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バイク好きオヤジのひとりごと

信仰

2019年08月02日 | 日記
私、「信仰する宗教は何ですか?」と問われると「仏教」と答えます。

でも、
日本で一般に信仰されている檀家制度を基にしたお寺に所属する仏教ではなく
純粋に「釈迦(ブッダ)」が説いた宇宙観です

仏教と同じく キリスト教やユダヤ教も 信者を獲得するために形を変え
教祖が唱えた形とはかけ離れ、
教団を維持する「利益」を求めるような「集金集団」になっている気がします。

ブッダの教えは 自分と永遠に続く命、そして宇宙そのものとの関係です
キリスト教も 死んだら「神の国」に行けると説いているはず
神の国=宇宙そのものと考えたら 私は同じ教えだと理解しています。

ただ、キリストは その時代に生きていた人の全ての罪を背負って
というところが 私には理解できない部分です。

キリストや仏陀の知的レベルなら 宇宙像も確立しているので
偶像崇拝をすることなく命と宇宙観を考えることが出来るのですが
一般の信徒に宇宙観を伝えると考えると 知的レベルが低すぎて無理なので
「この仏像を拝んで、こう唱えなさい」と言うしか無いのかもしれません

信仰を広げるためには それなりの資金が必要なわけで
宇宙そのもの⇒神の世界として 死んだあと そこに行くには…と考えると
信仰そのものが そうなるのが必然のような気がします。


仏教において信仰すべきは「仏陀の像」そのもののはず 少し見る目を広げても
崇拝の対象は 仏教で宇宙そのものを示す「大日如来像」だけだと思うんです。

現在というより、日本に仏教が伝わった時点で
かなりヒンドゥー教に偏った信仰に変わっていた訳で…
今更どうこう言ったところで無駄なのかもしれません。


そんな私は もちろん初詣にも行きません
「信仰していない存在にお願いすること無いし…」というのが 表向きの理由

そんな私も子供の頃は 母に連れられて鎮守の社に毎年お参りに行ってました。
父親がいない家庭に産まれ貧乏な生活の中 中学のときに母が不治の病になって
神や仏にお願いしたのは当然、でも だれも私の願いを聞いてくれませんでした。

誰も助けてくれる人がいなくなり 本当にひとりぼっちになって
その時判ったのは
今自分が存在しているのは「神の力」かもしれない
でも、「こちらの都合で助けてくれることは無い」

ということ。

そう悟ってからは 楽になりました。
全ての始まりである宇宙と自分の命の関係を考えると当然ですから…ね


この先も 既存の宗教を信仰することなく生きていくと思います
例えば この身体から命がぬけた後 身体は朽ち果てて行くわけですが
この記事を書いている「私の意識そのもの」が どうなるだろう?って思うのが
今、いちばん気になっていることです。
釈迦もキリストも その部分は生きているときに説いてませんからね。


でも、それが理解出来たら
釈迦やキリストのレベルを超えることになるから 無理でしょうけどね。
コメント (2)
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