あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ふた旅(前編)・徳島その6

2007-01-11 22:20:05 | 四国遍路道ふた旅
 第6日 2004年11月16日(火) 晴
 <20番鶴林寺~22番平等寺>
 =第二の遍路転がしへ=



 好天で冷えたが、風も治まった。5時50分起床、朝食は6時半に
お願いしていたが、6時18分には出して下さった。

 この先の宿でも夜、良く寝付けるようにと、2合ビンに入れた梅酒
をいただき、7時15分に旅館かえでを出る。


 そばの勝浦川の橋を渡り、右岸沿いに少しで棚野の集落を抜け、
鶴林寺(かくりんじ)への遍路道に入る。少し上がると、宿の周辺の
家並みや勝浦川沿いの展望が広がる。

 丸木の段が続く上り道、ゆっくりと足を運ぶが、すぐに汗ばんで
きた。道沿いに新旧いろいろな竹ぼうきが幾つも置いてあり、いつも
道の整備をしていることを知り、感謝しながら上がる。

 下から上へ、数の減ってゆく町石が続き、終わって20番鶴林寺の
重厚な山門を入る。

 太い杉木立の並ぶ境内、標高500mにある山上の聖地のおもむ
き。本堂前には2羽の鶴の像が立つていた。

 納経後、山門まで戻らず、杉木立の下から疑木の段の続く急降下
の下り道へ。

 前回の膝痛の一因は、ここを一気に下ったためと思われたので、
膝に負担がかからぬよう折畳み杖を使い、慎重に下る。

 県道283号を横断後さらに急降下し、那珂川沿いの大井に出た。
 車道に出たら、新しいりっぱな東屋があり、「遍路さんへ」とミカン
が箱一杯に置いてある。3ついただき、休憩させてもらった。


 きれいな流れの那賀川の水位橋を渡る。緑と紅葉の混じる山並み
の展望がよい。

 小さい峠を越え、細い流れの若杉谷川左岸沿いに、簡易舗装の道
を上流に向かう。逆打ちの男性遍路と行き交った。

 気持ちよい沢音を聞きながら林間をトラバース気味に進む。橋を
渡って右岸に回ったところに、東屋と若杉山遺跡の説明板がある。

 この辺りは、日本最古の辰砂採取地だったという。辰砂とは水銀
朱のことで、縄文時代から土器を朱に塗る原料だという。

 川沿いの林を抜け、鳥居と田んぼの先から太龍寺(たいりゅうじ)
への山道となる。疑木の階段が続くので、ゆっくりと上がる。道は
比較的幅広く歩きやすい。


 平等寺への遍路道と合し、さらに急坂を上がり、標高520mにある
21番太龍寺に入る。

 鶴林寺以上に広い境内、歴史を感じる古い堂塔が幾つも立ち、色
鮮やかな紅葉も目につく。

 本堂には透かし灯籠が下がり、灯がともされている。

 境内に「守護の大杉」と呼ぶ、樹高48m、幹回り6m、樹齢600年
というご神木の杉の巨木が立つ。山門には、小さい健脚ワラジがたく
さん吊されていた。

 お参りを終え、平等寺への合流点まで戻り、そばのベンチで昼食。
旅館かえでお接待の、緑の黄粉をまぶした大きなおにぎりをいただ
く。おいしいご飯だった。

 下りの遍路道は、簡易舗装してあるので鶴林寺の下りより歩き
やすい。上り下りが分かれた車道に合し、さらに下って加茂谷川
沿いに出る。

 龍山荘と坂口屋の2つの遍路宿そばを通過し、県道28号を南東
へ向かう。緩やかな上りが続くが車は少ない。阿瀬比の交差点から
南への遍路道に入り、すぐ先のヘンロ小屋2号、阿瀬比で休憩した。


 その先は、ミカン畑と田んぼを見下ろしながらの気持ちよい遍路道。
やがて山間に入り、標高200mの大根峠への上り。たいした上りで
はないが、2つの山越えの後なので少しきつい。竹杖が幾つか置い
てあったので借用する。

 狭い峠から先は、たくさんの竹が杉林を侵食し、竹林と代わりつつ
あるところがしばらく続いた。

 車道に出て西光寺集落を左に回り込み、22番平等寺門前に着く。
そばにある今日の宿、山茶花(さざんか)に先に入り、ザックを預けて
から平等寺にお参りする。

 山門を上がると、山を背にした正面に本堂、左手下に大師堂が
立つ。本堂の天井には、植物を図案化した天井画が描かれている。

 本堂への石段下には、弘法の井戸があった。

 16時半、山茶花に入る。ここも2度目で、前回同様食堂そばの部
屋に入る。広い風呂が気持ちよく、洗濯機、乾燥機とも無料だった。

 食堂での夕食には、初日の安楽寺宿坊以来久しぶりの、同宿者
2人と一緒。昨日、星の岩屋で先行した沖縄の男性は、初めてで
23番までの区切り打ち。もう1人は、4回目で逆打ちという横浜市の
男性である。

 明日のコース、「国道55号経由より距離は2㎞長いが、海よりの
由岐(ゆぎ)回りが良い」と、逆打ち氏に勧められ、そうすることに
した。

 部屋には冷水とお湯のポットが用意され、食事の際も水とお茶を
出して下さる心づかいが嬉しい。

 昨日までの肩こりは無くなったが、背中のザックがやはり1日重い。
今日は車を気にする道は無く、標高差約千mの上り下りはあったが、
よい道のりだった。

 この3日間、どの霊場でも団体の遍路グループに合わず、静かに
参拝できた。前回は、明日の行程から右膝が痛くなり、10日近く悩ま
されたのだが、今回は無いよう祈りたい。

