あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ふた旅(前編)・高知その9

2007-01-21 21:35:06 | 四国遍路道ふた旅
 第16日 2006年11月26日(日) 雨
 <37番岩本寺>
 =大雨の中ひたすら進む=



 今朝も5時20分起床、6時朝食。昨夜半、かなり激しい雨音
で目が覚め、この雨では今日は停滞かとも考えたが、朝になっ
たら小降りになっていた。

 宿を出る時、雨は止んでいた。しかし1日雨の予報なので頭陀
袋(ずだぶくろ)はザックに入れ、完全装備で6時50分に民宿
あわを出る。

 京都の男性と新潟の女性は、昨日の到着点、JR土讃線土佐
久礼駅まで、宿のご主人が車で送って下さるとのことで、先に
出た。

 土讃線の線路沿いを、焼坂峠に向かう。線路の北側に回り、
まもなく遍路道。落ち葉が一杯に積もった自然石の敷石や、石
ころの道の上りが続き、早くも大汗。

 湿気も多く、メガネの下部が曇る。林間から、安和の家並み
が見下ろせる。

 結構傾斜があるので、滑らぬよう折り畳み杖を出したが、それ
でも注意が必要だ。


 標高228mの焼坂峠に50分ほどで着いた。

 切り通しの峠の先は、緩やかな傾斜で下る、林間の落ち葉道
の気持ちよい下りで、雨が降り出す。


 少し急な下りを過ぎて林道に出た。サワガニが林道に上がって
いた。


 JR土讃線の南に回って、並行して進み、国道56号に合する。
合流点に、不在の事務所らしい平屋があったので、入口の下で
雨を避けて休ませてもらう。雨はまだ小降りだが、雲は暗い。

 国道56号は、やはり車が多く、雨の日は一層わずらわしい。
500mほどで南側の遍路道に入り、しばらくは土讃線線路と並行
する。


 そえみみず遍路道への分岐点には、高速道工事で通行禁止
の張り紙があった。

 
 直進し、前回も上がった大坂遍路道に向かうことにする。中
土佐町の狭い家並みに入ると、大きい杉玉の下がる西岡酒造
など古い建物が並んでいる。


 水のない大坂谷川沿いは、葉の落ちた桜並木がつづく。

 川沿いに、東屋の休憩所とトイレがあった。東屋の中に、自転
車遍路氏がテントを張り、食事の準備中。断って片隅のイスで
休憩させてもらう。

 ガスが低く垂れ込め、周辺の山々が山水画のような彩りを
見せる。

 間もなく雨は本降りになった。国内では珍しい、細めで幹の
黒い黒竹が何か所か群生する「黒竹の里」を過ぎ、奥大坂の
集落に入る。

 予定した大坂遍路道は、「降雨の際は滝の流水で通行不能
の場合がある。」と、へんろ地図に記されている。小雨なら大丈
夫だろうと来たのだが、本降りになったのであきらめ、国道経由
に変更することにした。

 国道上り口の表示のところから、少し戻り気味に車道を上がり、
国道56に出た。

 国道には歩道が無く、高速で通過する車に次々に水をかけら
れる。中央寄りを走行するよう手で指示しながら七子峠に向か
う上り坂を進む。ガスで視界は数10mとなり、展望は得られ
ない。

 歩道のないトンネルも3つ通過、国道に出て3㎞余り、11時
30分、ようやく七子峠に着いた。

 すぐ先のドライブイン七子茶屋で昼食。先着のご夫婦遍路が、
岩本寺周辺に宿を予定していると聞き、私も泊まると、岩本寺
宿坊を勧めたら、早速予約された。

 峠からの下りは、国道の南側山すそを回る遍路道へ。2.5㎞
くらいは車から解放されたが、土道にもあちこちに水たまりが
出来ていて、靴の中もいつの間にか水に浸かってしまった

 再び国道56号へ。影野の六十余社神社前に、樹齢350年
のヤブツバキの古木があった。撮りたいと思うが、この雨では
デジカメを出す余裕がない。

 その上、デジカメを入れたウェストポーチのファスナーが外れ
た。雨がしみ込まないようビニールを被せる。

 次第に雨は激しくなり、後からの風も強まり、次々に通過する
車の水しぶきの洗礼が続く。日曜なので、トラックの通過が少
ないのがせめての慰めか。

 それにしても、こんな激しい雨中の歩きは、何時以来だろう…。
もう十何年前か、激しい雷雨の中での、東京の山手線一周ウオ
ークのことを思い出す。でもあの日は、こんなに車の水しぶき
は浴びなかったように思う。

 七子峠を下ってからは、歩道もあるが、幅狭いところは、車道
の水たまりの水しぶきをもろに浴びる。歩道も出来るだけ外側
を歩こうするが、外側に水が溜まっているところが多いので、
お手上げ。「止まない雨はない」と観念し、ひたすら前進する
しかない。

 無人の仁井田駅で休憩し、その後はただ雨の中、先を急ぐ。
浮坂トンネルを抜け、国道56号に分かれて窪川の町並みに
入り、先が見えてきてひと安心した。

 ただただ歩き続けたので、予想より早い15時13分、37番
岩本寺に着いた。宿坊玄関でビニール袋をもらい、ぬれた
ザックなどを入れてとりあえず預け、本堂と大師堂に参拝に
行く。

 雨で濡れぬよう、線香やローソクを点けるのもひと苦労。
雷鳴もとどろく。境内のイチョウの葉は、この雨でほとんど
落ちている。納経後、宿坊の受付を済ませ、15時50分頃、
2階3号室に入った。

 15畳の大部屋、ハンガー掛けに濡れた雨具などを吊し、
そばの洗面所の隅で乾かす。靴は古新聞紙をもらって詰め、
寝るまでに3回入れ替える。衣類はコインランドリーで洗濯
後、乾燥機で乾かし、体は入浴してさっぱりした。


 夕食は18時から。宿泊者は、昨夜民宿あわで同宿だった
京都の男性と新潟の女性、ドライブインで紹介した水戸市の
ご夫妻、自転車で逆打ちの白髪の男性。車で回るご夫妻。

 夕食後、遍路宿や接待所などの情報交換が出来、貴重な
ひとときとなった。

 帰宅後調べたら、この日出発した須崎市の雨量は86㎜、
岩本寺のある四万十町窪川は146㎜(最大1時間39㎜)と
いう集中豪雨だった。

(コースタイム〉民宿あわ6:50ー焼坂峠7:41ー国道56号へ8:37
~45ー西岡酒造9:14ー大坂谷川沿い東屋9:33~42ー奥大坂
国道上り口10:15ー七子峠11:30ードライブイン七子茶屋(昼食)
11:33~12:07ー六十余社神社12:53ー仁井田駅13:55~14:08ー
岩本寺15:13~宿坊15:50

(距離 31㎞、地図(1/5万) 須崎、新田、窪川、歩行地 須崎
 市、中土佐町、四万十町(旧窪川町)、歩数 48,900)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その8

2007-01-20 19:19:58 | 四国遍路道ふた旅
 第15日 2006年11月25日(土) 曇
 <36番青龍寺>
 =浦ノ内湾から仏坂峠越え=



 5時20分起床、6時朝食。今日の降雨予報は、午前50%、
午後70%である。青龍寺まで打ち戻りすることにして、ザック
を汐浜荘に預け、6時35分に出る。

 まだ外は少し暗い。少し戻って土佐大橋を渡ったが、手すり
が低くて落ちそうな感じ。宇佐湾を東南に、横浪スカイラインを
進み、三陽荘の大きな建物の横から遍路道に入った。


