続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

眼科。

2013-11-01 06:40:05 | 日常
 かって眼の不調を訴えて幾つかの眼科を受診したことがある。けれど、いずれも眼精疲労ということで、処置も無くそのままだった。
 あれから三十年ほどの月日・・・瞼が何か変だと思っていたけど、数日後変な感触は消えた。でも、これですっきりというわけにいかず、見ると充血している。左目だけだと思っていたら、右目もその兆し。
 老眼が進んでいるのははっきりしている。老眼は眼の病ではないかもしれないけれど、充血は病を疑える徴候。

 呑気で、何とかなるさの性分。
 でも、このまま放置してよいものか思いあぐねている。

(診てもらうなら、どこ?)

 友人に問うと、A、B、Cと三箇所の眼科を教えてくれた。いちばん近い眼科医がいいか、いちばん評判がいい眼科医か・・・。

 ひどいことにならないうちに行かなければ、明らかに眼に不調を来している。糖尿病から盲目になった母を思うと胸が痛む。(きっと治癒する)と信じて臨んだ二度の手術は失敗に終わり、光を微かに感じる程度になってしまった母の無念。


 あちこち傷みかけているわたし、未来も、遠く近くぼやけては消えていくその恐怖。物理的な眼の劣化は、精神的な視野を暗く覆ってしまう。
 何とかしなくては!

『ポラーノの広場』137。

2013-11-01 06:27:07 | 宮沢賢治
「あゝ、来たよ。やってゐるかい。」
「やってるよ。とてもにぎやかなんだ。山猫博士も来てゐるやうだぜ。」
「山猫博士?」ファゼーロはぎくっとしたやうすでした。
「けれどもいっしょに行かう。」ポラーノの広場は誰だって見附けた人は行っていゝんだから。」


☆雷(神なり)は、太陽の耀(かがやき)だと吐く(言う)詞(ことば)を記/書きとどめている。
 太陽の耀(かがやき)は、魄(死者の魂)の詩(うた)を、光の講(はなし)としている。
 帖(書き物)は、推しはかると現われる。

『城』1432。

2013-11-01 05:58:02 | カフカ覚書
「それじゃ、ここで待っていて会いそびれるほうがましです」
 Kは、反抗的な調子で拒絶した。若い紳士が口で言ったくらいでは、とてもこの場を立ち去りそうにもなかった。

 立ち去る(追い出す)/vertreiben→vertreten/代理をする、支持する。

☆「それじゃ、待っていて、会いそびれるほうがましです」
 Kは反抗的に言った。この新しい大群(死んだ大勢の人たち)の言葉を支持することは出来なかった。