「ねえ、今日はここに泊まるの?」
「いつ、帰るのかな?」
この質問が、ショートステイに行く前日、
まーさんの口から頻繁に出てきました。
「ここに住んでるだよ(静岡弁?)」
「周りを見たらわかるよ。荷物は全部ここにあるでしょ?」
と夫。
「いやいや、そりゃそうだけど、あんたたち、それぞれ家があるでしょ?」
「そこにいつ帰るの?」
「どこに帰るつもりなの?」
「いや、お父ちゃまやお母ちゃまのところだよ」
「待ってるから」
「いやいや、お義母さんは93歳だよ。
お義母さんのお父さんやお母さんが生きてたら
もう120歳とか130歳とかだよ。
そこまで生きている人、この世にいないよ」
「もうみんな亡くなってるよ。
わたしの父母でさえもういないもの」
そういうと、頭を右左に動かして、そうかなあ〜と考え、
「確かにそうだね〜」
「わたしゃ、ボケたのかな」
「よくわからなくなっちゃった」
とまーさん。
「あんたにこの話を聞かなかったら、
わたし、家を出て帰ってしまってたかも」。
「お義母さん、その話してくれたから、
わたしがお義母さんを止めることができたけど、
黙って出てしまったら、
帰るところがわからなかったかもね」
「多分、夢の中でよくお父さんやお母さんと
おしゃべりしてるから、
その夢とゴチャになってるんじゃないの?」
とわたし。
一度はこういうやり取りで決着するのですが、
実はここで話は終わらず。
ものの数分で、
「あんた、いつ帰るの?」
とまた最初から。
何度言って説明しても、
結局はまた振り出しに戻るし、
お互いの負担も増えるから、
こういう時は、
「今日は泊まるよ」「明日帰ろうね」で良いのでしょうね。
わかっちゃいるけど、
わかってほしいと思いがちなわたしたちです。
今回、彼女を不安にした原因は、
「明日からお泊まりに行くよ」と告げたことから。
夫は黙って行かせるのはかわいそうだと、
一応きちんと伝えたいと思うようで、
ホワイトボードに伝えた後、文字でも書いたものだから、
その後は「これは何?」
「どこへ行くの?」からスタートして、
「帰らなきゃ」というところになってしまったようです。
それでもうちのまーさんは、
足が悪いから、出ていってしまうということはできず
ある意味、助かっているかもと思います。
杖をついて歩けていた頃は、
夕方いつの間にか外に出て、
道路の真ん中でボーッと空を眺めていたこともあり、
ひやっとしたのも何度か。
暗がりなので、人が立ってるのも遠くからは見えず、
車が通る道なので、とても危険なのです。
徘徊って、夕方によくあるようで、
それは不穏な気持ちになるからだそう。
周りのものがバタバタしているようだと、
落ち着かなくなると聞いたので、
まーさんの帰ってくるまでに夕食準備は済ませ、
まーさんが帰ってきてから食事までの時間、
静かに過ごすようにしたら、
夕方の生活に落ち着きが出てきたような気がしています。
ただ、
本人の気持ち的には、
ここを仮住まいと思っているのですね。
まーさんの帰ろうと思っている家は、
幼少期の時に住んでいた家。
お父ちゃま、お母ちゃま、
お姉ちゃま、お兄ちゃまと一緒に住んでた家みたいです。
今もそこに変わらず家族がいて、
自分はその家から出てきていると思っているのです。
それだったら、
帰りたいと思う気持ちもわかるような気がして。
自分の人生で一番楽しかった頃なのでしょうね。
まーさんのそんな姿を見ていて、
「自分たちならどこに帰りたいと思うのだろうね」
夫とそういう話をしました。
やはり生まれ育った家なのかな。
まーさんがあれほどまでに帰りたいと思う幼少期の環境。
愛されて育ったからかもと思うと、
「幸せな人だなあ」と羨ましくも思うのでした。
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わたしも実家に何があるというわけではないけど、実家に帰ろうと思うかというとそうでもないかな。
人それぞれのようで、面白いですよね。
そうなると今のぱぱとぷく太郎と過ごすこの家なのかな?なんて私も考えてしまいました。
お婆様はそんな感じだったのですね。やはり自分の一番よかった時代に戻るのでしょうか。それはそれで幸せなことかもと思います。
ぺんぺん草さんも、お母様をショートに送り出すときはそんな思いになられるのですね。
ぺんぺん草さんのお母様は、しっかりしておられるし、喜んで行っておられるように思っていましたから、大丈夫かなと思ってたのですが、
やはり送り出す方は、彼らがわかっているかいないかは別にして、「申し訳ない」気持ちになるのですね。
うちのまーさんもここ数年で様子がずいぶん変わってきました。
その時その時のまーさんの気持ちに寄り添うことがどれくらいできるのか、綱渡りな感じはありますが、できるだけ笑顔が増えるようにと思います。
ぺんぺん草さんのご家族も、それぞれが守られて過ごされますように、祈りつつ。
しみじみと読ませていただきました。
同じ繰り返しにお疲れになってしまいますね。
でもまぁさん、可愛いです
楽しかった子ども時代のしあわせなまぁさんに戻ってらっしゃるのでしょうね。
私の祖母は学校の先生をしていた頃が一番幸せだったのでしょう、娘たちに会っても教え子の〇〇ちゃん、と喜んでいたそうです。
明日からショートという日、わたしは少し後ろめたい気持ちになってしまい
それを悟られたくなくてドライに振る舞って
しまいます。
ショートに送り出す家族の複雑な気持ちお察しします。
お母さまが気持ち軽く穏やかな気持ちでいられますように。
お母さまの安心なお顔に、まんじゅう顔さんも旦那さまも穏やかに過ごせる事ができますように。
「しっかり向かい合う」というのは人間関係にとって大事なことだと思っていますが、
今のまーさんとはこうやってたらダメだと知らされます。
「相手の思っているようにしてあげる」のが一番ストレスのない方法ですが、なかなか思うようにできないのもストレスになりますね。
なおさんのお義母さんは、切替がきちんとできる方で、本人も周囲のものもとても気が楽ですね。とにかく本人が落ち着いて生活できるのが一番ですから。
なるほど、今のなおさんちは嫁ぎ先のお家で、ずっと2階がご夫妻の生活の中心だったから、そんな気持ちになられるのでしょうね。
うちのお義母さんは、そういう点では数年前に連れておられたうちに今いるので、住んできた実感がないのは当たり前だなと改めて認識しました。
でも、嫁ぎ先の家(一人暮らししてた)も同様に自分の心落ち着く家ではなかったのかもです。
でも分かっていても繰り返してしまうのよく分かります。
義母は
「私はここに嫁に来たんやからどこにもいかん」
と言ってましたから
実家よりこの家の方が居心地よかったのかもしれません。
でも施設に入った日からすぐに
施設を自分の家と思ってくれて
家に帰りたいとは一言も言わずに
落ち着いて生活してくれていてくれるので有難いです。
私は逆にいつまでも自分の家という気がしなくて
2階の自分達の部屋に上がってようやくホッとできる
というのが今も続いています。
もうこの家には2人しかいないのに(笑