの中で、
この家庭が母子家庭である事。
娘が母親いにも、ちゃんと気を遣っている事が分かります。
この「親に気を遣う」というのは、高校生にとっては結構難しい事です。
これが我が家だったら、高一の娘とのやり取りはこうなります。
「お母さん、朝ごはんは?」
「エー、これだけ!!・・・もうイイ、時間ないし!!」
「アチ!!」
「お母さん、熱過ぎ!もう舌、火傷しちゃったじゃん」
「もうイイ、行くからお弁当ちょうだい。」
この後に私の
「お前、ナニサマ? おい、弁当持たせなくていいぞ!!」と続く訳ですが、
「お父さんウザイ」と返されるのがオチです。
だいたい、バタバタと出かけた後に、
定期を忘れたりして、一度戻って来るのも日課です。
これに比べたら『ココロコネクト』の伊織ちゃんは
月とスッポンな位い、人間が出来ている・・・。
いや、高校生にしては出来すぎています。
普通なら、見逃してしまいそうなシーンですが、
監督の「大沼心」は、しっかりとこのシーンに
それとない違和感をかもし出す事に成功しています。
それは、娘のアッケラカンとした声色とは違う、
ちょっとした表情の暗さによるものなのかも知れません。
一方『TARI TARI』では父子仮定の朝を
娘が父親の朝食を用意するシーンで表現します。
父 「これ何?」
娘 「昨日の残り丼」
父 「オーイ!!」
娘 「お父さんが晩御飯作りすぎるからでしょう?」
父 「だったら卵でとじるとか、タレを掛けるとかさぁ」
娘 「私もう出るから、食べたら洗っといてね」
父 「エー」
娘 「エーじゃ無い、だったら早く起きればいいでそう」
父 「チッ」
娘 「舌打ちしない」
オー、コレコレ、これが女子校生だよね。
我が家と一緒!!
と、思うと同時に、これだけの尺を使って、
結局は普通の女子校生の朝を見せるだけです。
この子が普通よりちょっとしっかり者で、
父親との関係も悪く無い事は分かりますが・・・。
この手際の悪さは、キャラクターの描き分けにも現れていて、
冒頭、主要女性キャラクターを延々紹介したのにも関わらず、
私などは、第一話目までは、誰が誰なのか混乱するシーンが沢山ありました。
要は、キャラ立ちが悪いのです。
■ 定型化の中で個性と完成度を競う現代アニメ ■
『ココロコネクト』の、5人の男女の朝のシーンは、
それぞれのシーンの終わりのカットが、
見事に次の子供の最初のカットに繋がる芸の細かさを見せています。
それぞれのシーンは至って短いのですが、
過不足なく、それぞれの人物と家族関係を表現して行きます。
これは、多分の原作ランノベの人物紹介のリズムに見事に符号していたりします。
(追記: 原作を確認したら、この部分はアニメのオリジナルですね)
「例えばそれは、プレレスをこよなく愛し、
入部届けのプロレス研究会という存在しない部活を書いてしまう俺であったり」
「例えばそれは、カワイイものが大好きで
既に消滅しているファンシー部に入部を希望した、桐山 唯であたり」
「例えばそれは、遊びサークル部などありもしない部活が
あると信じ込み入ろうとした、青木 義文であたり」
「例えばそれは、これだけいいろんな部活があると選ぶのも面倒だし
逆に運を天に任せた方が新鮮な驚きがあるのでは無いかと
部活を担任に一任した、永瀬 伊織であったり」
「例えばそれは、パソコン部の入ろうとしたが
たちまち部長と衝突し別の道を模索しようた稲葉 姫子であったり」
「例えばそれは」というあまりにはベタな並列ですが、
結構端的にそれぞれの性格を描き分けています。
そんなラノベの文章に対して、アニメでは
朝の一瞬を、それぞれの行動の最後と終わりを統一する事で
シーンをシームレス繋に繋ぎ、
原作における冒頭に並列感を再現しようとしたと見るのは
深読みし過ぎでしょうか?
