続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ギックリ腰。

2013-11-08 07:05:43 | 日常
 和風の庭の石の配置には風情がある。

 けれど、どうかすると手狭な庭に大きな重い石は不要だったりして次第に持て余し、ついには(これさえなければ)と思いつめるようになるケースを聞くことがある。
 庭の隅に押していったのはいいけれど、崖下に落下の可能性。「考えると、夜眠れないの」とこぼした友人もいる。


 息子が来たときのために借りている空き地に、誰かが放棄していった大きな重い石があって、ごく端に押し寄せてあったものが、誰かが一回転させ、車を入れるのに不都合が生じていた。とても動かせる代物でないようなものを誰が・・・という推測はしないでいたけれど、先日見ると、もう一回転。
 困惑・・・梃子で動かそうと、隣家のご主人を頼みに行ったら訳あって不在。
 では、わたくしが・・・おもいっきりギックリ腰の惨敗。

 やむなく貸主である満昌寺さんに電話。
「石材屋さんに頼みましょう」と快諾して下さり、一気に解決。

 何であんな重い石を動かそうと試みたのだろう・・・自責の念。年甲斐もなく、否、若くても男でも容易に持ち上げることは不可能なようなことを・・・無謀の戒めと心に刻んだ。

 老いには辛酸の山々が待ち構えている。老いを学習する、高い授業料(ギックリ腰)ではあったけれど、由としなければ・・・トホホ。

『ポラーノの広場』144。

2013-11-08 06:54:37 | 宮沢賢治
木の下では白いシャツや黒い影やみんながちらちら行ったり来たりしてゐます。誰かの片手をあげて何か云っているのも見えました。


☆黙って解(問題をとく)ように、博(大きく広がっている)。
 告げるのは、永(永遠)の光は雷(神なり)である、と推しはかることである。
 変(うつりかわる)諸(もろもろ)の化(形、性質を変えて別のものになる)で、運(めぐりあわせ)を現している。

『城』1439。

2013-11-08 06:29:56 | カフカ覚書
どうやらKのあまりの強情さにあきれて首を横にふっているふうだった。それから、これが最後だというように断固とした、短い動作で向きを変えると、玄関のほうへはいっていって、すぐに見えなくなった。

 あまりの/viel→fiel(fallen)/死ぬ。
 断固とした/entschlossenen→Ende schlosse/死、推論する。
 最後だというように/endgiltigen→Ende giltig/死、効力のある(通用している)。

☆どうやらKの死にたいする頑固さに意志を揺さぶられている風だった。それからこれが効力のある死だというように短い動作で向きを変えると、どうでもいいというように姿を消してしまった。