〈コースタイム〉旅館かえで7:15ー三町石8:30~45ー20番鶴林寺8:44
~9:10ー県道283号横断9:45~50ー大井の東屋10:10~20ー若杉山
遺跡10:53ー太龍寺登坂口11:05ー平等寺への分岐点11:22~30ー21
番太龍寺11:52~12:35ー平等寺への分岐点(昼食)12:45~13:00ー
坂口屋際13:53~14:00ーーヘンロ小屋2号阿瀬比14:33~40ー大根峠
15:09ー山茶花16:00ー22番平等寺16:03~26ー山茶花16:26

(距離 22㎞、地図(1/5万) 阿波富岡、歩行地 勝浦町、阿南市、
 歩数 38,900)
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武蔵野吉祥七福神めぐり

2007-01-10 21:53:20 | 七福神めぐり
 首都圏は今日、風もなく快晴の穏やかな1日でした。そこで、
今年2度目の七福神めぐりに出かけました。
 
 場所は、昨日18時10分からのNHK総合TV「首都圏ネット」で
紹介していた、『武蔵野吉祥(きっしょう)七福神めぐり』です。

 東京の武蔵野商工会議所が、武蔵野市内の寺社とともに企画
したもので、今年から始めた新しい七福神めぐりのコースです。

 元旦から今日10日までは、七福神めぐり特別バスも運行され
ましたが、私はもちろん、歩いて回ることにしました。

 スタートのJR中央線吉祥寺駅を、11時40分に出ました。南口
の丸井百貨店横から坂を下って井の頭恩賜公園に入ります。

 水中から数個の噴水が上がる井の頭池の橋を渡って、まず、
池の南西端にある大盛寺の井の頭弁財天に参拝します。

 この弁財天は、天慶年間(938~946)に始まった伝えられ、
神田上水水源の水神、福の神、音楽や芸能の守護神として、
江戸の人々に広く信仰されたとのことです。

 色鮮やかな朱に彩られた現在の社殿は、昭和2年(1927)に
再建されてものです。ここで、七福神の色紙を購入しました。
値段は2,000円、各寺社での朱印代も入っています。

 大盛寺本堂は池の南側を上がったところにありますが、門が
閉ざされていて入れませんでした。

 池の西側を上がって、吉祥寺駅西側を抜ける吉祥寺通りを北
に進むと、東西に走る五日市街道との交差点際に、大黒様の
武蔵野八幡宮があります。

 ケヤキやクスノキなどの保存樹に囲まれた緑豊富な境内の奥
に、やはり朱塗りのりっぱな神殿が建っています。

 大黒様は、別の小さな社殿に祭られていました。

 この神社は、789年、坂上田村麻呂が大分の宇佐八幡大神
の分霊を祭ったのが始まりと伝えられ、武蔵野の農民の氏神様
として信仰を集めてきたとのこと。

 境内には、「この辺りでは江戸時代後記の天保年間(1830~
44)ころから吉祥寺ウドと呼ぶ、ウドの栽培が盛んだった」と記さ
れていました。

 次の布袋尊の安養寺は、神社のすぐ東側です。開山は寛永
元年(1624)、吉祥寺四軒寺のひとつで、「多摩新四国八十八
ヶ所」第1番札所です。

 境内には、武蔵野市内にただ一つ現存するという、安永2年
(1773)奉納の梵鐘がありました。

 東に出て墓地の西側から北に向かい、女子大通りを越えて、
福禄寿の大法寺に行きました。

 大法寺は、徳川家光時代の寛永10年(1634)開山の禅寺。
開創当時は江戸麻布にあり、昭和7年(1932)にここに移転
してきたようです。

 境内にある石造の福禄寿は、石仏彫刻家、長岡和慶氏作。
長岡氏の代表作は、大英博物館に収蔵され、ほかに、延暦寺、
東大寺、高野山、永平寺、三井寺などに納めた石仏があるよう
です。

 西に回り吉祥通りに出て南へ、武蔵野八幡宮のある八幡宮前
交差点から西に、五日市街道を進みます。


 けやき並木の並ぶ成蹊大前を過ぎ、途中の中華料理店で昼食
後、武蔵野市民文化会館前を通過、第5小の北にある延命寺に
着きました。

 現在の本堂は近代的な建築様式ですが、関前村開村当時の
寛文10年(1670)に開山された密教寺院です。

 ここは、毘沙門天と寿老人の寺、いずれも石仏で、本堂前に並
んでいます。
 
 制作は大法寺と同じ、愛知県岡崎市の大仏師・長岡和慶氏で、
毘沙門天の裏面には、平成18年12月15日建立と彫られていま
したから、まだ真新しいものです。

 ここでは、甘酒のサービスがあったのでいただきました。

 昨日のNHKTVを見て来たのか。今日が色紙押印の最終日という
こともあるのか、各寺社ともかなりの参詣客で賑わっていました。

 五日市街道を少し先まで進み、サザンカの咲くグリーンパーク遊歩
道に入って南へ、境浄水場の東側で玉川上水の境大橋を渡ります。

 この辺りは、毎年5月の連休に開催される、ウオーキング大会、
東京国際スリーデーマーチで通過するところです。

 さらに、高架工事中のJR中央線の踏切を越えて南に回り、2つ目
の通りを西に進んで、武蔵境通に面した恵比寿神の杵築(きづき)
大社に入りました。

 江戸時代の初め、松江藩主松平直政により建てられ、開運厄除け、
縁結びの神として信仰を集めているとのことです。

 本殿前には、千本イチョウと呼ぶイチョウの大木が立ち、境内には
高さ10mの富士塚もあり、病気平癒願ってお参りする人が多いよう
です。

 ここで最後のご朱印をいただきました。


 これで七福神めぐりは終了、高架工事中で仮駅舎のJR武蔵境駅
に15時20分に着きました。

(距離 9km、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 武蔵野市、歩数 
14,600)


 

 

 
 

 

 

 

 

  

 

 
 

 


 
 

 


 