 土佐市天然記念物になっている湿地、蟹ヶ池の横を回り、四
国霊場の小さい石仏が並ぶ道すじを進み、36番青龍寺(しょう
りゅうじ)に着く。

 杉木立に囲まれた境内、龍の彫刻のある山門から急石段を
上がり、山の中腹にある本堂、大師堂に参拝、読経する。

 山門近くに、新しくて小さめの三重塔が立つていた。



 もとの道を汐浜荘まで戻り、預けたザックを受取り、玄関で
冷茶をいただく。おかみさんは、外の階段から落ちて骨折し、
4か月間休業、最近再開したばかりとのこと。

 通りまで見送りいただき、次のカーブを曲がるまで、手を振っ
て見届けて下さった。

 前回は、青龍寺から浦ノ内湾の南側、横浪スカイラインを、太
平洋を見下ろしながら進んだのだが、今回は浦ノ内湾の北岸に
沿って県道23号を西に向かう。

 岬になっている県水産試験場の辺りで、薄日が射してきた。
次々とカーブし、視界が変わる浦の内の入り組んだ湾沿い、波
静かな海に山の影が倒影する。

 深浦漁港では、水揚げしたタイを木箱に移し、トラックに積み
込みの準備中。



 浦の内小そばまで進むと、日が差してきた。湾沿いでただ1つ
のトンネル、浦の内トンネルは、歩道がないが車の交通量は少
ない。

 トンネル手前、缶や飲物のパックなどが沢山捨てられている。
中には酒のパックもあり、飲酒運転かと疑う。抜けたところで
逆打ちの男性遍路氏と会う。須崎市内のお勧めの宿を教えて
くれた。


 立目集落に下ると、建物に「ポンカンの里立目」と書いてあり、
周辺はポンカン畑が多い。実は黄色に色づいているが、まだ青
さも残り、収穫には早そうだ。

 浦の内中そばに、工事中の手押し信号機がある。そういえば
今日は、ずっと県道を来て11時を過ぎたが、信号機は一つも
無かった。

 浦ノ内湾も西端に近づいた。次の三差路際にあったYショップ
で昼食を購入する。ここは仏坂経由の県道314号と、横浪スカ
イラインからの道に合する県道23号の分岐だが、初めての仏坂
経由を行くことにした。

 少し進んで、横浪小先の小さい社と相撲場のあるところで、丸
太に腰を下ろして昼食とする。今日のメニューは写真の3点。


 仏坂に向かって次第に上りとなり、ヘアピンカーブのところは、
県道を2回ショートカットする遍路道を上がる。セイタカアワダチ
ソウに占有された棚田の休耕田を過ぎると間もなく標高140m
の仏坂に着く。

 峠の先で県道を右に分け、杉木立下の遍路道を下ると、番外
霊場仏坂不動尊がある。

 山の中腹に立つ小さいお堂にお参りし、お堂の前のベンチで
小休止する。そばに法話道場もあり、女性が何か相談している
声が聞こえてきた。

 少し下って県道314号に合し、更に緩やかに下り神田の田園
地帯に出る。車の交通量の少ない静かな山間の道。休耕田に
コスモスがたくさん咲き残っていた。


 その先、休耕田にビニールハウスが並び、建設中のもある。こ
んなにたくさん造り、投資効果があるのだろうかと、考えてしまう。

 桜川沿いに進むと左手に、住友大阪セメントの3つのプラント塔
と大煙突が見えてきた。須崎港の北側に出て、国道56号バイパ
スをくぐり、国道56号へ。

 須崎市役所横を通過、再度バイパスと交差、ドラッグストアが
あったので入り、足に出来たあかぎれ用の軟膏を購入した。

 国道トンネルの手前を左に入り、別格5番霊場、大善寺に回る。

 本堂は、少しだけ急階段を上がる。堂内に参拝中の人が多い。
納経所の人が、今日は祖先の法要の日だという。高台なので須崎
の町並みや海の展望がよい。

 さらに、明日行く予定だった「そえみみず遍路道」は、高速道
工事で、11月20日から平成20年末まで通行禁止との情報も
教えて下さった。

 国道56号に戻り、「道の駅かわうその里すさき」で芋けんぴを
買う。前回はこの食堂でお接待をいただき、感涙したところだ。
周辺は、高速道やインターチェンジの工事が進んでいる。

 上り坂となった。交通量が多いが、角谷トンネル(420m)、
久保宇トンネル(130m)とも歩道が無く、ミニライトを付けて
通過する。高見に上がり、海を見下ろす展望がよい。

 次の安和トンネル(245m)も歩道が無い。高速道路を造る
前に、既存のトンネルに早く歩道をつけて欲しいものだ。

 JR土讃線安和駅に近い、民宿あわに16時30分に着いた。
部屋の暖房は有料、洗濯機、乾燥機は無料で使わせてもらう。

 夕食は18時から。宿泊客は、歩き遍路の京都の男性と新潟
の女性。おかみさんから、そえみみず遍路道入口でいつもお接
待していた85歳のおばあちゃんが、歩き遍路の人へあげてと
持ってきたという、巾着袋と、そえみみず遍路道の説明文をいた
だいた。

(コースタイム〉汐浜荘6:35ー36番青龍寺7:18~40ー汐浜荘(打ち
戻り)8:28~37ー深浦簡易局9:30ー高祖の旧巡航船待合室9:49
~55ー浦ノ内中11:05ーYショップ11:12~18ー横浪小先の小さい社
(昼食)11:45~12:15ー仏坂峠12:51ー仏坂不動尊12:56~13:04ー
新川橋13:44ー源蔵橋手前14:00~08ー須崎警察署14:39ーかもめ
ドラッグストア14:50~53ー別格5番大善寺15:02~21ー道の駅
かわうその里すさき15:31~40ー民宿あわ16:30

(距離 33㎞、地図(1/5万) 須崎、歩行地 土佐市、須崎市、
 歩数 56,000)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その7

2007-01-19 20:57:49 | 四国遍路道ふた旅
 第14日 2006年11月24日(金) 曇後晴
 <33番雪蹊寺~35番清滝寺>
 =仁淀川大橋を渡り土佐市へ=



 5時50分起床、6時30分朝食。7時17分に民宿まさごを出る。
昨日は雨で寄らなかった桂浜を、黒松の間から見下ろし、浦戸
城跡の横を浦戸大橋際まで上がり、橋の手前を浦戸湾南岸に
下る。


 浦戸湾南岸沿いの道は、しばらくは高い堤防で海は見えない。
堤防が低くなり海が見えるところまで進んだら、正面からの風が
強まり、菅傘が飛ばされそう。造船所のそばから、浦戸の町並み
を進む。

 藻洲潟集落の東にある工場地帯で、間違えて工場の広い構内
道路に入り、湾の手前で行き止まり。すぐ西に公道があった。

 新川川を渡った正面が、33番雪蹊寺(せっけいじ)。前回改装
中だった本堂は新しくなっていた。
 
 手洗い所に、ミニ修行大師像が立つ。境内には、柿や柑橘を
売る出店があった。

 予約の電話をしたが休業中と言われた門前の宿、高知屋さん
は、周辺の数軒とともに、県道の拡幅工事のためにセットバック
して改築中だった。

 少し戻って高知南郵便局に9時開局と同時に入り、自宅から
局留めで送ってもらったデジカメ電池充電用ACコードの荷を受け
取る。

 新川川沿いの県道278号を西に向かう。「ハルウララ」で知ら
れる高知競馬場入口を過ぎ、高知市から春野町に入る。間もなく
左折する県道に分かれ、直進の遍路道へ。田園地帯となり、車
も少なく気持ちよく歩ける。

