サークルのメンバーの転倒…複雑骨折、二度の手術。すでにもう二カ月にわたる入院。
「退院はいつ?」
「退院しなければならないけど、リハビリの施設に行くの。そこも二ヵ月しかいられないらしいけど・・・」
「何言っているの、這ってでも自分の家に帰りなさいよ」
回復途上である由、でも「怖くてふらふらするのよ」という。
転倒が引き金で、当たり前の日常から離れてしまう。健脚だった人の今。
他愛もない話でやり過ごしたけれど、病院を後にしたときには無常感でいっぱい。
《絶対に転んではいけない!》
膝関節痛を病むわたし、油断は禁物と言い聞かせた昨夕のお見舞い・・・。
ガラス瓶と萎れかけた人参、人参とガラス瓶の合体が板状のものの上に置かれている。影を見ると背景の景色とは隔絶された場であることが分かる。
山々(自然)を背景にしているが、異世界(想像)である。
空論であり、仮定であるこの景色は、存在の論拠を説明しようとしている。
《存在とは何か》
地球に於ける生命活動であり、連鎖あるいは循環ではないか・・・と。
物質としての存在(無機・有機の複合体)であり、世界と呼ぶ認識こそが人間の証明であるという説明である。
光エネルギーが無機物から有機物を形成し、熱エネルギーに変換された後、発散され無空に消えていく。
ガラス(無機質)と人参(有機質)の混合・構成が世界を作り上げており、それを認識する術(叡智)を持つものが人間であるという説明である。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
「ぼくは時計は要らないよ。」象がわらつて返事した。
☆字で啓(人の目を開いて理解させる)のは陽(太陽)であり、照(あまねく光が当たる=平等)は遍(もれなくゆきわたる)慈(いつくしみ)である。
わたしがいま眠りこむようなことは、絶対にありっこありませんが、万一この絶対にありっこないことが起こって、あなたがここにいらっしゃるあいだにわたしが眠ってしまっても、どうか静かにしていて、ドアをあけたりなどなさらないでください。
☆わたしがいま死ぬようなことは絶対にありえませんが、すべてのうちで信じられないほどのことが起こり、あなたがここで死んでしまっても、お願いですから静かにしていて、企てを作るようなことはしないでください。