■ 短い冒頭シーンに事件の伏線までが張られている ■
さらに『ココロコネクト』の冒頭シーンの短いカットの中で、
桐山 唯の乱れた部屋と、青木 義文の携帯電話の文章で、
二人に昨晩、何か事件があった事まで暗示しています。
『ココロコネクト』は5人の高校生男女の
心と体がランダムに入れ替わるという、
かつての名作「転校生」の複雑進化系の物語です。
それぞれ、他人には知られていない問題を抱え、
それぞれ、誰かに好意を寄せる5人の集団で、
「入れ替わり」が繰り返される事で、
互いが互いを知り合い、
ある時は助け合い、ある時は反目しあって
それぞれが成長してゆく話であると・・だいたい予想される設定です。
この5人の抱える問題の幾つかを
非常に短い冒頭シーンで提示する
監督の演出手腕には脱帽です。
■ 定型化されたシーンやキャラクターで差異を競い始めたアニメ ■
昔のアニメは1クール50話以上で1年間放映していました。
それがいつしか1クール25話程度になり、
最近では13話が普通になりました。
1クール50話の時代には、人物紹介や、物語の世界観の紹介に
結構なボリュームを割くことが出来ました。
しかし、13話では、人物紹介を長々とやる時間はありません。
ですから先に書いた様に、定型的なシーンで人物紹介を済ませてしまいます。
さらには、キャラクターをも定型化する事で、
この子はツンデレとか、この子は妹系とか、この子はボクっ子と
キャラクターを作りこまなくても、
視聴者が過去に見てきた作品のイメージを重ねる事で、
面倒な人物造形すらも簡略化してしまう作品が多くなりました。
言わば、現代のアニメは俳句や短歌の様に、定型化された表現様式になっているのです。
ですから、その「定型」の中で、いかにオリジナリティーを発揮するかが
作品の良し悪しを決定します。
『ココロコネクト』は冒頭で水準以上に定型演出をしてみせる事から
本編でも、ストーリーの展開と細部の伏線が見事にかみ合っています。
これはむしろ原作者を褒めるべきかも知れません。(未読ですが)
ラノベはアニメの原作的ジャンルですから、
執筆時に、アニメ化を想定して書かれています。
アニメ表現を熟知していれば、
優れた脚本としてのラノベを書く事が出来ます。
■ 定型を逆手に取って成功した「ハルヒ」や「化物語」 ■
さらに大ヒット作ともなると「定型」を逆手に取って成功を収めます。
「涼宮ハルヒの憂鬱」で谷川流は、
ツンデレ、ロリ系、不思議ちゃん系というキャラを登場させ、
さらにその裏に、「超個性的なSF設定」という意外性を付加します。
一方、「化物語」で西尾維新は、定型キャラクターを過剰演出する事で、
今まで無い、魅力的なキャラクターを生み出しています。
■ 結局、良い脚本は、良い演出を引き出す ■
5人の男女の入れ替わりは、
誰もが考えそうなシンプルなアイデアです。
それだけに、ちょっとした仕草で心の動きを表現出来る演出力が無ければ、
単なるドタバタ劇で終わってしまいます。
これをしっかりとした内容に仕上げているのは、
脚本の力が大きいとも言えます。
いえいえ、ともすると複雑になり易い
複数人数による入れ替わりを
これだけスームースに分かりやすく展開できるのは、
脚本がかなり優れているから出来る芸当です。
シリーズ構成と1話の脚本は「志茂文彦」。、
「火垂の墓」や「涼宮ハルヒの憂鬱」で「笹の葉ラプソディー」などを手がけた脚本家です。
ある程度定型化された現在のアニメにおいて、
しっかりとした作品を作る為に脚本が果たす役割を
この作品は端的に証明しています。
『ココロコネクト』は、脚本と演出がしっかりとかみ合った
教科書の様な良作アニメです。
ご家族で安心して楽しめるでしょう。