『青春の泉』
鷲の頭部をを乗せた石碑にはROSEAUの文字が刻まれている。右には石化した樹木に見える一葉、左には馬の鈴(言葉・伝説・主張など)。
背後は広野、空は夕焼けだろうか。
鷲と見えるものは、鳩ではないか。ノアの放した鳩のくちばしにオリブの葉があったことからノアは地から水がひいたのを知った。(『創世記』より/つまり大家族の所以である)
石化・・・石、岩石というものの大部分は深い海の底で作られ、プレートの働きによって変形を受け隆起したものであれば、地上に現れたということは誕生である。
ROSEAU・・・考える葦であるとの葦、思考力のなした世界。
泉というのはエリアにおける水域である。
生まれ出でた想像力、人類の指針となるべく誕生した信仰は決して広域(地球全体)ではないが、生きる糧、真実を追究すべく誕生した信仰の世界観である。
『青春の泉』、人類の成長、青い時の謳歌・・・しかし石碑である。
(そういう時代が有りました)と偲び、マグリットは信仰を遠回しに終息させているのではないか。否定ではなく白紙に戻す意向を感じる。超未来に向ける眼差しが現在を憂いているような気がしてならないのである。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
「ああ、ぼく水を汲んで来よう。もう何ばいでも汲んでやるよ。」
水はスイと読んで、推。
汲んではキュウと読んで、求。
来ようはライと読んで、頼。
何ばいはカと読んで、化。
汲んではキュウと読んで、究。
☆推しはかり求めることに頼り、化(教え導くこと)を究める。
と、ビュルゲルは、ここでおもわずうれしそうに両手をせわなく擦りあわせた。「フリードリヒと村とのあいだや、フリードリヒの城にいる秘書と在村秘書とのあいだの連絡をとるのです。
☆と、彼は満足げに両手をせわしく擦り合わせた。フリードリヒは、村(あの世の前)の間や城(本当の死)の間の連絡をとるのです。