同じ『説明』という作品であるが、人参の様子に変化がある。
全体に萎れかかってる。衰退、枯渇へのプロセス…、ガラス瓶と人参の合致の方も同じく傾きかけている。
しかし、ガラス瓶の方は依然として変化がない。
人参(有機質)は時間とともに生命活動を弱め停止していく定めなのに対し、ガラス瓶(無機質)は生命活動に無関係な物質なので変化がないのである。
設置の床は石(無機質)から土色(土か板状のもの)に変わっており、背景は遠山を臨む風景に変わっている。そらは空を含む背景は明度彩度の低い青系の濁色である。
前の『説明』の背景では時間を特定できない時空だったが、この『説明』では風景があることで、現代(現世)を想起させる。
つまり、永遠ではなく《死》への移行(循環)があるという示唆である。
ガラス瓶(無機質)には炭素がなく、生命活動によって燃え残るという時間を辿らないが、有機質である人参、人間を含む世界全体は時間と共に変化(死)を余儀なくされるという『説明』である。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
「おい、お前は時計は要らないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、オツベルは琥珀のパイプをくはえ、顔をしかめて斯う訊いた。
☆全(すべて)の字は啓(人の目を開いて理解させる)。
陽(日の光)が眼(かなめ)の他意である。
顕(あらわれる)章(文章)は、照(あまねく光が当たる=平等)也。
全(すべて)は雷(神なり)。
個(一人一人)の魄(魂)は信仰の詞(言葉)が腎(かなめ)である。
「そうでしょうとも」と、ビュルゲルは笑いながら「ここでは、みんな疲れています。たとえば、このわたしですが、わたしが昨日と、さらに今日にかけてした仕事は、たいへんな分量です。
☆「当然です」とビュルゲルは言い笑った。「ここではだれもが疲れています。たとえば、このわたしが昨日も今日も成し遂げたことは、小舟の氏族の現場不在証明です。