 休耕田の多くが、野菜などのビニールハウスに転用されている。
東小の校庭では、走り回る児童の声がにぎやか。水量豊富な新川
川のそばで地元の方に、「寒くなりましたね」と声をかけられたが、
歩いていると寒さは感じない。川を渡って県道279号に出た。

 奇麗な用水に沿った県道を進み、34番種間寺に着いた。

 山門のない開放的な境内。本堂は鉄筋。そばに、町内最古という
小さな手水鉢がある。納経所のすずりの大きいのが目についた。


 さらに用水沿いの県道279号を西へ、のどかな里道が続く。ビニ
ールハウスをのぞくと、きゅうりが多い。

 喫茶「はる」の前に、お遍路さん接待所の表示があったが、先
を急ぎ通過する。

 森山で、自販機の飲料を買いに来ていた男性から、ブドウジュー
スのお接待をいただき、仁淀川大橋までの道筋を教えてもらった。

 国道56号に出て、仁淀川大橋に上がる。700mくらいある長い
橋で、渡るのに9分かかった。その名の通り淀んだように静かな
清流に、数羽のサギが立っていた。

 右岸を1㎞ほど進み、土佐市の町並みに入る。町の中心部は4、
5本の道路が東西南北に走っていて、へんろ地図と逐一確認しな
がら進まぬと間違えそう。

 国道56号バイパスにあったコンビニ・スリーエフで弁当を買い、
高知自動車道近くの、不在の物置建物そばで昼食とした。すぐ先
の高岡町軍人墓地のある小公園の方がよかった。

 自動車道下をくぐり、東谷から狭い車道の上り。ミカンやポンカン
畑の間の遍路道も上がる。今日は気温が下がり、汗は出なかった
が、この上り道では汗ばんだ。


 35番清滝寺は山の中腹にあり、標高は150mほど。本堂の左
に大師堂が並び、ともに古い。境内のイチョウがよい彩りを見せる。


 納経所の前からは、仁淀川や土佐市街の展望がよい。


 高知自動車道まで戻り、往路より1本北の車道を進む。土佐市
の中心街も往路の西を抜け、細い流れに沿って南東に向かう。


 県道39号に出て、静かな流れの高石川を渡る。予想よりペース
が遅れたので、清滝寺から休まず進み、1時間40分の塚地休憩
所で休憩する。「大師の水」という流れにミニ水車が2つ回っていた。


 16時15分になり日没が近いので、塚地峠越えの遍路道はあきら
め、長さ837mの塚地トンネルで宇佐町に抜ける。

 宇佐湾沿いの県道は車が多いので避け、西に並行する狭い町並
みを進む。持参した靴下の一つに穴が空いたので、洋品屋に寄り、
2足組み靴下を購入する。

 町並みの南端近くで県道に出て、右カーブ点にある汐浜荘に17時
11分に着いた。

 よい部屋で、洗濯物を干す台が2つ用意されている。風呂の蛇口
の温度調節も容易。洗濯はおかみさんがして下さった。

 夕食は、明日から歩きを再開するという大阪の女性と一緒。ご主人
の食事造りなどのため長旅は出来ず、数日ずつの区切り打ちをして
いるという。ひざが痛いので、下りが辛いとも言われた。

(コースタイム〉民宿まさご7:39ー33番雪蹊寺8:31~54ー高知南局
8:58~9:02ー新川川の橋10:04~08ー34番種間寺10:35~11:02ー
国道56号へ11:55ー仁淀川右岸堤防(二つの石碑)12:09~14ー高岡
町軍人墓地近く(昼食)13:05~28ー35番清滝寺13:52~14:20ースー
パーポプラ15:08~12ー塚地休憩所16:01~15ー汐浜荘17:11

(距離 31㎞、地図(1/5万) 土佐長浜、須崎、伊野、歩行地 高知
 市、春野町、土佐市、歩数 55,500)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その6

2007-01-18 18:53:36 | 四国遍路道ふた旅
 第13日 2006年11月23日(水) 曇後雨
 <30番善楽寺~32番禅師峰寺>
 =高知市内に入る=



 6時20分起床、7時に朝食。富山の薬売り氏は、早起きして友人
と車で小豆島の寒霞渓へ行ったとか。7時39分に稲吉屋旅館を
出る。まだ雨は降っていないが、午前50%、午後70%の予報だ。

 北にある国分寺は昨日参拝したので、西への短絡コースをとる。
そばのT字路を西へ。JR土讃線を越え、県道249号を進む。車の
人が、国分寺に行くのを間違えたと思い、声をかけてくれた。お参り
は済んだと伝え、気配りに感謝する。

 田園地帯を抜ける道だが、車は少なく歩道もある。小籠の十字路
辺りから、今日回る五台山のアンテナが見える。南国市と高知市の
市境のT字路を右折して国分川を渡る。高知大医学部前の堤防の
モミジがよい彩りを見せていた。


 蒲原の家並みを過ぎ、南に高知刑務所を望む山すそにあった遍
路小屋5号蒲原で休憩する。
 
 雨がポツポツしてきたので、スパッツを付け雨具のズボンをはく。

 車の多い県道384号に出た。逢坂峠を少し下り、高知市街を見
下ろす一宮墓地公園の横から、遍路道を下る。

 本降りになってきたので、民家のガレージでポンチョも着けた。

 ほどなく30番善楽寺。山門は無く、境内の境界に何もない開放
的な寺。

 大師堂の前に、願を書いた小石が沢山吊してあった。


 道路を挟んだ土佐一宮の土佐神社にも参拝。社殿はこけら葺き。

 朱塗りの鼓楼は国重文である。


 神社参道を南に向かい、近くの大きなスーパー、マルナカで、昼
食を仕入れる。小さい川沿いに進み、JR土讃線の下を抜け、中央
分離帯のある広い県道44号へ。分離帯のカエデがよい彩り。


