続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

秋晴れの下で。

2013-11-23 07:20:09 | 日常
「三浦一族ゆかりの地を訪ねて」の講座、後編。
 近殿(ちかた)神社、薬王寺跡、清雲寺、腹切松公園、そして岩戸山/満願寺までの行程を歩いた。

 雲一つない秋晴れに恵まれた昨日、ガイド(清水)さんの丁寧な説明に耳を傾けながらの行脚。静謐な空気は秋の香り。

 この町内在住でありながら、今だ一度も通ったことのない道を案内されて、興味津々驚くことばかりの細道。(♪ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちょっと通してくだしゃんせ♪)

 崖崩れや整地の関係から移動を余儀なくされた墓石や仏塔は、寄せ集められてひっそりと佇んでいた。


 ふと思い出した歌がある。

 ♪衣笠城址 右に見て 四辺寸土も 史跡なる 我学校よ 地を得たり♪

 意味を知ることなく唄った歌・・・半世紀をも経て、その意味を知るなんて!

 義明、そして末子の義連の活躍・・・源義経のひよどり越えは有名だけど、そのときに先陣をきったのが義連その人だったとは!歴史には尽きせぬ魅力とワクワクがある。

 大善寺、清雲寺のひっそりとした、けれど温かい空気。昔からの変らない風情が心地よく印象的であったのに対し、満昌寺、満願寺の近代的な改装を重ねた優美な庭は今日的というべきなのだろうか。時代の軸への考え方への相違かもしれない。

無功徳。

2013-11-23 06:53:47 | 日常
『無功徳』・・・何かを成したからと言って、その功徳を期待するのは、真の信仰から外れているという達磨大師の言葉が満願寺の庭石に刻まれている。

 利益を求める気持を棄ててこその功徳・・・。南朝梁の武帝の問いに対する達磨大師の答えである。

 
 人の生活は需要と供給の関係によって成り立っている。生産労働の報酬が消費生活の糧となる、このバランスなくして生命保持は立ち行かない。けれど、地球上すべての人に行渡り、すべての人が幸福になる道は遠い。
 ゆえに大きな財力を持ったものは施しを考え、施しの功徳を期待するというのも無理はない。しかし、ここで敢えて大師は『無功徳』を説く。

 金銭に限ったことではない。少しの親切、善意も然り・・・成せる幸福を享受するだけでも十分である。

 人生の指針・・・『無功徳』

 わたしの中に迷いの欠片が芽生えたとき『無功徳』をもって進んでいきたい。(とは、少し恥ずかしい)むしろ『貧すれば鈍す』の錯誤を払拭すべき境遇かもしれない。

『ポラーノの広場』158。

2013-11-23 06:40:09 | 宮沢賢治
「そんならたゞの水をおくれ。」わたくしは云ひました。どういふわけかみんなしいんとして穴の明くほどわたくしどものことばかり見てゐます。わたくしも少し照れてしまひました。


☆推しはかる運/めぐりあわせ。
 訣(人と別れること)の妙(不思議)を顕/明らかにし、象(目に見える形)の章(文章)にしている。

『城』1452。

2013-11-23 06:22:29 | カフカ覚書
 Kは、カウンターにもたれかかり、片手で眼頭をおさえて、ただぼんやりとしていた。やがて、コニャックをちびりと一口なめると、こんなのまずくて飲めないからと言って、グラスを押しもどした。

 dort・・・来世で。
 コニャック/kognak→Kognat/血族。
 一口なめる/nippte→nipf/気力。

☆来世に傾いている(死に瀕している)Kは、苦しめる国(団体)を伺い見て、無の周り(無心)で深く悲しんだ。それを見た血族は耐えられず遡って気力を押し動かした。