『世紀の伝説』
人の視点が地平線にあるとしたら、巨大な石化の椅子である。
到底昇り得ない高さは、人(人類)の域を超えたものであり、椅子の上にある椅子などは人の目の位置からは見ることの叶わない幻である。
世紀末、荒廃し残存の草木は影もなく、残された岩(岩石)のみが散在する世界であるが、椅子だけがかつての栄華を消しがたく残っている。
しかし、この物は何だろう。
椅子、人類の手の届かない巨大な存在・・・神だろうか。他の動物では決して創り得ない人の手(知恵)による椅子の形である。
祀り上げられた巨大な存在である《神》は、人類が滅亡し果てた後にも壊れ難く名残りを留める、それほどに信仰は強固なのかもしれない。
神への信奉は人類が死した後までも残存する・・・かもしれない。しかし、ただ幻と化した残影は膠着し石化の景として無意味に風に吹かれ『世紀の伝説』となる。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
そして菜つ葉の畑にかけた。
夕方象は小屋に居て、十把の藁をたべながら、西の三日の月を見て、
「ああ、稼ぐのは愉快だねえ、さつぱりするねえ」と云つてゐた。
☆済(救い)の要は将(もしかして)幽(死者の世界)の法(神仏の教え)の章(文章)也。
拠(よりどころ)としては、自由に把(つかむこと)講(話)である。
済(救い)の太陽は合わせて現れる化(形、性質を変えて別のものになる)で、諭(教え導くこと)の皆(すべて)を運(めぐらせている)。
もっとも、わたしがこの仕事なしではもう生きていけないというのも、ほんとうです。ほかの仕事は、どれもおもしろ味がないような気がします。
☆他方においては正しいのですが、この現場不在証明の方法なしではすませられません。他のすべての現場不在は気が抜けているように思われます。