石に刻まれたANN O274・1957・30861・・・この物は何だろう。
背景は時代を特定しないベタであるが、過去とは考え難く、未来(久遠、無窮)である。
この遺物と見られるものは、奇跡的に発見されたのかもしれない。
わたし達は数字や文字を観念的に教え込まれているので、数字の並びや幾つかの条件でそれが何を暗示しているのかを想定してしまう癖(慣習)がある。非常に便利な数字や文字であるが何かの事情(例えば地球の生物が全滅するような気候の変異)によって、脆くも消滅してしまわないとは限らない。現在信じているものが永遠である保証はどこにもない。
この作品の時空が、永遠普遍文字や数字が通用する世界か否かも分からず、この遺物を目の前にして意味を見いだせない場合、この断絶に『微笑』するしかないのではないか。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
「鎖もなくちやだめだらう。」オツベルときたら、百キロもある鎖をさ、その前肢にくつつけた。
「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいふ。
「靴をはいたらどうだらう。」
「ぼくは靴などはかないよ。」
「まあはいてみろ、いいもんだ。」オツベルは顔をしかめながら、赤い張子の大きな靴を、象のうしろのかかとにはめた。
「なかなかいいね。」象も云ふ。
☆詐(作り事)の飛躍を査(明らかにする)。
全(すべて)の詞(言葉)を査(sらべ)散(ばらばらにして)補(つくろう)。
章(文章)は化(形、性質を変えて別のものにし)化(教え導き)信仰の釈(意味を解き明かす)。
調べる詞(言葉)の他意は化(教え導くこと)であり、照(あまねく光が当たる=平等)を運(めぐらせている)。
どうも自分ながら妙何ですが、たぶん陳情者たちの話を聞いてやることに慣れっこになりすぎたせいでしょうか、話し相手がいてくれるときがいちばん眠りやすいんでしてな」
☆まあ、わたしもそうなんですが、たぶん関係者の往来に大変なじんでいるのです。ですからここでは容易に死ねるんです。