 正面に、これから上がる五台山が近づく。遍路道とは違うが、土佐
電鉄御免線の先まで県道を直進して左折、大島橋を渡り、土居酒店
の横から細い遍路道へ。

 簡易舗装の段を上がると、高知市街の展望が広がる。この上りで
大汗。雨の予報で厚いシャツを着てきたが、薄いのでよかった。

 牧野富太郎記念館展示館前や植物園の遊歩道を抜け、一度下が
って温室横の植物園の南門に出た。前回も間違えたと思ったが、
この道が遍路道になっているようだ。

 すぐ上が31番の五台山竹林寺。幅広い石段を上ると、境内のモミ
ジがちょうど見ごろで、五重塔付近が特によい。

 標高は120mだが、市内とは違う彩りだ。

 本堂は古いこけら葺き。参拝、読経を終え、本堂下の売店内に
ある休憩者用ベンチで昼食をさせてもらう。納経所は山門下の左手
奥、表示が無くて分かりにくかった。

 こけむすゴロゴロの石段を下り、下田川の桃の木橋を渡って左岸
沿いに進む。


 唐谷の集落を抜け、細道を東に進んで県道247七号へ。前回立
ち寄った竹市半平太旧宅は通過し、石土池の横に出る。

 再び汗をかきながら340mの遍路道を上がり、32番禅師峰寺
(ぜんじぶじ)に着いた。

 標高は82mだが、山の中腹にあり、本堂横からは浦戸大橋方面
の展望がよい。

 納経所にティサーバーがあり、お茶と菓子の接待をいただいた。

 寺を下る頃から本降りになり、冷たい雨で手がかじかんできた。
県道14号の北を並行して西に向かう旧道は細いが、車は少ない。

 三里中手前の聖神社前に、高知市の保存樹に指定された、6人
抱えくらいの太いクスノキが立つ。

 種崎渡船場近くの信号を左折して県道14号へ。車が多く、トラッ
クに雨しぶきを何度も何度もかけられながら、海面からかなり高い
浦戸大橋を渡る。

 桂浜に向かって、ぐるりと反時計方向に上り下りして、16時52分
に民宿まさごに着いた。

 玄関そばの部屋は、床の間と違い棚、神棚、飾り物、障子などが
あるりっぱな和室。夕食も海の幸主体で盛りだくさん。

 宿泊客は、出張で近くのドックに検査に来たという還暦近い長崎
の男性と、若い自転車遍路、それに私の3人。

 出張客も趣味で自転車ツアーをしているとかで、食事をしながら
旅の楽しみなどを、3人で話し込んだ。洗濯は、おかみさんがして
下さった。

(コースタイム〉稲吉屋旅館7:39ー国道32号交差点8:10ー南国市・
高知市境(小山橋南)8:27ー遍路小屋5号蒲原8:50~9:05ー30番
善楽寺9:38~10:00ー一宮神社10:01~07ースーパーマルナカ10:13
~26ー国分川の橋南詰11:15ー31番竹林寺(昼食も)12:02~55ー
県道247号へ13:39ー石土池際東屋14:00~06ー32番禅師峰寺14:30
~56ー大平山トンネル南15:35ー三里局先交差点16:04ー民宿まさご
16:52

(距離 27㎞、地図(1/5万) 高知、土佐長浜、歩行地 南国市、
 高知市、歩数 48,700)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その5

2007-01-17 22:18:02 | 四国遍路道ふた旅
 第12日 2006年11月22日(火) 晴後曇
 <28番大日寺~29番国分寺>
 =高知安芸自転車道を行く=



 5時50分起床、6時30分朝食、7時13分に清月旅館を出る。
はす向かいの安芸市役所前には、大相撲の郷土力士、栃煌山、
土佐の海などの大きなのぼりが並んでいた。


 宿の前の国道55号を西へ、1.5㎞ほどの球場前駅先で旧道
に合流した。

 合流点を南へ、小公園から防波堤沿いの道に入る。防波堤に
は、「日本一高い防波堤、海面より16m」の表示がある。安芸港
を見下ろしながら西に進む。さらに1㎞ほど先、国道55号では
「高知36㎞」表示のところから、高知安芸自転車道になる。

 通るのは、反対側から来る通学の高校生の自転車のみ。好天
で暖か、風もなく前方の岬は霞んでいる。北側の山肌は、広葉
樹林に竹の浸食が甚だしい。

 ごめんなはり線を2度ほど交差したり、並行したりして、番外霊
場八流山極楽寺の表示を過ぎる。

 「御殿の鼻」と呼ぶ岬に、自転車道の赤野休憩所があり、地元
出身の作曲家、弘田龍太郎の「雨」の歌碑が立つ。
 
 歌碑の字は、熊本市役所に勤務するサリドマイド児の、辻典子
さんが足で書いたもの。達筆である。

 休憩所からは、前方に長く伸びる「琴ヶ浜」が見下ろせる。

 川を渡った辺りは、実をいっぱい付けたムクロジが多い。ごめん
なはり線赤野駅の手前に、前回も休憩させてもらった栗山英子
さんの「お遍路さん接待所」がある。

 室内は、前回より内容盛りだくさんというか、遍路ゆかりの絵や、
色紙、人形などが壁面一杯に貼ってある。栗山さんは居られなか
ったが、コーヒーと芋けんぴをいただいた。

 民主党の菅直人議員や、中田横浜市長と娘さん2人が寄った
ことを記した新聞記事もあった。

 自転車道は堤防を出て、松林の下の砂浜沿いを進む。海水
健康プールの先からは、黒松林の林間がしばらく続いた。


 薄雲が広がってきたが、穏やかな日和。土佐電鉄安佐線の
写真が貼ってあり、この自転車道がその廃線跡だったと分かる。
近くに、鉄橋の橋脚らしいのも残っていた。

 今日は足の痛みもなく、昨日よりペースも上がったので、予定
していた香南市(旧野市町)の旅館をキャンセルし、昨夜同宿の
富山の薬売り氏の定宿と聞いた、南国市御免(ごめん)の宿を
予約した。キャンセル宿には「ごめん」なさい。

 いったん国道沿いに並行し、手結(てい)でまた離れる。高台に
建つ赤系統のちょっとどぎつい色の国民宿舎、海風荘への道の
下は、二つのトンネルで抜けている。

 何れも天井が高くて馬蹄形で、鉄道のトンネルだったことが
うかがえる。

 トンネルを抜けると夜須の町。「道の駅やす」の売店で魚寿司
弁当を求め、前回同様、背の高いヤシの茂る公園のベンチで
昼食をした。
 
 食べ終えた頃、宗教団体R会の人が話しかけてきたが、適当
に相手をし続けたので、離れていった。

 公園から500m余りで国道55号に出て、岸本神社の先から
北側の旧道に入る。遍路小屋8号香我美岸本があったが、先を
急ぎ寄らずに通過する。

 陸上自衛隊高知駐屯地前や、赤レンガ塀の岸本小前を過ぎ、
赤岡の町並みに入った。

 ここも、3、4段の水切瓦を付けた家が多い。町のあちこちに、
「絵金蔵(えきんぐら)」という表示が目につく。通りがかりの男性
に聞くと、古い屏風絵のこととか。

 帰宅後調べたら、幕末から明治に生きた狩野派の絵師・金蔵
が描いた芝居屏風絵のこと。この地で描いた23枚の絵は、絵金
蔵と呼ぶ町内の博物館で展示されているという。

 赤岡の町並みを抜けて国道55号に合する。前回宿泊した
「かとり」を過ぎ、高知黒潮観光ホテルの横から県道22号に入り、
野市の町並みへ。

 キャンセルした丸米旅館前を通り、香南市役所や、竜馬歴史館
入口を過ぎ、少しの遍路道を上がって28番大日寺に着いた。

 シンプルな山門を入り、鐘楼で鐘を突いてから参拝。正面に本堂、
左に大師堂がある。

 納経所そばのモミジがよい彩りを見せていた。


 14時25分に寺を出たが、次の国分寺まで7.5㎞ある。17時
までに納経をと先を急ぐ。佐古簡易郵便局で資金補充し、物部川
を渡る。

 幅4mくらいの自転車専用橋で、車を気にせずに渡れる。

 土佐山田の田園地帯で2か所、10数人が集まって休耕田に栽培
したショウガの収穫をしていた。傾いて倒れそうな大師堂や、西岡
さんのお遍路接待所(下)を過ぎ、JR土讃線を越える。