 
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四国遍路道ふた旅(前編)・徳島その5

2007-01-09 22:09:23 | 四国遍路道ふた旅
 第5日 2006年11月15日(月) 快晴
 <18番恩山寺~19番立江寺>
 =番外霊場星の岩屋へ=


 
 5時起床、昨夜買った弁当で朝食し、6時12分に宿を出る。
今朝は雲ひとつない快晴、次第に明るくなった国道438号を南に
進む。徳島市の市街地を抜け、JR二軒屋駅の先で東に回る。
国道55号に出たころ日が差してきた。

 通勤の車が途切れなく続き、騒音が気になる。風がややあり、
あおられる菅笠を抑えたりする。勝浦川の流れには、サギがほか
の鳥と一緒に立っていた。

 小松島警察署近くのサンクスで弁当を購入、近くの芝生川橋の
先から、右の県道136号に入る。

源平合戦の元暦2年(1185)2月、義経の軍勢が上陸したという
「源義経上陸の地」碑の先で、恩山寺への道に進む。


 県天然記念物で幹の赤いビランジュの横から、斜面の遍路道を
18番恩山寺に上がる。山の中腹にあり、境内は鳥の声のみで
静か。

 正面石段上に本堂、大師堂は1段下で、10大弟子像の並ぶ建物
もあり、遍路道を上がったところには修行大師像が立つ。境内の
大ソテツは樹齢350年という。

 車道を少し下り、大きな牛舎の横から竹林の遍路道へ。義経の
軍勢が敵を警戒して弓の弦を張って上ったという弦張坂を上り下り
すると、「おむつき堂」とも呼ぶ、釈迦庵の小さいお堂があった。

 ミカン畑の間から県道136号へ。煙火工場の先で、次の立江寺
ゆかりの「お京塚」前を通過、立江川を越えて19番立江寺に入る。

 大きな本堂はコンクリート製。天井には、東京芸大教授の指導に
よるという花鳥画が描かれている。

広い境内には色々なお堂が立ち、近隣の人たちが次々に来て参拝
している。山門には、大きなワラジが奉納されていた。

 朱塗りの白鷺橋を渡り、県道28号へ。緩やかな山間に秋色の田
んぼが広がる。東谷の神社は、はじめての時の昼食場所。その時
同様、大きなクスノキが目についた。


 その先の櫛渕八幡神社には、やはり大きなクスノキと、県天然記念
物「櫛渕のフウ」があった。


 緩やかに広がる田園地帯を更に西に進む。

 小さい峠の先でT字路を右へ、県道22号に入り、番外霊場沼江
(ぬえ)大師のベンチ昼食をした。


 次のT字路は左折して左へ、勝浦川右岸沿いの県道16号である。
順路はそのまま進むのだが、今日は番外霊場星の岩屋に寄るため、
すぐ先の今山橋を渡り、左岸の県道21号を西に向かう。

 こちらは車が少なくて安心。山の斜面はミカン畑が続いている。
星谷簡易郵便局で資金補充をして、ザックを預けて星の岩屋まで
往復することにした。

 ミカン畑の間を北に上がる。急斜面の上部は、棚田状に石積み
した段々畑になっていた。

 そのミカン畑の上を少し西に回って行くと、番外霊場星の岩屋が
あった。

 お堂背後の大岩の中に石仏が祭られ、右手の岩の上から不動滝
が落ちていて、荘厳な山の霊場の雰囲気が満ちあふれている。
滝の裏を抜けて、その向こうの斜面から滝を眺める。

 今は無住の納経所らしい建物の横から西へ、広葉樹や杉、ヒノキ
の樹林下を、疑木の階段を上がり下りして、もう一つの番外霊場、
佛陀石にも回る。

 大岩の上に、苔むす石仏が円錐状に数10体、四方を向いて並ぶ。
『弘法大師が夜、山上に輝くものを見て翌朝登ったところ、巨岩の
上に光り輝く両部曼陀羅の諸仏を拝し、歓喜して人々に信仰をすす
めたところ』と記されていた。

 途中から西南に下る細い車道もあるが、もとの道を郵便局へ戻る。
県道に出た角で、そばの家の奥様から、収穫したてのミカンを数個
お接待いただいた。

 お礼代わりに、いただいたミカンを少し局員にも差し上げ、感謝
して預けたザックを受け取り、県道を西へ、宿に向かう。

 近くの民家の庭先で、クロガネモチが真っ赤な実をたくさん付けて
いた。


 太陽が山の向こうに落ちて冷えてきた。三渓の集落で、電動車の
奥様から千円札を1枚のお接待をいただいた。

 今日の宿は、明日上がる鶴林寺の北麓、予想以上に家並みの
ある横瀬の旅館「かえで」、16時38分に着いた。

 3階建ての大きな建物で、部屋もたくさんあるが、宿泊客は
私ひとりで、がらんとしている。洗濯機を借りてまず洗濯をする。

 食堂で夕食をいただきながおかみさんの話を聞く。以前は、
ダム工事などに来た大企業の社員をたくさん泊めたが、今は年
老いて視力が落ち、腰も痛いのに1人でやっているので、大人数
客は断り、遍路相手に小遣い稼ぎ程度にしているという。

 夕食は、ハスの茎の酢の物。焼き鮎、大根やコンニャク、卵の
煮物、切り昆布など独特。これを飲めばすぐ寝られると、40年もの
という梅酒カップ半杯のお湯割りも。夕食時と寝る前にいただき、
お陰ですぐに寝付いた。

〈コースタイム〉東横イン徳島駅眉山口6:12ー国道55号へ6:45ー
勝浦川橋北7:35ー小松島署近くのサンクス8:07~12ー18番恩山
寺8:47~9:12ー19番立江寺10:11~42ー櫛渕小11:17ー沼江大師
(昼食)12:02~33ー今山橋12:55ー星谷簡易局13:25~31ー星の岩屋
14:12~25ー佛陀石14:47~55ー星の岩屋15:12~15ー星谷簡易局
15:55~16:02ー旅館かえで16:38

