今日も、ここ3年参加している東京都ウオーキング協会主催の
「第5回江戸・東京七福神めぐり」の、「寿老人コース・下谷七福神」
に参加しました。
JR池袋駅から山手線外回りで上野駅に向かいます。今日、明日
は、『第83回東京箱根間往復大学駅伝競走』の日。
ちょうど入って来た内回り電車は、その箱根駅伝の広告車両でした。
集合は、昨日のゴール上野公園の入口、JR上野駅公園口近くです。
ほかに6コースがあり、参加者は予想より少な目の60~70人くらい。
9時45分にスタートしました。
昨日のゴール、大噴水の南から東京芸術大学横を通過、寛永寺に
入り、本堂にあたる根本中堂に参拝して北に抜けました。
この根本中堂は、明治9年(1876)~12年にかけて、埼玉県川越
市にある喜多院の本地堂を移築したもので、寛永15年(1638)の
建造といわれているようです。
JR山手線などの線路を越えて根岸2丁目に入り、七福神の最初、
寿老人の元三島神社へ。普通、七福神はお寺ですが、入谷七福神も
ここだけが神社です。
茅の輪をくぐってお参りします。神社の周辺には風俗店が並んで
いました。
さらに先に進むと、福禄寿の下谷鬼子母神があります。鬼子母神は
安産、子育ての神。狭い境内ですが、江戸末期から続く「入谷の朝顔
市」が毎年7月6日~8日に開催されることで知られています。
入谷交差点から少し戻って北に入り、下谷2丁目にある大黒天の
英信寺へ。出世・開運・商売繁盛の神です。
同じ町内に毘沙門天の法昌寺もありました。毘沙門天は、必勝祈願
の軍神とのこと。
法信寺のそばに、ヒカンザクラが咲いていました。
昭和通に出て北東に進み、東側の竜泉1丁目に入り、弁財天の弁天
院に行きました。
備中松山城主・水谷伊勢守勝隆が寛永元年(1624)不忍池に弁財
天を建立と同時に、下屋敷だったこの地にも祭ったものです。境内に
テントが張られ、お茶の無料サービスをしていました。
その先、国際通の東に進むと、恵比寿神の飛不動尊正宝院です。
恵比寿様はもともと漁の神。豊漁は航海安全によりもたらされ、安全
航行は商売繁盛につながり、繁昌すれば笑顔(えびす顔)になるという
わけです。
北に進んで三の輪1丁目にある、布袋尊の寿永寺に参りました。寿永
法尼という尼さんが、徳川2代将軍秀忠公の菩提をともらうため、建立
したものです。
これで下谷七福神の全部を回りました。ひとつ東の通りを折り返して
南へ進むと、竜泉3丁目に、一葉記念館と一葉記念公園がありました。
樋口一葉が一時期を過ごし、名作『たけくらべ』を書いた場所。
公園には記念碑が建っています。
千束3丁目から浅草5丁目を経て、裏手から浅草寺に入り解散となり
ました。
浅草観音で知られる浅草寺は、初もうでの人で身動きできないくらい
の人出です。その間に割り込んで、私もお参りしてきました。
表参道にあたる仲見世通りも大変な人出。きゅうくつな空間を逆行
して雷門に出て、雷門1丁目のうどん店で昼食をしました。
寿4交差点から西へ、地下鉄銀座線の走る通りを上野駅まで歩き、
JR山手線で帰途につきました。
「第5回江戸・東京七福神めぐり」の、「寿老人コース・下谷七福神」
に参加しました。
JR池袋駅から山手線外回りで上野駅に向かいます。今日、明日
は、『第83回東京箱根間往復大学駅伝競走』の日。
ちょうど入って来た内回り電車は、その箱根駅伝の広告車両でした。
集合は、昨日のゴール上野公園の入口、JR上野駅公園口近くです。
ほかに6コースがあり、参加者は予想より少な目の60~70人くらい。
9時45分にスタートしました。
昨日のゴール、大噴水の南から東京芸術大学横を通過、寛永寺に
入り、本堂にあたる根本中堂に参拝して北に抜けました。
この根本中堂は、明治9年(1876)~12年にかけて、埼玉県川越
市にある喜多院の本地堂を移築したもので、寛永15年(1638)の
建造といわれているようです。
JR山手線などの線路を越えて根岸2丁目に入り、七福神の最初、
寿老人の元三島神社へ。普通、七福神はお寺ですが、入谷七福神も
ここだけが神社です。
茅の輪をくぐってお参りします。神社の周辺には風俗店が並んで
いました。
さらに先に進むと、福禄寿の下谷鬼子母神があります。鬼子母神は
安産、子育ての神。狭い境内ですが、江戸末期から続く「入谷の朝顔
市」が毎年7月6日~8日に開催されることで知られています。
入谷交差点から少し戻って北に入り、下谷2丁目にある大黒天の
英信寺へ。出世・開運・商売繁盛の神です。
同じ町内に毘沙門天の法昌寺もありました。毘沙門天は、必勝祈願
の軍神とのこと。
法信寺のそばに、ヒカンザクラが咲いていました。
昭和通に出て北東に進み、東側の竜泉1丁目に入り、弁財天の弁天
院に行きました。
備中松山城主・水谷伊勢守勝隆が寛永元年(1624)不忍池に弁財
天を建立と同時に、下屋敷だったこの地にも祭ったものです。境内に
テントが張られ、お茶の無料サービスをしていました。
その先、国際通の東に進むと、恵比寿神の飛不動尊正宝院です。
恵比寿様はもともと漁の神。豊漁は航海安全によりもたらされ、安全
航行は商売繁盛につながり、繁昌すれば笑顔(えびす顔)になるという
わけです。
北に進んで三の輪1丁目にある、布袋尊の寿永寺に参りました。寿永
法尼という尼さんが、徳川2代将軍秀忠公の菩提をともらうため、建立
したものです。
これで下谷七福神の全部を回りました。ひとつ東の通りを折り返して
南へ進むと、竜泉3丁目に、一葉記念館と一葉記念公園がありました。
樋口一葉が一時期を過ごし、名作『たけくらべ』を書いた場所。
公園には記念碑が建っています。
千束3丁目から浅草5丁目を経て、裏手から浅草寺に入り解散となり
ました。
浅草観音で知られる浅草寺は、初もうでの人で身動きできないくらい
の人出です。その間に割り込んで、私もお参りしてきました。
表参道にあたる仲見世通りも大変な人出。きゅうくつな空間を逆行
して雷門に出て、雷門1丁目のうどん店で昼食をしました。
寿4交差点から西へ、地下鉄銀座線の走る通りを上野駅まで歩き、
JR山手線で帰途につきました。