 御免からの車道に出て、北に向かって急ぐ。へんろ石饅頭店前
を通過し国分川を渡り、16時21分に29番国分寺に着いた。

 本堂は歴史を感じるこけら葺き。左に大師堂があり、境内には
しだれ桜が数本立っている。納経を終えた頃には薄暗くなった。

 帰宅の車が増えた狭い道、ペンライトを点けて南に急ぎ、17時
20分に御免の町並みにある稲吉屋旅館に着いた。

 この宿を選んだいきさつを、おかみさんに言ったら、その富山
の薬売り氏も来ているという。洗濯機を借りて洗濯中に、同氏が
風呂から出てきて、再開を喜び合った。

(コースタイム〉清月旅館7:13ー防波堤沿いの道へ7:36ー高知
安芸自転車道の東屋8:07~17ー八流山そば8:43ー赤野休憩所
9:04~12ーお遍路さん休憩所(栗山さん)9:25~43ー海水健康
プール10:10~12ー最初のトンネル11:08ー道の駅やす(昼食)
11:27~12:00ー岸本小12:27ーマルナカ赤岡店12:50~53ー丸米
旅館前13:30ー28番大日寺13:59~14:25ー佐古簡易局14:36~
40ー戸板島橋15:00ー遍路接待所(西岡さん)15:37ー野田踏切
15:49ー29番国分寺16:21~41ー稲吉屋旅館17:20

(距離 35㎞、地図(1/5万) 安芸、手結、高知、歩行地 安芸
 市、芸西村、香南市(旧香我美町、赤岡町、吉川村、野市町)、
 香美市(旧土佐山田町)、南国市、歩数 59,500)
 
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その4

2007-01-16 19:18:51 | 四国遍路道ふた旅
 第11日 11月21日(月) 晴
 <27番神峰寺>
 =「真っ縦」から安芸へ=


 
 6時20分起床、7時に朝食。昨夜、後から来た素泊まりの遍路氏
は早立ちした。朝のおかずも盛りだくさんだった。

 7時43分に山本旅館を出る。おかみさんが、最初の角まで見送って
下さり、暖かい心配りに感謝する。

 今朝も右足首付近に痛みがあったが、歩くうちに消えた。奈半利川
を越えて隣の田野町に入る。道の駅田野駅屋と、そばのコンビニに
昼食を探しに入ったが、買いたい弁当はなかった。



 色づく山並みを見ながら、国道55号の北側の旧道を進む。レスト
ラン岬のところで国道に合したが、再び北側の旧道へ。製材工場が
2つ3つ並ぶ家並みを通過して、安田の町並みに入る。

 高知の銘酒「土佐鶴」の工場前を通過、出荷する酒ビンを、数人の
女性がリレーしてカートンに詰めていた。

 
 周辺には、水切瓦の付いたりっぱな瓦屋根の家が多い。


 ごめんなはり線のガードをくぐり、神峰寺(こうのみねじ)へ向かう。
寺までは標高差400mほど上る。東谷集落の終わりで、畑作業中の
男性がいたのでザックを置かしてもらい、頭陀(ずだ)袋だけの軽装
になった。


 棚田の横を過ぎ、「あと1.3㎞」表示のある標高200m付近から、
林間の遍路道に入る。入口のベンチで、若い男性自転車遍路が休
憩していたので、一緒に休む。

 3度ほど車道を横断、「真っ縦」と呼ばれる急登の上り道だが、ほか
の遍路道と比べても、それほど極端な急傾斜とも思えない。

 残り750mからは車道を上がる。山門は工事中だった。納経所と
鐘楼の間から、急石段を上がって27番神峰寺本堂へ。

 石段の上り口には、土佐の名水「神峰の水」が流れ落ち、それが
手洗い水にもなっている。

 大汗をかいて上がってきたので、ひしゃくに3杯ほど飲み干す。
まろやかな味わいだ。納経所では、歩き遍路ということで、ミカン
一つのお接待いただいた。

 往路を戻る途中、桜並木や東屋のある辺りからは、奈半利方面
の展望がよい。


 預けたザックのところまで戻る。往復2時間20分だった。ごめん
なはり線の線路北側を進み、1㎞ほどで国道55号に合した。

 今日も気温が上がり暑く、白衣も腕まくりする。国道は、車の騒音
が途切れなく、うっとうしい。

 大山岬への回遊路に回る。海岸には大岩が連なり、山側は大岩
がくり貫かれ、中にお堂が祭られていた。


 そばの浜千鳥公園には、地元出身の作曲家、弘田龍太郎の
「浜千鳥」の歌碑が立つていた。


 その先の小さな道の駅大山で昼食をした。メニューは少ない。

 200mほど先から入るべき、防波堤道路への入口を見落とし、少
し先から防波堤に上がる。波静かな海を見ながら2㎞ほど進んだ。


 伊尾木駅の横から国道55号に出て、更に東を並行する旧道へ。
前回見つけた「寅さん地蔵」は、300mほど後方だったので、戻ら
ずに進んだ。


 旧道はやがて国道に合し、伊尾木川(上)と安芸川を渡って、安芸
市の中心街に入る。マンホールのデザインは「野良時計」になって
いる。

 どんな時計なのだろうか。帰宅後調べたら、明治20年(1887)
ころ、地主畑中源馬が独学で自作した時計で、いまも畑中家の屋根
の上で正確な時を刻み続けているという。この日は宿に早着したの
で、場所が分かれば寄ってくればよかった。

 安芸市役所そばの交差点際にある、清月旅館に15時17分に着
いた。6畳の畳部屋で、洗面台があるが机はなかった。隣室が風呂
だったので湯を入れて入浴。その間洗濯機も回す。

 夕食は18時過ぎから。同宿は、伝統の富山の薬売りにこの周辺
を回っている51歳の男性。得意先は高知県内に200軒以上ある
とか。同宿した若い男性遍路との交遊など、よいふれ合い話を聞か
せてもらった。

(コースタイム〉山本旅館7:43ー田野駅屋8:05~10ー安田川の橋
8:47ー東谷集落北(ザック預け)9:26ー遍路道入口9:52~10:00ー
27番神峰寺10:27~11:01ー東谷集落北11:54ー安田明神バス停
12:07~15ー道の駅大山(昼食)13:04~37ー伊尾木駅14:26ー伊尾
木川東(国道合流点付近)14:37~45ー清月旅館15:17

(距離 23㎞、地図(1/5万) 奈半利、安芸、歩行地 奈半利町、
 田野町、安田町、安芸市、歩数 39,600)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その3

2007-01-15 22:07:43 | 四国遍路道ふた旅
 第10日 2006年11月20日(日) 雨後晴
 <24番最御崎寺~26番金剛頂寺>
 =室戸岬から西岸へ=
 
 5時20分起床、6時朝食、7時ちょうどにロッジ室戸岬を出る。
昨夜半から雨で、出る時は降っていなかったが、まだ黒雲が残っ
ているので、雨具を着ける。

 間もなく室戸青年大師像。高さ21mの白い弘法大師像は、昭和
60年(1985)の建立とか。ここで予想通り雨となった。


 近くに番外霊場御蔵洞(みくろど)がある。大岩の下部にある弘法
大師が悟りを開いた洞窟で、虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)
の修行中に神秘体験をして、名を空海と改名したところだという。

 鎌倉市から車で来たご夫妻がおられた。奥さんが歩いて四国遍路
をしたいので、下見に回っているとのことだった。

 室戸岬が近づく。林間の簡易舗装の坂道と石段を700mほど上が
り、24番最御崎寺(ほつみさきじ)境内に入る。今日は朝から暖かく、
この上りで早くも大汗をかいた。

 常緑樹林に覆われた広い境内、正面に本堂、左手に大師堂が立つ。
右手前の鐘楼前に、NHKの「行く年来る年」で、この鐘の音が放送
された年が記されていた。

 境内のスダジイの根元で、高知県天然記念物である寄生植物、
ヤッコソウが白い花を開いていた。

参拝後、奥の遍路センター売店で、昨日飛ばされた菅笠のカバーを
購入、これで雨でもひと安心だ。

 北側の県道203号に入り、ヘヤピンカーブの車道を下る。天気が
回復し青空が広がる。前方に室戸の町並みと真っ青な海の展望が
よい。

 国道55号に下ったが、並行する県道をそのまま進む。

 室戸の町並みに入り、室戸岬郵便局に寄る。室戸岬港(津呂港)
のそばに、「土佐の国司、紀貫之が任満ちて京都に帰る途中、天候
悪く10日ほど滞在した」ことが記されていた。