(距離 33㎞、地図(1/5万) 徳島、阿波富岡、歩行地 徳島市、
 小松島市、勝浦町、歩数56,500)
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西武池袋線に東京メトロ新型車両

2007-01-09 19:21:09 | 鉄道
 快晴の午後、所沢市の西郊にある西武鉄道池袋線の小手指
(こてさし)電車基地周辺まで散歩に出かけました。



 電車基地の中に、見慣れない車両がありました。東京メトロの
新型電車10000系(10両編成)です。

 わが家は、西武池袋線のそばにあり、西所沢駅~小手指駅間を
通過する電車がよく見えるのですが、まだ見たことはありません
でした。

 この電車は、昨年9月1日から、東京メトロ有楽町線で営業運転
を開始したものです。

 2007年度末までに10両編成20本の計200両が日立製作所
で製作される予定で、現在は、有楽町線及び東武東上線への直通
運転に使用されているようです。

 インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』によれば、「西武
有楽町線、池袋線にも乗り入れ可能だが、試運転で誘導障害が
発生したため、営業運転ではまだ入線していない」と記されています。

 しかし、小手指基地にあるということは、誘導障害が解消したもの
と思われ、近く西武池袋線でも営業運転が開始されることでしょう。

 わが家から、この車両を見ることが出来る日も近いものと思います。

 この車両は、来年開通する東京メトロの新路線、13号線(池袋~
渋谷間)の開業用の新車両でもあり、同線には、現在有楽町線に
乗り入れている東武東上線と、西武池袋線・有楽町線との相互直通
運転も予定されています。

 



 

 

 
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四国遍路道ふた旅(前編)・徳島その4

2007-01-08 19:19:22 | 四国遍路道ふた旅
 午後、所沢駅近くのプロペ通りに行ったら、盛装の若い男女が
たくさん目につき、今日は成人式だったなと思い出しました。

 成人になった皆さんの30年後、50年後の日本、世界はどうなる
のでしょうか。ちょっと心配な気もします。

============================

 第4日 2004年11月14日(月) 晴
 <13番大日寺~17番井戸寺>
 =鮎喰川沿いに下る=
 
 5時20分起床、5時50分には朝食を出して下さったので、6時
28分に植村旅館を出た。きのうより暖かい。


 旅館横の橋を渡り、鮎喰川(あくいがわ)右岸の福原を抜ける。
かやぶき屋根にトタンを被せた古い民家も2、3戸見える。2つの
小さい峠を越え、木の冠水橋で左岸の県道20号へ出る。


 鮎喰川の静かな流れを見下ろしながら進む。つり橋の向こうに
見える広野小に通う子ども達と行き交い、「おはようございます」
の挨拶が気持ちよい。小さいミカンがたくさん実っていた。

 7時49分になり、山の上にようやく太陽が顔を出す。神山町から
徳島市内に入ったところで、車の奥様から自宅のだというミカンを
5つお接待いただいた。


 刈り入れ後の田んぼに伸びたひこばえに再び固い粒が付き、黄
色く色づく。南の山々はまだ緑が多い。入田春日橋の先では、サギ
が10数羽、鮎喰川の流れに立っていた。

 梁田橋で右岸に回るのだが、早まって手前のカーブで樹木畑の
多い道に入り、行き戻って堤防を進む。冠水橋の梁田橋を渡り、
県道21号に出ると車が多い。


 500mほどで、13番大日寺に着いた。こぢんまりした境内、本堂
と大師堂は相対している。

 
 県道を挟んだ一宮神社にも参拝する。狛犬の横に神馬が立つていた。


 寺の横から田んぼの中の遍路道へ。気温が上がり汗ばむ。民家
の葉の落ちた柿が、晩秋の彩りを見せる。


 一の宮橋を渡り、北東へ1㎞足らずで14番常楽寺がある。

 池の横から山門のない境内に上がると、流氷岩と呼ぶ巨大な1枚
岩の上に寺が建つ。本堂前にはイチイの大木があった。

 北に向かい、朱塗りで中国風の岩船地蔵寺前を通過し、間もなく
15番国分寺に着く。

 聖武天皇の命で、8世紀初めに全国に建立された国分寺の一つ。
樹木が少なく明るい境内、大本堂は、ほかの寺とは違う重層入母屋
造り。鐘楼もりっぱで、聖徳太子が建立した当時の七重塔の大きな
礎石が残っていた。

 境内の西側からさらに北に向かい、幅広い国道192号に出る。
国分寺から2㎞足らず、16番観音寺は国府(こう)の町並みの一角
にある。

 境内は狭く、山門のすぐ奥に白木の真新しい本堂が建ち、右手に
大師堂がある。山門の両側には、奉納金額を記した石柱がびっし
りと並んでいた。


 国府の古い街並みを東に向かう。大クスの立つ大郷和神社を抜け、
近くの中華料理店で昼食をする。

 国府駅東側の踏切を越えて北へ、コンクリート造り朱塗りの山門を
くぐって17番井戸寺に入る。

 正面の本堂も、昭和年代再建のコンクリート製。屋根瓦にはりっぱ
なしゃちほこが上がっている。

 寺の名のもと、弘法大師が錫杖で一夜のうちに掘ったという井戸
が、小さいお堂に祭られ、容器もある。霊験あらたかな水を持ち帰
る人が多いと、境内にいた地元の男性が教えてくれた。

 雲が増えてきたが、気温は高めで暖かい。車の多い県道30号に
出て、水の少ない鮎喰川の中鮎喰橋を渡る。


 JR徳島線蔵本駅前を通過し、県立中央病院前から国道192号を
東に向かう。

 途中から1本南側の古い商店街を進む。バイクの奥さんが車を止
め、道中の安全をと、お守りを下さった。ご自身も、歩いて四国遍路
をされたとのことだった。

 16時3分、徳島の展望台、眉山(びざん)へ上がるロープウェイ近
くの、東横イン徳島駅眉山口に入る。

 洗濯後、徳島駅前まで行き、そごう地下で夕食。コンビニで明日の
朝食を求めて戻る。毎日、携帯メールで投稿していたブログ、今日は
ホテルのパソコンからの入力なので比較的楽だった。

