木箱の蓋の上に男(紳士)の頭部と鳥の頭部が乗っている。背景は時代を特定しないベタ。
条件はこれだけであるが、『宝石』と題している。タイトルと具体的に描かれた世界との関連、あるいは答えは宙に浮いたままである。
宝石…尊いものという観点で考えてみる。
真(真実)を肯定できないし、善に遠く、美というより恐怖の感が強い。この二物が静止している限りは平和であるが、単に争いがないというにすぎない。不自由この上ない身の置き所は、むしろ拘束そのものである。
しかし・・・。
人間と鳥の並置、弱肉強食。鳥は人間を襲い人間は鳥を捕獲するかもしれないが、人間と鳥を同質に図って描いている。だからこそ男と鳥の頭部という部分に限定したのである。(全体を同質に描くのは不可能かもしれない)
木箱には棺(死)の意味の暗示がある。
ゆえに、人間と鳥(生物)はすべて等しく《死》の上に乗っており、すべての生き物は死の名において平等である。
生きるものは等しく同質(平等)な存在であり、優劣なく対峙し得る運命共同体である。
この意識こそ極めて尊い『宝石』に匹敵、あるいは超えるのではないか。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
「ずうつとこつちに居たらどうだい。」
百姓どもははつとして、息を殺して象を見た。
☆拠(よりどころ)は飛躍の章(文章)であり、即ち察(よく見ること)で照(あまねく光が当たる)が現れる。
「この部屋に椅子も机もないことをふしぎにお思いでしょうな。つまりですな、家具一式と狭いホテル用ベッドか、大きなベッドと洗面台だけか、このどちらかを選べということになったのですよ。
☆霊魂にまだ交替しないことが不思議でしょう。つまり先祖のテーマ(問題)か、先祖の所有地の境界への願いか、あるいは願望を変えるか、どちらかを選べということになったのです。