 町並みを抜けて国道55号に合し、1㎞足らずで右の旧道へ、間も
なく室津の町並みに入る。室津漁港には、小型漁船が沢山係留され
ていた。

 再度国道と交差して25番津照寺(しんしょうじ)に着く。変わった形
の山門を入り、急石段を上がると、コンクリート造りの本堂がある。
本堂の前からは、室津の町並みと海が展望できる。


 室津の町並みを進み、室津川の先の小さい店で、昼食用にバッテ
ラ寿司を買う。250円だった。 国道55号に戻り、奈良師海岸沿い
に、マリンブルーというのか、それとも紺碧か、色鮮やかな太平洋を
左に見ながら進む。

 元川を渡って右折し、正面の山並みに向かう。向江の「参道」表示
の横から簡易舗装の遍路道を上る。簡易水道施設の先からは林間
の土道。途中のベンチ周辺から、室戸岬方面の展望がよい。

 気温が一層上がり、再び大汗をかき、標高165mの山上にある
26番金剛頂寺に着いた。

 本堂はコンクリート造りだが、屋根は鴟尾(しび)のある古いたたず
まい。緑多い境内は、小鳥の声のみで静か。

 大師堂前に「がん封じの椿」という、こぶだらけの木が、葉もつけず
に立っている。本堂前には、樹頼300年というマンサク科の木、「イス
の木」があった。

 境内を西に抜け、ツバキなどの広葉樹の林間を一気に下り、国道
沿いの「道の駅キララメッセ室戸」へ。東屋があったので、広々とした
海を眺めながら昼食にした。

 その先も、国道に並行する旧道を進む。国道との間には、赤い花
の残る植え込みが続いている。

 東の川橋を渡って吉良川(きらがわ)の町並みへ。国の重要伝統的
建造物群保存地区に選定された、土佐漆喰の外壁に水切瓦の付いた
独特の商家が多い。

 町並みを紹介した「町並み館」に入り、パンフレットをもらった。

 気温が上がり暑い。アイスクリームを買い、前回の昼食地、忠霊塔
のある公園で休む。西の川を渡って間もなく、家並みは終わり、国道
55号に戻った。海側は、潮害防備保安林が続いている。

 次の羽根の町並みに進むと、郵便局の近くにぶっかけうどんの店
があったので入る。閑散時だったのでなかなかうどんが出来ず、日没
が気になる。食べ終えたら16時、まだ宿まで8㎞ほどある。

 間もなく国道に分かれて右の旧道に入り、市営住宅の中を抜けて
中山峠への遍路道に上がる。

 ところが最初の分岐で間違え、右に進むと竹やぶが現れ、前回の
印象と違うように思われた。しかし上で回れると思い、そのまま進ん
で畑に出た。作業中の男性に聞くと、やはり間違えたという。

 少し先まで上がり、出来るだけ台地上を左に進むよう言われたの
で、そのまま1㎞近く進むと、遍路標識が見つかりホッとする。中山
峠は通過できぬまま、西の海の雲間に太陽が没した。

 急ぎ加領郷小近くの国道沿いに下ったが17時を過ぎた。宿に
電話しようかと思ったが、予約した際、おかみさんから「ゆっくりで
よいから」と言われたので、18時到着を目標に国道を急ぐ。

 薄暗くなり、海の向こうに明るい四つの光が見える。海岸沿いを
急ぐが、すっかり暗くなったのでペンライトを点ける。

 車の男性が、「乗らないか」と勧めてくれたが、「もう少しなので
歩きます」とお断りする。「では気をつけて」と、クッキーを2つ
お接待いただいた。

 奈半利(なはり)の町並みに入ったが、暗くなったので前回も泊
まった宿への右折路がよく分からない。2、3人に聞き、ようやく
18時27分に山本旅館に着いた。

 遅いのでおかみさんは心配していて、ご主人に「日を間違えた
のでは」と言われたとのこと。途中から連絡すれば良かったと
反省し、お詫びする。

 それにもかかわらず、おかみさんの気配りと謙虚さは前回同様
で、入浴中に洗濯もして下さる。部屋は2階の2間、夕食は1階
の部屋で。

 田舎料理といわれたが、アジのたたき、卵焼き、うなぎの蒲焼き、
肉じゃが、キムチやリンゴのデザートなど盛り沢山だった。

 部屋には洗濯物を吊すハンガーが多く、部屋、トイレ、広い風呂
など、みな清潔で気持ちよい。

 今日の出だしでは、右足首付近と左ももに痛みがあったが、何
とか歩けた。しかし腰痛は残る。かなり疲れ、到着も遅れたので、
今日の歩行メモは明日とし、21時50分に就床した。

(コースタイム〉ロッジ室戸岬7:00ー御蔵洞7:27~36ー24番最御崎
寺8:07~40ー室戸岬局9:25~38ー25番津照寺10:26~50ー国道沿
いの東屋11:21~25ー26番金剛頂寺12:03~25ー道の駅キララメッセ
(昼食)12:55~13:21ー吉良川町並み館14:05~07ー忠霊塔のある公
園14:17~22ードライブインオハラ前15:13ー羽根のぶっかけうどん
店15:33~16:00ー加領郷小下17:02ー山本旅館18:27

(距離 32㎞、地図(1/5万) 室戸岬、奈半利、歩行地 室戸市、
 奈半利町、歩数 58.000)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その2

2007-01-14 19:11:39 | 四国遍路道ふた旅
 第9日 2006年11月19日(土) 雨後曇り
 =高波の海岸沿いに室戸をめざす=



 5時50分起床。6時30分朝食、昨夜サーファーかと思った若い
男性も歩き遍路。おむすびと黒飴のお接待をいただき、雨具を着
けて7時10分に民宿谷口を出た。

 国道55号を1.5㎞ほど先で相馬トンネルを抜け、番外霊場東洋
大師・明徳寺へ。参拝、読経したが、納経所は不在でご朱印はもら
えなかった。


 旧道で野根の家並みを抜ける。雲の低い田園地帯を眺め、野根
川の野根大橋を渡り、国道55号に戻る。


 伏越の鼻と呼ぶ小さい岬を過ぎたら、雨は小降りになった。

 歩き出して間もなく、右足首前方に痛みを感じ、その後、左太もも
も痛くなりペースが上がらず、17時前に宿に着けるか心配になって
きた。

 「室戸岬30㎞」表示の付近に東屋があったので休憩。トイレと
水道もあった。行く手に4つの岬が見えるが、4つ目の岬は霞み、
室戸岬はまだまだ先らしい。


 「室戸32㎞(岬ではない)」表示近くの山すそに、法海上人堂が
ある。


 海は波が高く、ごろごろした石の多い浜辺に、白波が次々に押
し寄せてくる。

 
 廃屋の民家が1戸だけある東洋町と室戸市境付近で次の休憩。
雨は上がったが、また降りそうなので雨具は着けたままにする。


 少し不要荷物を送り返したのだが、ザックはまだ肩に重く、休ん
で30分もすると外したくなる。旧道に入り、番外霊場佛海庵にお
参りし、そばの墓地でまた休む。


 宿のあった生見から17㎞前後歩いて、ようやく次の集落、佐喜
浜の旧道の家並みへ。宿のおむすびでは少し不足かと思い、佐喜
浜スーパーであじ寿司(210円)を買い、隣にあるスーパー経営
者宅の縁側を借りて昼食をした。