〈コースタイム〉植村旅館館6:28ー河野橋7:28ー歯の辻神社下8:28~
35ー梁田橋手前9:33~40ー13番大日寺9:57~10:19ー14番常楽寺
10:53~11:18ー15番国分寺11:28~50ー16番観音寺12:17~38ー大郷
和神社先の中華店(昼食)12:50~13:18ー17番井戸寺13:45~14:15ー
蔵本駅前15:01ー中央病院先サンクス15:10~21ー東横イン徳島駅
眉山口16:03

(距離 26㎞、地図(1/5万) 川島、徳島、歩行地 神山町、徳島市、
 歩数 47,700)
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所沢市消防出初め式2007

2007-01-07 22:27:05 | 所沢だより
 昨日の東京の出初式は、雨の中で行われたようですが、天気が
回復した今日、埼玉県所沢市の消防出初式が、所沢航空記念公園
で行われました。



 青空が広がり、予想された強風も吹かず、ここ何年かの出初式
でも、1番の好天でした。

 私が公園に着いたのは、式典が終わり訓練が始まる10時半でした。


 最初は「観閲」で、市長が、整列した消防職員、消防団員の規律を点検
します。


 次は、「徒列分列行進」。消防職員や消防団員が行進し、その勇姿を
披露しました。

 演奏は、所沢市消防本部音楽隊です。



 幼年消防クラブを組織している泉町保育園と、双美保育園のかわいい
鼓笛隊も元気に行進し、観衆の盛大な拍手を浴びました。


 「救助演技」では、三連はしごの伸梯訓練とインパルス消化銃の実射
訓練が披露されました。



 そのあとは「車両分列行進」。ポンプ車、はしご車、特殊車両、救急車
など、消防本部と消防団が誇る消防車両のパレードです。



 続いて、「はしご乗り」。所沢鳶(とび)組合の皆さんが、古式ゆかしい
はしご乗りの演技の数々を披露しました。


 最後は「消防活動訓練」と「一斉放水」。南関東直下型地震が発生し、
所沢市内でも震度5度強のゆれにより、被害が発生したとの想定です。


 会場に造られた一般家屋と3階建てマンションの、消化や被災者救助
などの訓練が行われ、緊迫した雰囲気での救助活動に、観衆も緊張しま
した。
 
 訓練の終わりに消防車10台による一斉放水が行われ、正午、式は
終わりました。

 ちなみに、所沢市消防本部は、本部と6分署あわせて職員333名、
消防車12台、はしご車4台、化学車1台、工作車3台、救急車8台、
その他の車両29台で構成。所沢消防団は、本部と10分団315名、
消防車10台の陣容です。

 なお、市の人口は昨年12月で33万9千人、面積は約72平方㎞
市の広さは東西15.6km、南北9.1kmです。

 
 


 


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四国遍路道ふた旅(前編)・徳島その3

2007-01-06 21:22:34 | 四国遍路道ふた旅
 第3日 2006年11月13日(月) 晴
 <11番安楽寺~12番焼山寺>
 =最初の遍路転がしを越える=


 
 5時50分起床、6時30朝食。おむすびとお茶のお接待をいた
だき、7時3分にさくら旅館を出る。今日も好天だが、かなり冷え
ているので手袋をする。

 昨日の道を戻り、11番藤井寺へ。お参りは昨日済ませている
ので、合掌しただけて境内を抜け、最初の「遍路転がし」と呼ぶ
焼山寺(しょうざんじ)への遍路道にかかる。


 小さいほこらに四国霊場のお地蔵さんが並ぶ道を過ぎ、疑木の
階段を上がると、早くも汗が出てきた。林道を横断し端山休憩所
に着く。東屋があり、北方の鴨島や吉野川沿いの家並みの展望が
よい。

 へんろ道には、小さい石仏の町石(ちょういし)が1丁ごとにある
のに気づく。百八町石だから、まだ焼山寺まで10㎞以上あるようだ。
(下の写真は百一町石)


チョロチョロ流れる水場の先で、大きなザックの逆打ち遍路さん
が休憩していた。上りが続き、ゆっくりと上がるが、ザックが重く
肩にこたえる。


 最初のポイント、長戸庵に着く。ひと休みしていたら、ワンちゃん
が来て吠え、後から2人の若い女性が来た。41番から歩き始めた
大阪の人、友人で犬の飼い主の名古屋の人は今日だけという。

 展望の開けたところで、男性遍路が休憩中。鴨島の町並みや吉野
川上流方面、そして昨日歩いた切幡寺の五重塔も見える。

 その先で、2人の男性がつるはしで遍路道を整備中。お陰で歩き
やすいのだ。感謝して通過する。

 樹間の稜線は、アップダウンが少ないのでペースが上がる。少し
だけの急坂で柳水庵に下った。庵の奥さんに、ニッキ入り金平糖の
お接待をいただいた。


 車道に下ったところに、畳敷きのりっぱな遍路小屋がある。前回
来た時は工事中だった。再び緩い上りの林道を通過し、稜線の道が
続く。林道に出た後、杉林の中の急登が続き、ザックが肩にくいこみ
大汗が出る。

