続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

素敵な会田莉凡さん。

2013-11-15 06:58:24 | 日常
 去年に引き続いて再び莉凡さんの演奏を聴くことが出来てすごく嬉しかった。
 お育ちのよいお嬢さんが、才能を開花させ逞しく頑張っている、大きな花である。なのに気取らず、幼児たちにフレンドリーに話しかけている様子に胸熱くなったわたし。

 ジッパ・ディ・ドゥ・ダー、お馴染みのユーモレスク、そして大盛り上がりだったあまちゃんのオープニングテーマ、ボッケリーニのメヌエット、スケルツォ・タランテラ・・・。

「このバイオリン、何歳かわかりますか?」
「なんと、300歳なんです」(スゴッ)
「この弦は何で出来ていると思いますか?」
「馬の毛から作られているんです」

 子供たちの反応を待って言葉をつないでいく。音楽が日常のリズムを刻んでいるのかもしれない。

 ののはな文京保育園の「祖父母会」、手作りのドラ焼きのおやつ・・・子供たちとの会食、心癒される夕べをありがとうございました。

『ポラーノの広場』150。

2013-11-15 06:50:48 | 宮沢賢治
 わたくしどもはもう広場の前まで来て立ちどまりました。
 ちゃうどそのときデステゥパーゴがコップをもって立ちあがりました。

 広場はコウ・ジョウと読んで、講、常。
 前はゼンと読んで、全。
 来てはライと読んで、雷。
 立ちどまりはリツと読んで、律。
 立ちあがりはリュウと読んで、留。

☆講(話)の常は、全て雷(神なり)の律(物事の基準なる決まり)に留まっている。

『城』1445。

2013-11-15 06:38:53 | カフカ覚書
しかし、それと同時に、この確信もおなじくらい強かったのだが、この自由、こうして待っていること、こうしてだれからも干渉されずにいられること以上に無意味で絶望的なことがあるだろうかという気もするのだった。

 待っている/warten→walten/支配する。

☆この信念は全く強いものだった。この自由、こうした支配も不可侵でいられる以上、無意味でも絶望的でもないのだという気がする。