 佐喜浜漁港を過ぎ、細い家並みを抜けて国道に戻る。


 尾崎の散在する民家の辺りで風が強まり、海は白波が怒濤のよう
に押し寄せ、岩に当たって激しく砕け散る。

 前方に、垂直に立つ4つの岩が現れた。近づくと2つの大岩に
しめ縄がかかっている。夫婦岩と呼び、そばに東屋とトイレがある
が、風が強く吹きつけ寒い。


 次の集落、椎名も旧道を進む。「室戸岬12㎞」表示付近で、再
び雨になったがすぐに止んだ。椎名漁港を過ぎ、集落の外れに、
「椎名の捕鯨山見跡」の説明板がある。山見は、寛永初年(1624)
土佐古式捕鯨の発祥とともに築かれ、鯨を見つける場所だった
ようだ。


 すぐ先で、いよいよ室戸岬が現れた。岬の山上に、風力発電の
プロペラやアンテナ塔が幾つか見える。海には大岩があり、周辺
は大波が岩に砕けている。

 近くに「滋賀丸遭難者慰霊碑」が立つ。昭和19年(1944)、沖合
1500mを高知から大阪に向け航行中の貨客船、滋賀丸が米軍
の魚雷攻撃で沈没、遭難した37名の慰霊碑だという。

 高知県海洋深層水研究所を過ぎ、高知市への近道、県道202
号三差路近くにあった事務所の建物で、風を避けて最後の休憩
をする。

 三津漁港のある三津も旧道の狭い家並みを抜ける。小さい流れ
のところでちょっとうつむいたら、後からの強風で、菅笠のビニール
カバーが吹き飛ばされた。「しまったー」と思うが遅い。取りに行け
ぬ橋下の流れに落ちてしまった。

 間もなくロッジ室戸岬、心配された足の痛みは悪化せず、16時
13分に着いた。6畳2間を使わせて下さる。早速入浴し、その後
痛くなった腰と膝をよくもむ。

 風呂は広くて明るい。洗面所、畳敷きの食堂、部屋とも明るく、
気持ちよい。洗濯はお接待でしていただけるとのことで、白衣や
長袖シャツもお願いした。


 夕食は盛りだくさんで食べきれず、もったいないが少し残した。
同宿は長野市の男性遍路。車で1度回ったが、退職する来年、
奥さんと歩きたいと、山越えのところを中心に下見に歩いている
という。

(コースタイム〉民宿谷口7:10ー東洋大師7:47~57ー野根大橋
8:17ー室戸岬30㎞付近東屋8:44~55ー佛海庵9:35~40ー東洋
町・室戸市境10:11~20ー佐喜浜スーパー横(昼食)12:02~25ー
ロッジ尾崎前13:10ー夫婦岩14:03ー椎名漁港14:26ー滋賀丸遭難
者慰霊碑14:54ー県道202号三差路15:25~35ーロッジ室戸岬16:13

(距離 32㎞、地図(1/5万) 甲浦、奈半利、室戸岬、歩行地
 東洋町、室戸市、歩数 53,100)
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四国遍路道ふた旅(前編)・徳島その8/高知その1

2007-01-13 23:27:54 | 四国遍路道ふた旅
 第8日 2006年11月18日(金) 晴後曇
 =高知県に入る=


 
 昨日は38㎞歩いたが、今日は約24㎞、ゆっくりして6時20分
に起床し、7時に朝食。緑茶ボトルのお接待をいただき、7時39分
にあづまを出た。

 ほぼ一面の雲で、夕方からは雨の予報。降り始める前に宿に
着きたいものだ。

 昨日の23番薬王寺から、室戸岬にある次の24番最御崎寺まで
は75㎞あり、今日は別格霊場鯖大師以外にお参りの予定はない。

 牟岐の町外れのコンビニ、ローソン横を入り、車道を少しで大坂峠
越えの遍路道に入る。落ち葉がいっぱいの山道を緩やかに上がっ
て大坂峠へ。木々が茂り展望はない。

 峠の先は急降下して行くと、林が終わって眼下に海が見下ろせ、
国道55号八坂トンネルの先に出る。

 表示はあるが、番外霊場草鞋(わらじ)大師は見つからなかった。
国道は海岸沿いを西に向かい、内妻トンネル(写真)など、幾つかの
トンネルを抜ける。福良トンネルは海沿いの旧道を回った。


 JR鯖瀬駅そばのガードをくぐり、別格霊場鯖大師に参拝。前回も
お参りしたのに、最初、手前のコンクリート製の馬頭観音を勘違い
して参拝、読経。鯖大師の本堂や大師堂はその奥だった。

 寺を出るところで、入れ違いに昨夜同宿の小野田の男性も来た。
この日は以後何度か後先になった。

 大ソテツの繁る大浜海水浴場を見下ろし、さらに海岸沿いを進む。
浅川駅下のベンチで休憩した。

 次の阿波海南駅近くに、近畿大、歌先生設計の遍路小屋1号香峰
があったので休ませてもらう。小屋横にトイレもあり、その後寄った
幾つかの遍路小屋の中でも、一番整った遍路小屋だった。

 施主の野村カオリさん(81)が居られ、お茶やお菓子のお接待を
いただき、お話も伺う。野村さんも、区切り打ちで10年かけ、3回
の歩き遍路をされたとのこと。小野田の人も間もなく着いた。オロナ
ミンドリンクもいただき、感謝申し上げ小屋を出る。

 近くの海南の町の道路際に、ススキの穂が下がっていた。何に
使うのだろうか。



 JR牟岐線と阿佐海岸鉄道の接続駅、海部駅を過ぎ、細長い入江
が2㎞余り続く那佐湾沿いに進む。

 途中の「狼煙台跡」と「島弥九郎事件跡」碑の並ぶところで昼食に
した。雲が厚くなり、座って動かずにいると寒い。

 さらに徳島県最後の町、海陽町宍喰(ししくい)に向かって湾沿い
を行く。

 国道55号も徳島・高知県境になると、さすがに交通量は減り、車の
途切れる時間が増えた。

 宍喰(ししくい)の海に、サーファーが2人見えたが、波は幾分高めだ。


 宍喰漁港を過ぎ、県境に近い水床(みとこ)トンネルに入る。長さ
683mあるが、ガードレール付きの歩道があり、センサーにより
人が通過する時だけ歩道にライトも点き、安心して歩ける。

 トンネルを出たところが県境で、高知県東洋町に入った。国道を
離れ、右側、甲浦(かんのうら)港の西側を抜ける旧道に回る。

 沢山係留された漁船を見ながら漁港をぐるりと回り、港を見下ろす
小さい公園のベンチから携帯メールで、高知県に入ったことをこの
ブログに投稿する。

 さらに甲浦の町並みを抜け、国道55号に戻る。途中で逆打ちの
男性遍路と行き交った。歩道のない甲浦トンネル(150m)を抜け、
サーファーが沢山泳ぐ生見海岸近くの、民宿谷口に15時39分に
入った。