 上りきったところに一本杉の巨木が枝を広げ、その下に大きな大師
像が立っていた。

 一本杉庵で、四国遍路道の中でも、一番幻想的な雰囲気のところだ。
焼山寺の鐘の音が聞こえてきた。

 一本杉庵を過ぎると、急な下り坂が続く。逆打ちの男性遍路が上が
ってきたが、さすがにきつそう。


 急斜面の下に見えてきた山間の集落、左右内(そうち)に下り、2つ
の橋を渡って集落を抜ける。いよいよ焼山寺への最後の上りだ。

 岩や石ころの多い道をじっくりと休まずに上がり、11時47分に12
番焼山寺に着いた。藤井寺から5時間10分の道のりだった。

 標高は700m、樹齢300~400年の大杉が並ぶ境内、団体遍路
が2組のほか、何人かの遍路が来ていた。

 本堂背後のモミジが鮮やかな彩りを見せる。参拝を終え、前回同様、
寺のすぐ下の梅畑で遅い昼食をした。

 車道を2、3度横断し、杉林の中の遍路道を下る。最後の車道の
手前でサルが横切った。車道に出ると間もなく、番外霊場の杖杉庵
(じょうさんあん)がある。

 お大師様(弘法大師)と、托鉢に来たお大師様を追い返した罪をわび
て四国を回り、この地でお大師様に会った衛門三郎像がある。お堂の
前には、まだ葉が緑の大イチョウが立っていた。

 そばの梅林横から遍路道に入り、どんどん下って鍋岩へ。休校中の
左右内小の先に、「おへんろ駅」と書かれた休憩舎があったので休憩
する。神山町町営バスの焼山寺終点でもある。


 鍋岩集落の外れ、阿部商店の先から、小さい橋を渡って遍路道に
入る。林間をトラバースして2、3戸の小集落から車道へ出た。

 車道を進み、「大日寺18.7㎞」の標石のところから右へ、玉ヶ峠へ
の遍路道に入る。ジグザグの上り道が続き、焼山寺越えの後だけに、
疲労を感じ汗が出る。

 標高差200mほどの上りだが、玉ヶ峠に着いてホッとした。

 峠には無人の建物があり、道を挟んで古い石仏が数体並んでい
る。宿まであと5㎞ほどあるが、あとは車道の下り道。車の通らぬ
車道を、最初の集落、府中まで下ると、宿のある本名方面まで、
上角谷川沿いの山並みと谷間が見下ろせる。

 下り坂なので歩みは早い。宮分、川平、長代と進むと、川の瀬音
が近ずいてきた。

 県道20号に合流する近くで、車の女性からあめ玉2つのお接待
をいただく。県道までに出会った車は3台だけだった。

 16時53分、前回も泊まった植村旅館に着いた。今日も私ひとり
だけ。風呂に入浴中に、おかみさんが洗濯をして下さった。ひとりな
ので、1階の玄関そばの2部屋を使わせてもらう。

〈コースタイム〉さくら旅館7:03ー11番藤井寺7:39ー端山休憩所8:04
~10ー長戸庵9:01~11ー柳水庵10:12~23ー一本杉庵11:10~23ー
左右内(二つ目の橋)11:59ー12番焼山寺12:47~13:10ー梅畑(昼食)
13:13~40ー丈杉庵14:03~10ーおへんろ駅14:34~40ー玉ヶ峠15:30
~40ー川平三差路16:17ー植村旅館16:53

(距離 26㎞、地図(1/5万) 川島、雲早山、歩行地 吉野川市、
 神山町、歩数 45,800)
 
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四国遍路道ふた旅(前編)・徳島その2

2007-01-05 23:04:02 | 四国遍路道ふた旅
 第2日 2006年11月12日(日) 晴
 <6番安楽寺~11番藤井寺>
 =冠水橋で吉野川を渡る=


 
 5時50分起床。6時30分朝食。昨夜の雨は上がり、青空が広が
る。天気予報では、徳島地方は風が強まるという。

 7時5分に6番安楽寺宿坊を出る。昨夜はお参りできなかったの
で、まず安楽寺本堂と大師堂に参拝、読経する。


 大師堂の右手に、かやぶき屋根の建物がある。同宿だった外人
の男性遍路さんが、境内で写真を撮ってくれた。


 寺を出て西に向かう。朝の気温は、10度台に冷えたので手が
冷たい。少し風もある。

 広々とした田園地帯を進み、1㎞余りで7番十楽寺。山門は無く
開放的な境内。鉢植えのキクがこぼれんばかりに咲いていた。


 さらに西へ、宮川内谷川を越え、藤原の変則四差路付近で小休
止していたら、おばあさんが、8番熊谷時へは「右の道が近い」と
いう。遍路地図と道標は直進だが、せっかくなので仰せに従い右
に入る。

 御所小の横を進んで徳島自動車道の北へ出て、側道を進む。少
しアップダウンがあり、一番高いところからは、南側、吉野川流域
の展望がよい。


 貞享4年(1687)建立で、四国随一という8番熊谷寺の山門をくぐる。

 本堂や多宝塔、大師堂などはさらに上がった中門の上にある。
多宝塔の背後、ウルシだろうか、紅葉がよい彩りを見せている。
山門前の畑では、ナノハナが咲き出していた。


 徳島自動車道の南に出て、田園地帯を南に向かう。さえぎるもの
がないので、南側の山並みの展望がよい。左カーブする地点に池が
あり、ホテイアオイがたくさん咲いている。まだ借り入れ前の水田も
残っていた。


 9番法輪寺は、周囲を田園に囲まれた地にある。本堂と大師堂は
並び、境内はこぢんまりとしている。本堂には、健脚祈願のミニわら
じがたくさん奉納されていた。


 門前の茶店で草餅を買い、再び西に向かう。秋月の三差路際、小
さい店の前に縁台があり、へんろ接待所になっていた。お湯のポット
と湯飲み、飴などが置いてあったので、お茶と飴をいただく。

