続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

渡辺豊重《鬼》

2013-11-25 07:10:53 | 美術ノート
 2010年 神奈川県立近代美術館で催された『渡辺豊重展』のポスター。

 金地に黒の彩色・・・それきりである。
 金はつまり光、黒は闇。存在と無、あるいは昼と夜、栄華と暗澹・・・。しかし画面は混沌としたものでなく、単純明快闊達。黄金色と黒との対比は等分を意識したものと思う。

《鬼》「鬼と遊ぶ」というサブテーマ。
 作家の対峙している精神の闇。金(光)と黒(闇)とのせめぎ合いの抽象化・・・。
 一般に点を三つ描けば人の顔を想起させ、棒を二本描けば、それは手であり足を想起させる。この場合どうしても、直立した足を思い起こさせる。闇の形は身体中に溢れんばかりの秘めた活力(あるいは妄想)の形を成し、踏ん張ったような足は明らかに挑んでいる、否、躊躇している。作品に遮蔽された内面の形は多面性を孕んでいる

 画面を支配する黒の強い形は偶然を模した意図ある形であり、(作家の中の)鬼という他者の存在であると同時に、鬼という得体の知れない魔物が棲んでいる自分でもあるのではないか。。

 この形・・・自然界のどの形であってもならない有り得べからざる形を求めての黒は、どうしても作家に辿り着くような気がする。

 しかし、『このものは自分(わたくし)ではない、断じて!』「だから、つまり《鬼》なのです」
 作家の静かなる激闘を感じる作品である。

『ポラーノの広場』160。

2013-11-25 06:57:40 | 宮沢賢治
 もう行きがかりで仕方ないと私は思ってはっきり云ひました。
「つめくさのあかり、わっはっは。」テーモはわらひだしました。デスティパーゴも笑ひました。みんなもそのあとについてわらひました。


☆講(はなし)で試みる法(仏の道)。
 詞(ことば)で、旨(考え)を運/めぐらせている。

『城』1455。

2013-11-25 06:37:50 | カフカ覚書
「城の人たちは、もっと上等のやつももってるぜ」
「そうかもしれません。でも、ここじゃ、置いていません」
 ペーピは、そう言うと、それ以上Kを相手にしないで、もう一度紳士のところへ行って、何かサーヴィスをしようとしたが、紳士は、なにも所望しなかった。それで、紳士のうしろをたえず弧をえがいて歩きまわりながら、いかにもうやうやしげに紳士の肩ごしに書類をのぞきこもうとした。

 もっと上等/besseren・・・改心する。
 のぞく/Blick・・・洞察する。

☆大群(大勢の死んだ人たち)は改心していると、Kは言った。「そうかもしれません」とペーピ(身分証明)は言い「でもできません」そういうと、Kの調停(解決)のために再び大群(死んだ人々)のところへいき尽力しようとしたが、彼らは何も必要としなかった。自身の肩越しに彼方の先祖を洞察し、敬意をこめて(この書いた物)を投げ出した。