 すぐに洗濯して入浴。近くのコンビニから、不要なチョッキ、靴下、
歩き終えたところの地図やメモなどを宅急便で自宅に送る。

 夕食は17時半頃から。宿泊客は、昨夜一緒の小野田の人と、サ
ーファーらしい若い男性との3人だった。

 海にはサーファーが多かったが、車で来ての日帰りが多く、宿泊者
は少ないようだ。

 明日は雨の予報、右太ももに多少痛みを感じたので、室戸岬まで
行くのは止め、手前3㎞の室戸岬ロッジを予約する。

 テレビ、暖房は1時間百円のコイン方式。いつものように携帯メール
でブログに投稿、歩行メモを記録して21時に就床した。

(コースタイム〉あづま7:39ー八坂トンネル西8:22ー鯖大師9:29~59ー
浅川駅そば10:25~32ー遍路小屋1号香峰11:23~48ー海部駅前12:08
ー狼煙台跡(昼食)12:40~13:06ー県境(高知県へ)14:27ー甲浦漁港西
の小公園14:45~55ー甲浦新橋西15:10ー民宿谷口15:36

(距離 25㎞、地図(1/5万) 桜谷、甲浦、歩行地 徳島県牟岐町、
 海陽町(旧海部町、宍喰町)、高知県東洋町、歩数 41,500)


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四国遍路道ふた旅(前編)・徳島その7

2007-01-12 22:49:00 | 四国遍路道ふた旅
 『「納豆を食べればダイエットできる」とテレビ番組で紹介されたら、
納豆の品薄状態が続いている。』と、今朝の新聞に出ていました。

 まさかと思い、午後の散歩(ウオーキング)の途中、いつも納豆を
購入する小さいスーパーに行ったら、やはり品切れ。別のスーパー
にも一つも残っていませんでした。

 TVの影響の大きさを改めて感じました。納豆だけならまだしも、
偽りや作為的な報道などを、正しいものと信じて行動したら、恐ろ
しいことになりはしないか、ちょっと心配です。

===========================

 第7日 2006年11月17日(水) 晴
 <23番薬王寺>
 =由岐経由の海沿いを=


 
 5時50分起床、6時半朝食、7時5分に山茶花を、ほかの2人より
早く出発した。気温は10度以下、冷たいので軍手を着用する。

 車道を南に進み、前回は気づかず通過した、月夜集落の交差点そば
の番外霊場、月夜御水庵(つきよおみずあん)に寄る。小さいお堂の
そばに、高さ31m、樹齢約千年という大杉が立つ。

 伝説によれば、弘法大師が弘仁2年(811)に当地で薬師如来・不動
尊を刻み、その杉の枝をさしたものだという。

 南に抜けて緩い峠を越え、国道55号に出る。釘打トンネル(301m)
の先にあったヘンロ小屋第3号釘打で休憩した。


 国道を進み、福井南小近くの信号で左手の県道25号に入る。直進
する国道より回り道だが、交通量は少なく海沿いでお勧めと、昨夜聞
いたルートである。

 阿南市と美破町(旧由岐町)境の小さい峠を越えて、由岐の町へと
下る。峠の先は、何か所か道路工事中だった。JR牟岐線沿いに出て、
由岐駅そばを通過、砂浜が広がる田井の浜海水浴場が見えてきた。

 無人の田井の浜駅は、県道から入れず、海水浴場側から入るよう
になっていた。戻るのも面倒なので、県道から線路を横断してホーム
に上がる。

 緩やかなカーブの砂浜が広がり、逆行にまぶしく輝く海を眺めながら
休憩した。


 田井ノ浜を見下ろしながら少しずつ上がり、右にカーブして木岐へ
と下った。

 昭和南海大地震の津波の高さを示す青テープが、電柱の3mくらい
の位置に貼られた木岐の町を、漁港沿いにぐるりと回る。

 漁港には、小さい漁船がたくさん係留されていた。


 漁港の西側まで進むと、神社の境内に「安政大地震津波石灯籠」
が立っていた。嘉永7年(1854)11月に発生した大地震は、数丈
の大津波となり、木岐浦では203戸中190戸が流出、11人が死亡
したと記されていた。

 前回も感じたのだが、電柱の表示や、このような説明を見ると、
遍路中に海岸を歩いていて大津波に襲われたら、ひとたまりもない
なと思う。でも、それも運命か…。


 肉厚の広葉樹林が豊富な、林間のへんろ道を回って車道(県道
25号)に出て、山座峠に向かって緩やかに上がる。峠周辺の高み
からは、海が見下ろせる。

 峠の少し先、NTTドコモのアンテナ塔そばから、遍路道を真っ直ぐ
に田井港に向かって下る。海沿いに県道を進むと、恵比寿洞の
説明板があった。

 そばの遊歩道を下って行くと、標高52mの岩山の下部が、幅32m
高さ31mの半円状の空洞になっている。うち寄せる太平洋の荒波に
浸食された海蝕洞で、徳島県内最大のものだという。


 洞の付近から、これから行く薬王寺の瑜木塔が見えてきた。日和佐
の湾に沿って進む。


 恵比寿洞から2㎞ほど進んで日和佐の町並みを抜け、徳島県
最後の霊場、23番薬王寺に着いた。

 大ワラジの下がる山門を入り、境内に上がる。正面に本堂、左手
に大師堂がある。大師堂前に2本の大クスが立っていた。

 本堂右手の石段から、変わった造りの瑜木塔まで上がる。高台
なので、日和佐の町並みや北河内川の眺めがよい。

 参拝、納経を終え、近くのセルフうどん店で遅い昼食を済ませ、宿
に向かって国道55号を急ぐ。14時を過ぎたが、宿までまだ15㎞
ある。

 国道はこの先、JR牟岐線と平行している。日和佐トンネルは長さ
690mあるが、片側に手すりのある歩道が付いていた。トンネルの
先、山河内駅そばの無人スタンドで休憩する。


 国道の温度表示は14度だが、日が暮れぬうちにと急ぐので、汗
が止まらない。次の辺川駅に近い番外霊場・小松大師は手を合わ
せただけで通過する。

 暗くなってきた国道を急ぎ、17時34分に食堂兼営の宿、あづま
に着いた。

 今日は38㎞歩いた。さっそく入浴して長旅の疲れをとる。
夕食は食堂で。同宿は、山口県小野田市からの歩き遍路さんのみ、
明日までの区切り打ちだという。

 ここも2度目。前回同様、夕食は盛りだくさん。1時間近くかけて
ゆっくりごちそうになる。

 明日の宿のことを相談したら、おかみさんがすぐに電話して、
予約して下さった。

食堂にお酒を飲みに来ていた80歳過ぎという老婆から、「お参り
してください」と、200円をお預かりする。夕食後、おかみさんが
撮ったたくさんの遍路の写真を見せて下さる。探したら前回の私
の写真もあり、いただいた。
 
〈コースタイム〉山茶花7:05ー月夜御水庵7:45~47ーヘンロ小屋
釘打8:32~40ー小野の交差点(県道25号へ)9:03ー阿南市・美波
町境9:27ー田井の浜駅10:13~25ー木岐漁港10:54ー山座峠11:40
~50ー田井(県道25号へ)12:10~15ー恵比寿洞12:33~42ー23番
薬王寺13:17~43ーセルフうどん(昼食)13:45~14:07ー日和佐トン
ネル入口15:05ー山河内駅そば15:25~30ー美波町・牟岐町境付近
16:11ー小松大師16:50~55ーあづま17:34

(距離 38㎞、地図(1/5万) 阿波富岡、日和佐、桜谷、歩行地 
 阿南市、美波町(旧由岐町、日和佐町)、牟岐町、歩数 62,500)
 
コメント
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