 少し先に「秋月城跡」碑があり、南北朝から室町時代には重要な
城だったことなどが記されていた。


 干し柿がたくさん下がった民家の前を過ぎ、民宿やうどん店、遍路
用品店などの並ぶちょっとした門前町を上がる。

 山門を改修中で徳島自動車道付近は回り道して、10番切幡寺へ。
山門上からは、333段の石段を上がるので汗が出る。

 境内最上部には、大阪の住吉神社から移設したという大塔があり、
吉野川流域と、その南に広がる山並みの展望がよい。

 参拝前に鐘を突いたら、後続の団体遍路が次々に突き、うるさい
感じ。自分が突かなければよかった。

 南に向かい、県道沿いの「うどん亭」で昼食。今日は例会の、カントリ
ーウオーク仲間に携帯からメールしたが、応答はなかった。

 提高の高い左岸堤防を上がり下りして、吉野川の冠水橋を渡る。
その先は、幅1㎞以上ある広大な中州で、大根、サトイモ、キャベツ
などの畑作地帯。吹きさらしなので菅笠があおられる。

 もう一つの冠水橋、川島橋を渡り、右岸堤防に上がると、小さい
遍路小屋がある。休んでいた徳島県阿南市の男性遍路さんと入れ
違いに小休止した。

 西麻植の家並みを抜け、敷地に入る。近くでの集会から戻る途中
らしい男性から、ポカリスエットのお接待をいただいた。

 山を背にした、こぢんまりした境内の11番藤井寺に着く。仁王像
の無い山門には、大きなわらじが奉納されている。遍路小屋で会っ
た阿南市の男性も居られた。


 2日目の宿は、北に2.5㎞ほどのJR鴨島駅に近いさくら旅館。
宿の近くの繁華街で、車の奥様からキャラメルのお接待をいただく。

 16時7分にさくら旅館に着いた。前回に続き2度目だが、今日の
宿泊者は私だけ。前回、翌日の弁当にメッセージを書いて下さった
おかみさんは、旅行中で不在だった。

 でも、後継の息子さんが、食べ切れぬほどのごちそうを出して下
さった。昨夜見たNHK総合TVのドラマ「ウオーカーズ」や、NHK教
育TVの「はじめてのお遍路」の遍路宿のシーンは、この宿で撮った
とのことだった。

 足の調子はまずまずだが、ザックの荷が重く肩にかかり、特に右
肩がこる。それぞれのお寺で参拝するためザックを下ろした後は
よいのだが、再び歩き出すと、30分もしないうちに肩が気になり、
その繰り返しで2日目が終えた。21時に就床する。

〈コースタイム〉6番安楽寺7:05~30ー7番十楽寺7:55~8:10ー8番
熊谷寺8:58~9:29ー9番法輪寺9:57~10:23ー10番切幡寺11:23~
12:10ーうどん亭(昼食)12:34~13:06ー川島橋右岸遍路小屋13:58
~14:05ー11番藤井寺15:00~22ーさくら旅館16:07

(距離 23㎞、地図(1/5万) 川島、歩行地 上板町、阿波市(旧土成
 町、市場町)、吉野川市(旧川島町、鴨島町)、歩数 42,700)

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所沢の若山牧水歌碑

2007-01-04 21:35:33 | 所沢だより
 元旦のブログで、若山牧水ゆかりの「牧水青春ウオークin東京」
に参加したことを報告しました。

 その時もらった「牧水青春ウオーク」パスポート(下)に、次のよう
に記されていました。


『牧水の祖父、若山健海は1811年(文化元年)2月3日、埼玉県
所沢市神米金の農家に生まれました。健海は長崎でシーボルトに
医学を学び、1837年(天保13年)26歳の時、なぜか日向の坪谷
に居をかまえ、開業します。』

 また、別の頁に「全国若山牧水歌碑所在地一覧」があり、若山
健海の生家にも歌碑があることが分かりました。

 そこで今日、所沢市神米金(かめがね)の健海の生家にあると
いう牧水の歌碑を訪ねてみました。


 場所は、県道6号川越所沢線の下富交差点際です。




 交差点の南東側に小さな神社があり、社殿の左側を入ると、南
側の農家の一角にお目当ての歌碑がありました。ここが、若山
牧水の祖父、健海の生家なのです。

 歌碑には次の歌が刻まれていました。

    のむ(飲む)湯にも 焚火の煙(けむり) 匂ひたる
              山家の冬の ゆふけ(夕餉)なりけり

 歌碑のそばに、いきさつが記された説明板がありましたので、
あわせて紹介します。


 歌碑の裏には次のように記されていました。
 
   健海と牧水
 医師若山健海は文化八年この地に生れ、嘉永二年長崎に
種痘の伝わるや率先して蘭人モーニッケに学びその普及に
尽した西洋医術伝来史上の輝やかしい先見者。 その孫と
して宮崎県東郷村坪谷に生まれた牧水は中学時代から短歌
に志し、上京早稲田大学に入るにおよんで、祖父の生家を
なつかしみ数回ここに訪れ、のち大成して万人に愛誦される
幾多の名歌を遺した。
 昭和五十三年十一月吉日  
         若山牧水の歌碑を建てる会


 現在も、健海の子孫、若山信市さんが農業を営んでおられる
ようで、屋敷の南側は広い茶畑になっていました。

 「牧水青春ウオーク」パスポートには、全国28都道府県275
歌碑の場所とそれぞれの歌碑の歌が記されています。

 また、昨年12月2日~3日に開催された宮崎県大会や、元旦
の東京都大会に続き、6日(土)は大阪府大会、7日(日)は福岡
県大会、以下3月から11月の埼玉県大会まで、全国で15の牧水
青春ウオークが開催されます。

 若山牧水の歌を愛する人、また、このウオークで牧水に興味を
持たれた方、これを機会に大会に参加したり、旅行や別のウオー
キングなどの際に、全国の牧水歌碑を訪ねてみてはいかがでしょ
うか。
 
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四国遍路道ふた旅(前編)・徳島その1

2007-01-03 23:28:37 | 四国遍路道ふた旅
 今日から、昨年11月11日から12月7日にかけて歩いた、2度目
の四国遍路のレポートを報告します。

