続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

飯沢耕太郎先生の授業。

2013-11-24 06:39:58 | 美術ノート
 コラージュ・・・やったことはないけど、好奇心で受講。
 ロシア・アヴァンギャルドなるものを聞いたことがない。ソヴィエト・モダニズムもご同様。(不勉強を強調して逆に恥ずかしい)

 開催中の展覧会「ユートピアを求めて」を、先生の説明を交えて、ロシア革命前の自由な発想によるポスターなどを見て廻った。
 人(特に名の知れた政治家)は、それだけで物語るし、大群・群衆は「力」となって画面に無言の叫びを上げている。赤の結束は自由を攻撃し、宇宙全体を同心円(平等、近似)の中で理想化するという強い意志がデザインという形を借りて鑑賞者を促している。
 過ぎ去った時代を象徴し、時代の証しとして残っている作品群(松本瑠樹コレクション)である。

 教室(講堂)に戻ると先生は、
「まず、中心(土台)になるものを(画面に)置きます。それから写真(その他)のパーツを切り抜いて付けたり重ねたりしながら構成していきます、その際、色数は絞り込んだほうが意図が明確になります。」と、ご自分の制作なさったものを参考に掲げての教示。

(わかんないけど・・・とりあえず何かやってみなくちゃ)

 飯沢先生は楽しげにご自分の作品制作に没頭。教えるのも作るのも愉快といった感じ。

 講評の時間になり一つ一つの作品を批評。「やりすぎて失敗してしまいましたね」というわたしの凡作以下の作品はともかく、全体の参加者の評価は高くて先生もご満悦。
 わたしたちと同じ席に着いたご夫婦の評は高く認められ、その行程の一部始終を見ていたわたしも納得。平面の中の空間を眼で測りながら対比させ置いていく呼吸・・・素敵でした。

 飯沢先生の作品は、どこかしらユーモアがあって見る位置の遠近で作品が変化し、求心的であると同時に拡散の揺れをも感じうる楽しい作品。
 コラージュという手法を教えていただいて、お得感(主婦の感想)、満足度の高い講座。籾山学芸員さん、是枝学芸員さん、ありがとうございました。


『ポラーノの広場』159。

2013-11-24 06:31:45 | 宮沢賢治
「いやデスティパーゴさまは人に水をごちそうはなさいませんよ。」テーモが云ひました。
「ごちそうにならうといふんではないんです。野原のまんなかでつめくさのあかりを数へて来たポラーノの広場で、わたくしは乾いて水が呑みたいのです。」


☆認/見分け、推しはかるように運/めぐらせている也。
 現われる講(はなし)の帖(書付)は割(二つに裂ける)
 推しはからないと、曇/よく見えない。

『城』1454。

2013-11-24 06:14:35 | カフカ覚書
「みなさん、お飲みになりますのに」と、ペーピは、言葉すくなく言って、残っていたコニャックを棄て、グラスを洗うと、棚にのせた。

 棄て/goss→Gosse/どん底
 グラス/Glaschen→Grausen/恐怖の戦慄。 
 棚/Regal→legal/合法的な。

☆「すべての大群(大勢の死んだ人々)は、進んでいきます」と、ペーピ(身分証明書)は言い、残っていた血族のどん底の恐怖の戦慄を、合法的に静めた。