続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

三谷先生の授業。

2019-01-29 11:05:09 | 美術館講座

 『曲線で折る 立体折り紙体験』

 何気なく参加…でも同じテーブルについたアラフォーのご婦人、テンション高いなぁと思っていたら先生のツイッターのファン、小4のお嬢さんとの参加。ご著書もお持ちでボォーとしたぶきっちょなわたしとは落差ありあり。
 みなさんそれぞれ折ったり曲げたりの試行錯誤の結果を最後に報告。わたしだけ「見学に徹していました」って。徹していたって頑張ったときの言葉、全く恥の上塗り。

 それでも先生も親切、和気あいあい楽しい時間、こんなお婆さんの参加で引き気味だったけど、「おばあちゃん、よく出てきてくれたね」ってご褒美に先生のもの(全員で同じ物を作った)を頂いた。(ラッキー)

 あの世へのお土産って感じの物見、何でも参加するつて楽しい!(ちなみに先生の作品は凄くて圧巻、眩暈!)

 三谷 純先生、長門先生、ありがとうございました。(神奈川県立近代美術館・葉山にて)


🈞マグリット『青春の泉』②

2019-01-29 07:08:17 | 美術ノート

 背景は朝焼けだか夕焼けだか判らないが、青春≒希望という彩色ではなくどこか不穏である。
 ROSEAUと刻まれた石碑、ROSEAUといえば〈考える葦〉を想起するが、この語彙が通用する時空なのだろうか。この言葉が死語になっているということかもしれない。

 荒地である、植物(有機)が見当たらない。
 ROSEAUの言葉が刻まれた石碑・・・つまり過去である、ずっと昔の遺物の残存。

 郷愁…回顧の墓碑。
 石碑(言葉)を包むかの鳥(鳩)の頭部、傍らの一葉は、葉であり樹形であり、枝葉は凝視すると樹の根である。つまり逆さであり、有り得ない《虚》である。
 鳩がくわえてきたオリブの一葉、しかし、この鳩はそっぽを向いている。(怒ってさえいる)
 左端には馬の鈴(伝承・伝説・主張・声etc)がある。

 大いなる伝承の終焉、何時かずっと先の未来、星の数・砂の数を幾たびも数え直すほどの時間を超えた先にある光景である。

【考えること】による支配、宗教や思考が墓碑となる無窮の果ての時空(時代)では、かつての遠い昔(=現代)、それを『青春の泉』と認識するのではないか。

《あの時代(現代)はまだ若く成熟途上の青春であり、泉のごとくあちこちに主張(宗教)などが湧き出でていた》という今は荒廃している懐古の光景である。


(写真は新国立美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『城』3116。

2019-01-29 06:34:28 | カフカ覚書

たいていは村にいますが、いつもというわけではありません。いつなんどきでも城に出かけられる用意をととのえておかなくてはなりません。そら、あれが旅行かばんです。落着かない毎日でしてね、だれにでも向くというわけにはいきませんよ。


☆たいていは村(あの世)にいますが、永続的というわけではありません。どの瞬間も城(死)へ上っていくことを考え無くてはなりません。あれが旅行かばんですが、先祖は不穏のなかを生きているので砦は役に立たないのです。