 現地からは日々、携帯メールにより、かいつまんで報告しましたが、
もう少し詳しいレポートです。

============================

 出発日 2006年11月10日(金) 晴

 四国遍路への旅立ちの日は暖かい。自宅を8時35分に出て、JR
池袋駅経由、東京駅10時36分発新幹線ひかり369号に乗る。

 富士市周辺からは、淡雪の富士山がよく見えた。車中では、昨日
機種変更したばかりの携帯電話の使い方のチェックなどをする。
岡山に14時46分に着く。


 15時13分発JR瀬戸大橋線快速マリンライナー号で、高松に16時
8分着、2分の乗換時間を急ぎ、高徳線普通にて、栗林公園北口駅に
16時16分に降りた。

 今日の宿は、東横イン高松中新町。禁煙室を希望したら、1人だが
ツインルームを与えてくれた。夕食は、宿のサービスのカレーライスと、
コンビニで買ってきた納豆巻きで済ます。

 夕食後、明日からの遍路に備え、地図などを点検する。ところが、
宿一覧のコピーをしてなかったことに気づいた。地図のコピーをした
時に、宿のところを漏らしてしまったのだ。

 明日、1番霊山寺で、へんろ道保存協力会発行の地図編を再購入
せねばと思う。


 第1日 2006年11月11日(土) 曇り
 <1番霊山寺~5番地蔵寺>
 =暖かな初日=



 夜半、雷鳴を2、3回聞いたが、朝になったら雨は上がった。
7時からサービスの朝食をいただき、9時半頃東横インを出る。

 栗林公園北口駅発徳島行きは、早朝のあと10時8分まで無い。
その列車に乗り、11時30分、無人の板東駅で下車した。待合室で
白衣を着て菅笠をかぶり、頭陀袋(ずだぶくろ)も肩にかけ、遍路姿
となる。


 最初の遍路の結願(けちがん)後来たのは、2004年12月1日
だった。以来1年11か月ぶりに1番霊山寺の山門をくぐる。本堂、
大師堂(下の写真)に参拝、読経し納経印をもらう。

 本堂横の売店でへんろ地図を買い、売店内にある歩き遍路用の
ノートに記帳する。今日記帳してあったのは、私と同じ所沢市内の、
40代男性だけだった。いよいよ2度目の四国遍路が始まる。

 近くのぶっかけうどん店で昼食。曇り空だが、歩き出すと汗ばんで
くる。ミカンが黄色く色づく道を進んで2番極楽寺に入る。

 山を背にして緑が多い。本堂、大師堂は石段の上。境内に樹齢
1200年という太い長命杉が立ち、ソテツの伸びた庭が南国の暖か
さを感じさせてくれる。


 西に向かう道、暖かくて汗ばみ、腕まくりをする。ハゼが良い彩り
を見せる。りっぱな鬼瓦の民家が並ぶ門井を抜け、変電所横から
田んぼのあぜ道を入り3番金泉寺へ。

 鐘楼で鐘を突いて参拝し読経。本堂と大師堂の間に倶利伽藍
竜王像、本堂裏手に二重塔が立つ。白ツバキが満開だった。

 板野の狭い町並みを通過し、JR高徳線を越える。岡ノ宮の田上
神社に、「岡の宮の大クス」と呼ぶ大きなクスノキがあった。

 根回り4.5m、高さ35m、県天然記念物である。

 徳島自動車道下をくぐり、田んぼのあぜから句の札下がるへんろ
道へ。山すその気持よい土道が続く。3番奥の院、愛染院があった
ので入って読経する。


 車道を横断した先に、犬伏久助像と岩田ゆき子碑が立つ。この
周辺で太平洋戦争中、藍染めの保存に努めた人らしい。

 再度通過した徳島自動車道の先は、色づいた柿畑が多い。間も
なく4番大日寺。

 山門上に鐘楼があり、山すその静かな札所。本堂そばにサザンカ
が咲く。16時近くなり冷えて涼しくなってきた。

 車道を徳島自動車道近くまで戻ると、近畿大、歌先生設計の遍路
小屋がある。しかし休む時間はない。



 柿の実る里を南に下り、イチョウやモミジが色づき、五百羅漢のある
釈迦堂前を下って5番地蔵寺へ。

 大師堂の前に樹齢800年という大イチョウが立ち、境内の水琴窟
(すいきんくつ)が静かな音を響かせる。

 16時半を過ぎ、今日の宿、6番安楽寺宿坊に着くのは暗くなり
そう。

 少し風が出て、菅笠があおられる。水のない大山谷川と泉谷川を
過ぎると予想通り暗くなった。

 安楽寺宿坊から、心配の電話が携帯に着信。「あと10くらいで着
きます」と答えたが、その先の交差点で道を左に間違えた。

 犬の散歩をしていた男性が、近くの橋まで案内して下さり、17時
40分に6番安楽寺宿坊に着いた。

 間もなくの18時から夕食。19時からは本堂でお勤めに参加する。

 ご住職の講話は、熊野詣でや西国三十三番札所巡りと四国遍路
との結びつきのこと、中務(なかつかさ)茂兵衛のこと、この日の夜
から毎週土曜に4回放映される、NHK総合TVのドラマ「ウオーカー
ズ」の企画に副住職が参加し、宿坊の温泉が撮影されたことなど、
裏話を交えて話された。

 終わってその温泉に入浴し、初日の汗と疲れを流し、21時から
の「ウオーカーズ」を見た。

〈コースタイム〉板東駅11:30~40ー1番霊山寺11:48~12:15ー2番
極楽寺12:58~13:10ー3番金泉寺13:58~14:11ー3番奥の院愛染院
14:56~15:10ー4番大日寺15:30~55ー5番地蔵寺16:15~33ー6番
安楽寺宿坊17:40

(距離 17㎞、地図(1/5万) 徳島、川島、歩行地 徳島県鳴門市、
 板野町、上板町、歩数 不明)
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